堀や土塁・石垣などにより,外敵の攻撃を防いだ施設。日本では弥生時代の環濠(かんごう)集落にさかのぼり,古墳時代には長方形の堀と柵(さく)・土塁を巡らせた豪族居館が出現。律令制の確立とともに在地の有力者による築城はいったん途切れるが,7~8世紀には朝鮮半島との政治的緊張のなかで西日本に神籠石(こうごいし)や朝鮮式山城が築かれた。同じ頃東北では蝦夷支配のために柵が造られたが,秋田から道南の地域にかけては,10~11世紀に柵や村ごとの環濠集落が濃密に築かれた。平安中期以降,各地の武士的土豪により築かれ始めた館(たち)には,13世紀頃から堀と土塁を巡らせたものが現れ,南北朝期には本格的な山城や館と城の機能をあわせもった館城(やかたじろ)が一般化した。室町時代には守護の拠点として巨大な館が成立し,天文年間を境に城下と一体化し居住機能を備えた山城が出現。永禄~天正期に地域性豊かな城館が重層的な社会構成に対応して築かれたが,織豊政権による天下統一とともに地域性が失われ,近世城郭は画一的な織豊系城郭として完成した。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
…人類の発生以来争闘は絶えることなく,定住生活が始まるとともに外敵の侵入に対する防御が必要とされたが,集落が形成されると集落単位で柵や環濠を設けたことが知られる。日本でもすでに弥生時代の集落址にこうした例が多くみられ,これらがのちの城郭の先駆的形態と考えられる。しかし整備された城が特に必要とされるのは都市や国家の成立に伴ってであり,他の国家・種族の襲来に備えることはもちろん,領内の被支配者からの攻撃に備えて城を営むことも,世界各地で近世まで行われた。…
…博徒などが勢力圏を縄張りとよぶ例は,江戸時代初期からみられ,今日ではアウトローの世界だけでなく,一般社会や動物の生態におけるテリトリーに関しても用いられている。
【城郭の縄張り】
中・近世城郭の場合,縄張りは全体の平面計画,平面形態を指す。城郭研究において,現存する城跡の構造を確認して,その防御上の意味を解釈しつつ詳細に描いた図を縄張図と呼んでいる。…
…寛永年間(1624‐44)に六条三筋町から移転した遊郭島原も堀と塀で囲まれ,大門を開けていた。近世城下町の堀には,城郭をめぐる内堀,城下町を部分的に取り込んだ外堀,あるいはその中間にあたる中堀があり,その形状によって,長方形の箱堀,断面が逆台形状の薬研堀(やげんぼり),片方が垂直で片方が傾斜する片薬研堀などがある。中世,山城の空堀では,岸の傾斜の方式に毛抜き,堀込み,猿すべり,駒返しなどがあったという。…
※「城郭」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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