日本歴史地名大系 「塩川村」の解説
塩川村
しおかわむら
現塩川町の中央南部を占め、西流する
「塔寺長帳」応永二五年(一四一八)一月条裏書には「塩河陣」「塩河野御陣」などとみえ、応永年間の
永正二年(一五〇五)に起こった蘆名盛高・盛滋父子の対立では、同年一〇月九日に「しほ川へ両方折立」橋詰に攻め寄せての合戦となり、同月一四日盛滋方は敗れて、出羽
塩川村
しおがわむら
- 長野県:須坂市
- 塩川村
現須坂市中央部。北は
慶長七年(一六〇二)川中島四郡検地打立之帳には、「五百六拾石五斗六升 塩川村」とある。
塩川村
しゆがーむら
塩川村
しおがわむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報