在庁官人(読み)ザイチョウカンニン

デジタル大辞泉 「在庁官人」の意味・読み・例文・類語

ざいちょう‐かんにん〔ザイチヤウクワンニン〕【在庁官人】

平安中期から鎌倉時代現地国衙実務を行ったすけ以下の役人本来在庁官人からなるが、のち区別がなくなり、在庁と略称されるようになった。

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精選版 日本国語大辞典 「在庁官人」の意味・読み・例文・類語

ざいちょう‐かんにんザイチャウクヮンニン【在庁官人】

  1. 〘 名詞 〙 ( 「ざいちょうかんじん」とも ) 平安中期から鎌倉時代、国守の命に従って諸国国衙で実務を執った地方役人。平安以後、国守は地方に赴任しないで在京し代理人目代(もくだい))を派遣するようになったが、この目代と在庁官人の在勤する役所を留守所(るすどころ)という。在庁官人の多くは土着の地方豪族で、この職を世襲し次第に武士化して、鎌倉時代には御家人(ごけにん)となって目代と対立するようになった。在庁官。在庁人。在庁。〔朝野群載‐二二・延喜一〇年(910)加賀初任国司庁宣
    1. [初出の実例]「之に依って非職凡卑の目代等、貞応以後の新立の庄園を没倒して、在庁官人(ザイチャウクヮンニン)検非違使健児所等過分の勢ひを高くせり」(出典:太平記(14C後)一三)

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改訂新版 世界大百科事典 「在庁官人」の意味・わかりやすい解説

在庁官人 (ざいちょうかんじん)

平安後期から鎌倉時代にかけて諸国国衙(こくが)の実質的運営を担った下級の役人。在庁とはそもそも国府(国衙)などの官庁に在勤すること,あるいはその在勤者を指す用語であり,在庁官人は単に在庁もしくは庁官などと称することもあった。《今昔物語集》に〈守に此の由を申しければ忽(たちま)ちに在庁の官人を召して,蔵を開けさせて見れば……〉と見える例をはじめ,当該期の地方行政の運営者としての彼らの活動を示す史料は少なくない。

 在庁官人は多く惣判官代,惣大判官代あるいは判官代などの肩書を有し,国守の私吏たる目代とともに留守所を構成する。目代は一般に私設代理人として事務にたんのうなものが重用され,国司の交替にともない遷替するのが原則であるが,在庁官人は多く土豪の任用にかかる。当初,中央からの下向も見られるが,実質的な意味での在庁官人が国衙業務の中核となるのは11世紀以降に属する。そもそもこうした在庁官人が恒常的に地方行政を担う背景には次のような事情が伏在した。すなわち平安中期以降,国司制度の変遷とあいまって受領(ずりよう)が国守と同義語として用いられるに至った。これは従前の守(かみ),介(すけ),掾(じよう),目(さかん)という四等官制がくずれ,守と介ないし掾以下の任用国司との懸隔が大きくなり,受領国司による権力集中が行われた結果であった。こうした中で受領の官物請負化が助長され,国務運営のため受領は一族・郎等などを国務に参画させる傾向が生じ,在来の任用国司は在庁へ転化する事態が現出した。一方では,かかる国司制の変化が郡司制の変化を招き,国衙権力による郡司の包摂化が促進される。郡司の在庁化といわれる現象がこれである。在庁官人とはこうした過程で生じたものであった。

 この在庁官人が担うところとなった該時期の国衙機構は多く検田所,収納所をはじめとした分課的な(ところ)により構成されていた。11世紀初頭の成立と伝えられる往来物《新猿楽記》にも〈四郎君は受領の郎等,刺史執鞭の図なり。……是以凡そ庁の目代,もしくは済所,案主,健児所,検非違所,田所,出納所,調所(ずしよ),細工所,修理等,もしくは御厩,小舎人所,膳所,政所,或は目代或は別当,いはむや田使,収納,交易,佃,臨時雑役等の使においては,望まざるに自ら懸け預るところなり〉とあり在庁内における活動のありさまをうかがうことができる。平安末期にはこうした在庁官人の多くが武士化し,国衙機構そのものが彼らの共同の収取機構に転化する傾向が強くなる。こうしたなかで,在来,在庁層を指揮・統轄する目代との対立も生ずるに至る。鎌倉幕府に結集した有力御家人はいずれも,こうした有力在庁であった。下総の千葉氏,相模の三浦氏,武蔵の畠山・秩父・河越諸氏,あるいは伊豆の北条氏などはその例である。ちなみに在庁なる用語にはこうした国衙官人の指称とは別に,諸大寺で僧侶の事務をつかさどる者を称することもあり,ことにその長を惣在庁といった。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「在庁官人」の意味・わかりやすい解説

在庁官人
ざいちょうかんじん

庁官、在庁ともいう。平安中期以降、諸国国衙(こくが)で実務をとった地方役人。律令(りつりょう)本来の国司制においては、守(かみ)以下の四等官が責任を分有し国務にあたることになっていたが、平安中期以降国司官長(守ないし守を欠く場合介(すけ))に権限が集中し、雑任(ぞうにん)国司らの赴任がみられなくなった状況下において、国衙行政の実務は在地の下役人が担うようになった。判官代(はんがんだい)ないし惣(そう)判官代を肩書とすることが多い。従前の郡司層の系譜を引く在地有力層出身の場合が多く、在庁官人という語の史料上の初出は、910年(延喜10)初任国司庁宣である(『朝野群載』22)。国司官長の命を受け、事にあたったが、遙任(ようにん)が一般化してくると、在庁官人らは留守所(るすどころ)に拠(よ)り、国衙行政の全般を取り仕切った。平安後期以降武士化する者が多く、著名なものに坂東平氏がある。

[森田 悌]

『吉村茂樹著『国司制度崩壊に関する研究』(1957・東京大学出版会)』『竹内理三著『律令制と貴族政権』(1958・御茶の水書房)』『竹内理三著『武士の登場』(1965・中央公論社)』

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百科事典マイペディア 「在庁官人」の意味・わかりやすい解説

在庁官人【ざいちょうかんじん】

単に在庁とも。現地採用の国司の下級役人。平安中期から国守は遥任(ようにん)と称して赴任せず,目代(もくだい)を派遣して現地の豪族から在庁官人を採用して事務をとらせるのが一般化した。目代と在庁官人で構成される執務機関を留守所(るすどころ)という。おおむね世襲で,武士となるものが多かった。→留守氏
→関連項目国衙・国府庁宣目代

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「在庁官人」の意味・わかりやすい解説

在庁官人
ざいちょうかんにん

「ざいちょうかんじん」とも読み,略して在庁ともいう。平安時代中期から鎌倉時代にかけて,遙任国司によって派遣された目代 (もくだい) の指揮のもとに,国衙の事務をとった下級の地方官人。惣判官代,惣大判官代,大判官代などがあった。目代と在庁官人の構成する機関を留守所といい,税所 (さいしょ) ,朝集所,健児 (こんでい) 所,田所,大張所,国掌所,公文所 (くもんじょ) ,政所 (まんどころ) ,調所,出納所,膳所,細工所,厩所などに分れていた。目代は国司の交代につれて代ったが,在庁官人には土着の豪族が任じられ世襲したので,次第にその勢力を増し,開発領主や荘官となって武士化するものが多くなった。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「在庁官人」の解説

在庁官人
ざいちょうかんじん

平安中期~鎌倉時代に,国衙(こくが)行政の実務にあたった現地の役人の総称。9世紀に受領(ずりょう)国司の権限が拡大されて以降,諸国では受領の下で各種の所(ところ)からなる国衙機構が在庁官人によって分掌される体制が組織され,受領は任国不在の際には目代(もくだい)を派遣して統轄させた。在庁官人は地位を世襲してみずからの在地支配を強め,なかには税所(さいしょ)など所の名称を名乗る氏も現れた。12世紀前半の文書では,本来中央派遣官であった国司四等官の系列とみられる「官人」と,四等官や史生(ししょう)の下で実務にあたった雑色人(ぞうしきにん)・書生(しょしょう)の系譜を引く「在庁」とが区別された例もあり,一体のものとして扱われるのは平安末からか。鎌倉時代には守護との結びつきを強め,幕府による諸国支配にも貢献した。

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旺文社日本史事典 三訂版 「在庁官人」の解説

在庁官人
ざいちょうかんじん

平安中期以後,国衙 (こくが) において国司の命により実務にあたった地方役人の総称
遙任 (ようにん) の際,国司は在京して任国には目代を派遣し,その下に在庁官人を置いて事務を委任した。多くは地方豪族が任命され世襲し,しだいに武士化していった。その役所を留守所とも呼ぶ。

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世界大百科事典(旧版)内の在庁官人の言及

【税所】より

…平安中期以降の国衙在庁機構である〈(ところ)〉の一つで,正税(しようぜい),官物(かんもつ)の収納勘会事務を分掌する分課。国司が任命する目代,(惣大)判官代,録事代などの在庁官人によって構成される。990年(正暦1)柞原宮宮師仙照が豊後国司に季供田1町の官物免除を申請した愁状に対する税所の勘申を初見とする。…

【守護領】より

…鎌倉時代のものとしては1235年(嘉禎1)に幕府が認めた安芸守護藤原親実の例が著名である。それは国府ならびに同近辺の郡地頭職,在庁兄部(このこうべ)職(国衙在庁官人の支配・指揮権をもつ),祇園神人兄部職(交通・商業活動を行う祇園社神人の支配権をもつ),国内に広く分布する久武名(有勢な国衙在庁の仮名)などから成っており,これらは前守護武田信光さらに宗孝親の体制を継承したものであった。守護宗孝親は在国司で在庁兄部を兼帯していたが,承久の乱の際朝廷方に属してそれらを没収された。…

【船所】より

…梶取には免田が与えられていた。これらの下級職員を統轄したのは,他の〈所〉と同じく目代・検校・(惣大)判官代などの在庁官人であったと思われる。【下向井 竜彦】。…

※「在庁官人」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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