精選版 日本国語大辞典 「土一揆」の意味・読み・例文・類語
つち‐いっき【土一揆】
ど‐いっき【土一揆】
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中世後期に民衆が集団的力を発揮するために結んだ一揆。中核は土民・地下人(じげにん)とよばれる土着の侍身分以下の階層と考えられ,史料上の初見は1354年(文和3・正平9)。14世紀末から売券に徳政実施の主体として記され,また1443年(嘉吉3)に,若狭国で神物・仏物をも対象とする独特の徳政令を土一揆が制定したと史料にみられるように,この時代,土一揆を徳政実施の資格をもつ主体とする観念が民衆の間にあった。じじつ正長の土一揆(1428)や嘉吉の土一揆(1441)のように支配者の代替りを理由に,みずから徳政を実施し,幕府にも徳政令発布を求めて蜂起するのが特徴的行動である。このような行動は16世紀後期までみられた。土一揆の特徴は徳政のみにとどまらず,山城国伏見荘地下人の一揆も「土一揆所行(しょぎょう)の間,誰を張本とも申し難し」と記され,一向一揆も土一揆とよばれる場合があり,地下人を主体にした一揆の総称として使用されている。
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…半済はのち永続的,全国的となり,荘園の年貢だけでなく,土地そのものを半分に分割するようになって,荘園制を崩壊に導いた。
[土一揆と馬借]
鎌倉中期以来,農村では農民の自治的結合としての惣(村)が形成された。近江の農村はとくに先進的であり,すでに1262年(弘長2)現存最古の村掟(村法)が蒲生郡奥島荘で制定されている。…
…とくに京都は地方荘園経済や日中貿易などの海内財貨の集散地であり座の本拠であったから,貨幣への欲求は大きく,室町幕府財政への浸透を含め,高利貸資本の活躍はめざましかった。農地担保金融への進出は土一揆の原因にもなった。 近世社会では西鶴の作品にみられるように金貸や質屋は,封建制下の貨幣経済の進展とともにまず上方の都市で旺盛となり,しだいに全国の城下町や農村に拡散し,本百姓層,都市職人・小商人・下級武士層などに浸透した。…
…中世に徳政を要求して起こった土一揆(つちいつき)。荘園単位で領主に年貢の減免などを要求して起こった荘家の一揆と区別される。…
…中世後期に陸上運輸業者の馬借が集団で蜂起した事件。土一揆(つちいつき)の先頭を切った行動として注目されているが,元来山門の強(嗷)訴(ごうそ)の一環として登場した事件である。1379年(天授5∥康暦1)6月,近江坂本の馬借1000余人が京の祇園社に討ち入ったというのが初見で(八坂神社〈社家記録〉),山徒(山門の下級僧侶)の一員でありながら幕府と結託して権勢を振るった円明坊と,関のことで争ったことが原因であった。…
…中世の民衆の集団的な蜂起。土一揆の語の初見は1354年(正平9∥文和3)だが,本格的な一揆の展開するのは1428年(正長1)の正長の土一揆以後で,15世紀を中心に16世紀にも及んだ。土一揆は土民一揆の略で〈どいっき〉と発音したと推定することも可能だが,仮名書きの史料では〈つちいっき〉と記されている。…
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