土一揆(読み)つちいっき

精選版 日本国語大辞典 「土一揆」の意味・読み・例文・類語

つち‐いっき【土一揆】

〘名〙 室町中期、畿内中心に、さかんに起こった農民地侍武装蜂起年貢減免徳政を要求して、荘園領主守護大名酒屋土倉などの高利貸などと武力で争った。どいっき。
満済准后日記‐正長二年(1429)二月五日「丹波国土一揆以外蜂起之間、守護明日可人」

ど‐いっき【土一揆】

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デジタル大辞泉 「土一揆」の意味・読み・例文・類語

つち‐いっき【土一×揆】

室町中期、畿内を中心に頻発した農民・地侍の武装蜂起。年貢の減免や徳政を要求して、荘園領主守護大名、また酒屋・土倉どそうなどの高利貸とも武力で争った。どいっき。

ど‐いっき【土一×揆】

つちいっき

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百科事典マイペディア 「土一揆」の意味・わかりやすい解説

土一揆【つちいっき】

〈どいっき〉とも。室町時代,農民が年貢公事(くじ)の減免や徳政を要求して,荘園領主,守護,酒屋・土倉(どそう)といった高利貸資本などの支配者勢力に対して行った武装蜂起(ほうき)。交通労働者である馬借(ばしゃく)が多数参加した馬借一揆,また徳政の要求を掲げた徳政一揆などがしきりにおこった。おもに荘園村落内の地侍(じざむらい)・名主(みょうしゅ)が指導層を形成。名主層の小領主化に伴い,16世紀には戦国大名の領国支配と戦った一向(いっこう)一揆を除いてほぼ終息した。おもなものとして正長(しょうちょう)の土一揆(徳政一揆),播磨(はりま)の土一揆,嘉吉(かきつ)の土一揆(徳政一揆)などが知られる。→一揆
→関連項目大部荘寛正の大飢饉禁制国衆郷村制親長卿記農民一揆

土一揆【どいっき】

土(つち)一揆

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「土一揆」の意味・わかりやすい解説

土一揆
つちいっき

「どいっき」ともいう。室町時代中期~末期にかけて地侍を指導者とする農民連合の支配者層 (荘園領主,守護大名) に対する闘争。鎌倉時代末期以降,畿内およびその周辺に著しく台頭した自立農民が村落自治組織を形成し,支配者に対して年貢,公事の減免などを要求して強訴,逃散を行なった。これが 15世紀に入ると,武力蜂起の形態をとるようになり,庄家 (しょうけ) 一揆,徳政一揆国一揆一向一揆が諸国に頻発した。しかし応仁の乱を境に戦国大名の領国形成が進むにつれて,一揆の指導者である地侍層が戦国大名の家臣団に編入され,徳政一揆,一向一揆以外は次第に消滅していった。 (→長島一揆 , 馬借一揆 )  

土一揆
どいっき

土一揆」のページをご覧ください。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「土一揆」の解説

土一揆
つちいっき

中世後期に民衆が集団的力を発揮するために結んだ一揆。中核は土民・地下人(じげにん)とよばれる土着の侍身分以下の階層と考えられ,史料上の初見は1354年(文和3・正平9)。14世紀末から売券に徳政実施の主体として記され,また1443年(嘉吉3)に,若狭国で神物・仏物をも対象とする独特の徳政令を土一揆が制定したと史料にみられるように,この時代,土一揆を徳政実施の資格をもつ主体とする観念が民衆の間にあった。じじつ正長の土一揆(1428)や嘉吉の土一揆(1441)のように支配者の代替りを理由に,みずから徳政を実施し,幕府にも徳政令発布を求めて蜂起するのが特徴的行動である。このような行動は16世紀後期までみられた。土一揆の特徴は徳政のみにとどまらず,山城国伏見荘地下人の一揆も「土一揆所行(しょぎょう)の間,誰を張本とも申し難し」と記され,一向一揆も土一揆とよばれる場合があり,地下人を主体にした一揆の総称として使用されている。

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世界大百科事典 第2版 「土一揆」の意味・わかりやすい解説

つちいっき【土一揆】

中世の民衆の集団的な蜂起。土一揆の語の初見は1354年(正平9∥文和3)だが,本格的な一揆の展開するのは1428年(正長1)の正長の土一揆以後で,15世紀を中心に16世紀にも及んだ。土一揆は土民一揆の略で〈どいっき〉と発音したと推定することも可能だが,仮名書きの史料では〈つちいっき〉と記されている。土一揆と呼ばれる以前から,惣村に拠る農民は,領主に対して年貢や公事の減額や免除,あるいは代官の罷免を要求して集団的な訴訟・強訴(ごうそ)をくりかえした。

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旺文社日本史事典 三訂版 「土一揆」の解説

土一揆
つちいっき

室町中期に活発に行われた農民・土豪などの支配層に対する反抗
「土民一揆」の略。南北朝時代以後,荘園制の崩壊と郷村制の成長,貨幣経済の農村への浸透などが背景となって,種々の形態で反抗が行われた。初期は年貢・夫役の減免を要求したが,15世紀に入ると畿内先進地帯とその周辺では,1428(正長元)年の正長の土一揆のように,徳政を要求し酒屋・土倉・寺院などの高利貸を襲う徳政一揆が頻発。さらに守護領国制進展の中で,土豪・地侍を中心に政治的性格をもつ播磨国一揆(1429)・山城国一揆(1485〜93)などの国一揆がおこった。しかし15世紀末,戦国大名領の形成とともにしだいに鎮圧された。

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世界大百科事典内の土一揆の言及

【近江国】より

…半済はのち永続的,全国的となり,荘園の年貢だけでなく,土地そのものを半分に分割するようになって,荘園制を崩壊に導いた。
[土一揆と馬借]
 鎌倉中期以来,農村では農民の自治的結合としての惣(村)が形成された。近江の農村はとくに先進的であり,すでに1262年(弘長2)現存最古の村掟(村法)が蒲生郡奥島荘で制定されている。…

【高利貸】より

…とくに京都は地方荘園経済や日中貿易などの海内財貨の集散地であり座の本拠であったから,貨幣への欲求は大きく,室町幕府財政への浸透を含め,高利貸資本の活躍はめざましかった。農地担保金融への進出は土一揆の原因にもなった。 近世社会では西鶴の作品にみられるように金貸や質屋は,封建制下の貨幣経済の進展とともにまず上方の都市で旺盛となり,しだいに全国の城下町や農村に拡散し,本百姓層,都市職人・小商人・下級武士層などに浸透した。…

【徳政一揆】より

…中世に徳政を要求して起こった土一揆(つちいつき)。荘園単位で領主に年貢の減免などを要求して起こった荘家の一揆と区別される。…

【馬借一揆】より

…中世後期に陸上運輸業者の馬借が集団で蜂起した事件。土一揆(つちいつき)の先頭を切った行動として注目されているが,元来山門の強(嗷)訴(ごうそ)の一環として登場した事件である。1379年(天授5∥康暦1)6月,近江坂本の馬借1000余人が京の祇園社に討ち入ったというのが初見で(八坂神社〈社家記録〉),山徒(山門の下級僧侶)の一員でありながら幕府と結託して権勢を振るった円明坊と,関のことで争ったことが原因であった。…

【土一揆】より

…中世の民衆の集団的な蜂起。土一揆の語の初見は1354年(正平9∥文和3)だが,本格的な一揆の展開するのは1428年(正長1)の正長の土一揆以後で,15世紀を中心に16世紀にも及んだ。土一揆は土民一揆の略で〈どいっき〉と発音したと推定することも可能だが,仮名書きの史料では〈つちいっき〉と記されている。…

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