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第一次世界大戦後に創設された史上初の国際平和機構。1920年1月10日に発足し、本部はスイスのジュネーブに置かれた。その設立文書である国際連盟規約は全26か条からなり、ベルサイユ条約、サン・ジェルマン条約など中欧同盟側との講和条約に組み込まれた。連盟は、第一次大戦の未曽有(みぞう)の惨禍のなかで、この反省を基盤とし、アメリカ大統領ウィルソンのイニシアティブにより国際平和維持を主目的として創設された。すでに19世紀以来、経済、社会、文化面での国際協力は組織されていたが、連盟はこれをもあわせてその任務とした。規約の付属書には、原加盟国として、講和条約署名国(32)と被招請国(13)の計45か国が記載されたが、現実には42か国が参加し、その他の国々については総会の3分の2の多数決をもって加盟が認められた。しかし、アメリカの不参加はその活動に制限を加えた。
[植田隆子]
主要執行機関は総会と理事会で、これを補助する常設事務局がジュネーブに置かれた。総会は連盟全加盟国によって構成され、定期総会は通例毎年9月に開かれた。総会の権限は、連盟の全行動範囲または世界平和に影響するいっさいの事項に及んだ。理事会は常任理事国と非常任理事国によって組織され、前者は創設当初イギリス、フランス、イタリア、日本の4か国であったが、ドイツ、ソ連の加盟、日本、ドイツ、イタリアの脱退、さらにソ連の除名による数の変動があった。非常任理事国数は当初の4か国から6か国(1922)、ついで9か国(1926)に増加した。理事会の権限は総会と同様であったが、活動が迅速であったので頻繁に利用され、また軍縮、委任統治、少数民族保護、ザールやダンツィヒ問題について特別な権能をもった。表決方式は、総会、理事会ともに原則的には全会一致制であったが、実際には緩和されて運用された。連盟と有機的に連関した自治的機関として、常設国際司法裁判所、国際労働機関が設置された。このほか、補助機関として、経済財政委員会、交通通過委員会、保健委員会(以上専門機関)、陸海軍問題委員会、知的協力国際委員会、軍縮準備委員会、国際法典編纂(へんさん)委員会(以上諮問機関)などが置かれた。
[植田隆子]
連盟においては、集団内の国家の安全を相互に保障する集団安全保障方式が史上初めて制度化された。連盟は、集団安全保障を国際紛争の平和的解決および軍備縮小と一体化して組織している。戦争または戦争の脅威は連盟全体の利害関係事項とされ、締約国が規約に定められた紛争の処理手続を無視して戦争に訴えた場合、制裁を受けることが規約に規定されている。
[植田隆子]
1920年代にはギリシア・ブルガリア紛争(1925)などの解決に成功し、国際協力面でも成果をあげた。また、国際紛争平和的処理一般議定書の採択(1928)、侵略戦争の違法化(不戦条約、1928)にみられるような連盟の安全保障強化のための努力が連盟の内外でなされた。しかし、30年代に入り、大国間の国際対立が激化するとともに連盟の平和維持機能は麻痺(まひ)していった。32年に開催された軍縮本会議は不成功に終わり、連盟は満州事変(1931)の処理、イタリア・エチオピア紛争時の対イタリア経済制裁(1935)に失敗した。日本、ドイツ、イタリアはそれぞれ脱退を宣言し、ソビエト・フィンランド戦争に対しては連盟はソ連を除名(1939)したにすぎない。連盟は弱体化し、有名無実の存在となり、46年4月18日の総会において解散が決議された。その事業は国際連合に継承された。
[植田隆子]
1920年1月20日に設立された史上初の世界的な,集団安全保障を中心とする平和維持・国際協力機構。第一次世界大戦を終結させた19年のヴェルサイユ条約第1編が連盟規約となった。本部はスイスのジュネーヴに置かれた。すべての連盟加盟国で構成される総会,イギリス,フランス,イタリア,日本の4常任理事国(のちドイツとソ連が加わり6カ国)と総会選出の4非常任理事国(任期3年,のち9カ月)で構成される理事会,事務局の3主要機関からなり,このほか国際労働機関(ILO)と常設国際司法裁判所(PCIJ)が連盟と密接な関係を持っていた。連盟加盟国は,第一次世界大戦の戦勝国および招請中立国計42カ国を原加盟国とし,敗戦国および新独立国に対しては,連盟総会の3分の2の同意で加入を承認した。提唱国アメリカは議会が批准を拒否したため,連盟には加わらず,またソ連は最初から除外されたため,運営は英仏を中心に行われた。1920年代,小国の国際紛争では連盟はその効力を発揮し,28年の「不戦条約」および「国際紛争平和的処理に関する一般議定書」などの採択によって国際平和の推進にみるべきものがあったが,31年の満洲事変処理の失敗,35年のエチオピア侵略に対するイタリアへの経済制裁の不徹底は,連盟の無力さを露呈させ,また常任理事国の日本(1933年3月),ドイツ(33年10月),イタリア(37年12月)の連盟からの脱退,ソ連‐フィンランド戦争に際してのソ連除名(39年12月)は,連盟の威信をさらに傷つけ,その活動を停滞させる重大な要因となった。46年4月国際連合設立に伴い正式に解散した。
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第1次大戦後に設立された史上初の平和維持機構。ウィルソン米大統領の呼びかけで,ベルサイユ条約第1編の国際連盟規約ができ,1920年(大正9)発足。本部はジュネーブ。軍縮,紛争の平和的解決,集団安全保障による世界平和の実現,福祉の増進を目的とした。総会と理事会は1国1票,全会一致を原則とする。原加盟国は42カ国。アメリカは上院の反対で不参加。常任理事国の日本は,満州国承認問題が原因で33年(昭和8)に脱退(ドイツも同年脱退)。さらにイタリアのエチオピア併合を阻止できず,その無力を印象づけた。46年4月,第21回総会で解散を決議,財産は国際連合に引き継がれた。
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※「国際連盟」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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