翻訳|epitaph
一般に墓石に刻まれた銘文をいう。ただし,墓石のみならず棺その他に記されたものをも含む。墓石などに銘を刻んで故人を追憶,顕彰する習俗は,洋の東西,古今を問わず広くみられる。ここでは西洋におけるその伝統の源流というべき古代ギリシア・ローマ世界の墓碑銘について述べる。東洋に関しては〈墓誌〉の項目を参照されたい。なお,銘文は,とくに西洋では故人自らの作になる場合もあり,有名なものが少なくない。
ギリシアにおいては前700年ころから,ローマにおいては前200年代から跡をとどめ,古代末期まで続き,さらに中世以降に受け継がれていく。詩文あるいは散文でつづられた碑銘は地中海,黒海の沿岸諸地から,また内陸から発見・収集されており,古代墓碑銘の総数はギリシア語のもの数万編,ラテン語のもの数十万編と称されるが正確な数はとらえがたい。
ギリシア語碑銘の最も単純素朴な形は故人の名のみを記したもの,あるいは〈誰それの屍ここに眠る〉という簡潔な散文体のものなどで,この形は最古期から後代まで使われている。碑銘がエレゲイア詩形(エレジー)やその他の短詩形を用いてつづられる傾向が漸増するに及んで,詩文の措辞や詩的連想がしだいに顕著となり,碑銘そのものが独白ないしは呼びかけの文章で記される。故人その人や,あるいは墓碑が〈旅人よ〉と読者(墓石の前にたたずむ人)に語りかけ,故人の思いや最期のさまを告げる言葉が,碑銘として刻まれるのである。このような碑銘に姿を現しているのは富顕の人々ばかりではなく,社会のあらゆる階層,職種の男女が含まれており,娼婦や奴隷の例も少なくない。また馬や犬など愛玩動物の墓碑銘すら残っている。
キリスト教伝播以前のギリシアでは死後の世界について明確な教義が存在していなかった。墓碑銘からうかがわれるところでは,死者の魂は肉体から離れるとどこかへ飛び去るが,行先は天上,地下,別世界(極楽)のいずこでもありうる。極端に懐疑的な碑銘は死後は何も存在しないと告げ,また逆に死後愛する人との再会を語っている楽観的碑銘もある。数多いギリシアの墓碑銘は,死という不可知にしてなお厳然たる事実に向かって古代人が投げかけた千々の思いの万華鏡といっても過言ではなく,おのおのの簡潔な言葉の中にも深い人間性をたたえている。
ローマ人の墓碑銘には,ギリシア人の墓碑銘からの文芸的影響が顕著に看取される。しかし,ラテン語碑銘にはまた,ローマ人固有の特色も著しい。最古の碑銘から,著名人の場合には職歴cursus honorum一覧が刻まれており,この習慣は歴代踏襲されている。また,ギリシア人の碑銘は内容は類似でも字句表現に変化を好む傾向が強いが,ローマ人の場合には同一内容については表現も一定の形式を整え,遂には〈汝に土の重み少なからんことをs(it)t(ibi)t(erra)l(evis)〉などの慣用句を略記(s.t.t.l.)するほどに,実用的態度があらわとなっている。これは後世,英語圏で〈Here lies……〉が墓碑銘の常套とされることと共通するものである。また故人の美徳をたたえる追憶の言葉を長大な詩文につづり,故人の伝記の体裁をもつものも少なくない。とくに愛する妻に先立たれた夫が刻ませた墓碑銘には〈トゥリア追悼文〉のごとく有名なものもあり,その内容が真実ならばローマ人の家庭生活における婦人の地位は高かったと言わねばならない。死を思うことが今日でも人間性を支える基柱であるとすれば,古代の墓碑銘がわれわれに告げている事がらは,なお汲み尽くすことのできない重みをもつ,と言ってよいだろう。
執筆者:久保 正彰
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
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