神奈川県南東部、三浦半島の南端にある島。三浦市に属する。東西1.8キロメートル、南北200~300メートル、周囲約4キロメートル、面積0.99平方キロメートル。1808年(文化5)浦賀奉行(うらがぶぎょう)が江戸(東京)湾警備のため、東端の安房(あわ)崎に砲台を築き、また第二次世界大戦終了まで海軍の砲台があって要塞(ようさい)地帯となっていた。北原白秋の『城ヶ島の雨』の詩でここの風光が歌われてから一躍有名になった。1960年(昭和35)城ヶ島大橋が開通してから観光客が急増し、油壺(あぶらつぼ)、観音(かんのん)崎(横須賀(よこすか)市)とともに三浦半島観光の中心地となっている。島は岩礁で巡らされ、平らな台地状地形をなし、周りは切り立った崖(がけ)になり、海食洞も多い。ここはまた海の生物(とくに魚と貝類)からは相模湾(さがみわん)と浦賀水道との生息境界帯をなし、漁労用具がまた分界をなすことでも知られる。南側の崖はウミウ(県指定天然記念物)やクロサギの生息地として知られ、自生のスイセンは1月に開花する。西端の長津呂(ながとろ)崎には灯台があり、付近はホテル、食堂、売店が集中し観光拠点となっている。東部は県立城ヶ島公園になっており、また城ヶ島大橋の下に白秋詩碑がある。京浜急行電鉄三崎口駅からバスが通じる。人口635(2000)。
[浅香幸雄]
神奈川県南東端,三浦半島最南端にある島。三浦市に属する。対岸の三崎港との間は幅約500mの瀬戸で,城ヶ島が三崎港の自然の防波堤をなしている。東西約2km,南北500m,標高約30mの台地状の小島だが,東京湾口に位置することから,江戸期以来海防上重視されてきた。東端の安房(あわ)崎には1648年(慶安1)烽火台(のろしだい)が設けられ,1808年(文化5)には砲台が設置された。西端の長津呂崎には城ヶ島灯台があるが,ここも灯明台の跡地で,1870年(明治3)から洋式灯台に変わった。三崎との間に1960年全長575mの城ヶ島大橋が完成した。大橋のたもとに北原白秋の《城ヶ島の雨》の詩碑がある。島の北岸は埋め立てられて工場用地となり,灯台博物館(現在は廃館),県水産試験場(現,県水産技術センター)などの建物が並ぶが,南岸は絶壁でウミウの生息地として知られる。
執筆者:伊倉 退蔵
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