坂本龍馬(読み)さかもとりょうま

共同通信ニュース用語解説 「坂本龍馬」の解説

坂本龍馬

高知城下土佐藩郷士の家に生まれる。江戸に出て北辰一刀流を学んだ後、故郷に戻って尊皇攘夷じょういを掲げた土佐勤王党に参加。その後に脱藩し、討幕運動に携わった。この間に幕臣の勝海舟かつ・かいしゅう長州藩木戸孝允きど・たかよし薩摩藩西郷隆盛さいごう・たかもりらと交流。日本最初の商社と言われ、後に海援隊となる亀山社中を結成し、薩長同盟大政奉還の実現に尽力した。宿泊していた京都の近江屋で、盟友の中岡慎太郎らといたところを襲撃され、暗殺された。

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精選版 日本国語大辞典 「坂本龍馬」の意味・読み・例文・類語

さかもと‐りょうま【坂本龍馬】

  1. 江戸末期の尊攘派志士。海援隊長。土佐藩出身。一九歳で江戸に出て北辰一刀流を学ぶ。文久二年(一八六二)脱藩して勝海舟の門にはいり、彼を助けて幕府神戸海軍操練所の設立に努力。のち討幕派を結集し薩長同盟を仲介、前土佐藩主山内豊信を説いて大政奉還を成功させたが、京都で刺客に暗殺された。天保六~慶応三年(一八三五‐六七

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「坂本龍馬」の意味・わかりやすい解説

坂本龍馬
さかもとりょうま
(1835―1867)

幕末の志士。天保(てんぽう)6年11月15日、土佐国(高知県)高知城下本丁(ほんちょう)一丁目に郷士坂本八平の次男に生まれた。実名は直柔(なおなり)、変名は才谷梅太郎(さいだにうめたろう)。本家は富商才谷屋で、曽祖父(そうそふ)兼助が郷士(ごうし)株を取得して分家した町人郷士。領知197石など家産があり裕福であった。幼少時愚鈍の評があったが、城下築屋敷(つきやしき)の日根野(ひねの)弁治道場での剣術修行でたくましくなった。1853年(嘉永6)3月、江戸に出て北辰(ほくしん)一刀流千葉定吉道場に剣を学び、1年余で帰国。1856年(安政3)8月、ふたたび江戸に出て剣技を磨き、剣士として知られ、北辰一刀流の免許を得、1858年9月帰国。1861年(文久1)8月土佐勤王党が結成されるやこれに加盟。10月剣術修行を名目出国、翌1862年1月には長州萩(はぎ)に久坂玄瑞(くさかげんずい)を訪(とぶら)い、帰国後3月24日脱藩。大坂、京都を経て江戸へ出た。

 在郷当時、海外事情に詳しい絵師河田小龍(しょうりゅう)の通商航海論に共鳴していた龍馬は、江戸で異色の幕臣勝海舟(かつかいしゅう)を訪い、その見識に感激して入門、単純な攘夷(じょうい)論を捨て、航海術を修業し、勝の信頼を受け、勝を補佐して活動した。1863年には、勝の主唱による神戸海軍操練所の設立に東奔西走、10月その塾頭となったが、1864年(元治1)10月には勝の突然の失脚によって、操練所は解散された。この間、龍馬は松平春嶽(しゅんがく)(慶永(よしなが))、横井小楠(しょうなん)、三岡八郎(由利公正(ゆりきみまさ))、大久保一翁(忠寛(ただひろ))ら開明の人士らの知遇を得、西郷隆盛(さいごうたかもり)とも知り合った。

 操練所解散後、龍馬は薩摩(さつま)藩の保護を受け、1865年(慶応1)5月ごろ、同志を率いて長崎に商社(亀山(かめやま)社中)を設けて通商航海業に乗り出し、これを媒体として倒幕のため薩長2藩を同盟させる運動に奔走、中岡慎太郎(しんたろう)と協力して翌1866年1月20日には京都で薩長同盟を成立させた。その直後の23日、伏見(ふしみ)寺田屋で幕吏の襲撃を受け、寺田屋の養女お龍(りょう)の機転で危うく難を免れ、お龍と結婚した。薩長同盟の成立は幕府の長州再征を失敗に導いた。

 1866年土佐藩が貿易のため長崎に設けた土佐商会に出張してきた参政後藤象二郎(しょうじろう)(かつての土佐勤王党の弾圧者)と龍馬は翌1867年1月に会談。山内容堂(ようどう)の公武合体路線の行き詰まりから方向転換を求めていた土佐藩は、龍馬と中岡慎太郎の脱藩の罪を許し、龍馬は海援隊長、中岡は陸援隊長となった。6月、後藤とともに藩船で京都に向かう船中で龍馬は、大政奉還、公議政治などの新国家構想をいわゆる「船中八策」としてまとめたが、これが土佐藩論を動かし、10月山内容堂は将軍徳川慶喜(よしのぶ)に大政奉還を建白、慶喜はこれをいれて朝廷に奉還を上奏、朝廷は10月15日これを許可し大政奉還は実現した。その後も龍馬は土佐、長崎、福井などを奔走、新政府の構想を練っていたが、11月15日夜、京都の下宿近江屋(おうみや)で中岡慎太郎と会談中、幕府見廻組(みまわりぐみ)に襲われて斃(たお)れた。年33。贈正四位。

[関田英里]

『平尾道雄著『坂本龍馬・海援隊始末記』(中公文庫)』『池田敬正著『坂本龍馬』(中公新書)』『山本大著『坂本龍馬』(1974・新人物往来社)』


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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「坂本龍馬」の意味・わかりやすい解説

坂本龍馬
さかもとりょうま

[生]天保6(1835).11.15. 土佐
[没]慶応3(1867).11.15. 京都
幕末の尊王攘夷派志士。倒幕運動に多大な貢献をした。本名直柔(なおなり),別名才谷梅太郎,通称龍馬。土佐藩郷士の出身。江戸で剣術修行中に知った武市瑞山久坂玄瑞らの影響を受けて尊王攘夷運動に入り,文久2(1862)年脱藩して江戸で幕府の軍艦奉行勝安房守(勝海舟)の知遇を受けた。航海術に専心する一方,勝とのつながりから薩摩藩の援助を受けて長崎で洋式銃砲の取り引きを行なう貿易商社亀山社中を設立,慶応2(1866)年薩摩藩と長州藩の間を斡旋して両藩の和解,盟約を成立させた(→薩長同盟)。慶応3(1867)年に脱藩の罪を許され土佐藩に戻り,亀山社中を海援隊と改め藩と密接に結んだ。長崎から上京する藩船の中で土佐藩士後藤象二郎と国家構想「船中八策」をまとめ,土佐藩はこの案を元に将軍徳川慶喜大政奉還を建白した。討幕派と佐幕派の調停,融合をはかることに土佐藩の勢力拡大の道を求め,朝幕連合政権による新体制樹立を謀議中,同志中岡慎太郎とともに京都の旅宿近江屋で刺客に暗殺された。

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防府市歴史用語集 「坂本龍馬」の解説

坂本龍馬

土佐藩[とさはん](高知県)出身の志士で、対立していた長州藩[ちょうしゅうはん]と薩摩藩[さつまはん]との間に薩長同盟[さっちょうどうめい]を成功させるのに力を尽くしましたが、大政奉還[たいせいほうかん]の直後、同じ土佐藩出身の志士中岡慎太郎[なかおかしんたろう]とともに京都で暗殺されました。彼は防府を訪れたとき、宮市の旅館、藤村屋の離れ(暁天楼)の板戸に走り書きを残しています。

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デジタル大辞泉プラス 「坂本龍馬」の解説

坂本龍馬

黒鉄ヒロシによる漫画作品。坂本龍馬の逸話に作者独自の解釈をまじえて描いた歴史漫画。描き下ろし作品。PHP研究所から1997年に全1巻で刊行された。第2回(1998年度)文化庁メディア芸術祭マンガ部門 大賞受賞。

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