精選版 日本国語大辞典 「国民新聞」の意味・読み・例文・類語
こくみん‐しんぶん【国民新聞】
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1890年(明治23)2月1日、徳富猪一郎(いいちろう)(徳富蘇峰(そほう))が創刊した日刊紙。当初青年層の圧倒的人気を得ていたが、日清(にっしん)戦争後、蘇峰が桂(かつら)太郎に接近したため、かわって官僚、軍人の支持を得るようになり、その論調は政界に大きな影響力をもった。1905年には日露講和条約支持で、13年(大正2)の憲政擁護運動でも桂内閣を支持して民衆の襲撃を受けたが、根強い蘇峰信者の支援を得て紙勢は衰えず、大正中期には20万~25万部を維持した。しかし関東大震災(1923)で社屋、印刷所が被災、経営は苦しくなり、初代根津嘉一郎(かいちろう)の援助を受けたが、蘇峰と意見があわず、29年(昭和4)蘇峰は退社した。以後、経営者の交替相次ぐが、新聞統合で『都(みやこ)新聞』と合併、42年10月『東京新聞』となる。
[春原昭彦]
1890年(明治23)2月1日に徳富蘇峰(とくとみそほう)によって東京で創刊された。国民の中間層に広く読まれる平明で活気ある新聞をめざした。初期の社員は,人見一太郎・竹越与三郎・塚越芳太郎・久保田米遷(べいせん)など多彩。しかし日清戦争前後の蘇峰の転向とともに政治新聞化して桂太郎を代弁する御用紙となり,日露講和条約問題・憲政擁護運動など2度にわたって民衆の焼打をうけた。大正期は藩閥とは手を切り,東京の有力紙となったが,営業競争の激化と関東大震災被害のため経営はしだいに悪化,根津嘉一郎の資本参加をうけ,1929年(昭和4)蘇峰は退社した。その後「新愛知」の経営をへて,42年10月1日,新聞統合のために「都新聞」と合併,「東京新聞」となった。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…同紙は政府を代弁するあまり,政府側に不利な事実の報道を怠っているという攻撃を受けたため,御用新聞であることが,経営的にもしだいにマイナスとなってきた。明治後期の《国民新聞》のような御用新聞は,読者からボイコットや焼打ちにあう。そのため,各紙とも御用新聞イメージの払拭に努め,不偏不党や中立を標榜するようになる。…
…平民的欧化主義を旗印としたこの雑誌は,政治・経済・社会から宗教・文芸にわたる多面的で新鮮な編集によって異常な人気を呼んだ。90年には余勢をかって《国民新聞》を創刊し,報道紙としての新聞という面で新機軸を打ち出す。日清戦争開戦前後から国家の対外的膨張を自然かつ当然とする膨張主義の立場へと移りはじめ,三国干渉後はこの立場から挙国一致と軍備増強を叫ぶようになる。…
※「国民新聞」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
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