売官(読み)バイカン

デジタル大辞泉 「売官」の意味・読み・例文・類語

ばい‐かん〔‐クワン〕【売官】

金銭財物を納めさせ、その代償官職を授けること。特に平安時代国費不足を補うために盛んに行われた。→売位

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精選版 日本国語大辞典 「売官」の意味・読み・例文・類語

ばい‐かん‥クヮン【売官】

  1. 〘 名詞 〙 金銭・財物を納めさせ、あるいは造営を行なわせるなどして、それを代償として官職を授けること。
    1. [初出の実例]「請売官事」(出典:本朝文粋(1060頃)二・封事三箇条〈菅原文時〉)
    2. [その他の文献]〔後漢書‐霊帝紀〕

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改訂新版 世界大百科事典 「売官」の意味・わかりやすい解説

売官 (ばいかん)

爵位,官職を金銭とひきかえに譲渡する慣行,制度をいう。一般には官職売買ともいわれる。

中国の場合,時代により貲選(しせん),進納,捐納(えんのう)など呼称は変わるが,米穀または金銭上納の代償として爵位,官職を与える制度は秦・漢にさかのぼる。納粟授爵は商鞅(しようおう)時代にあったとされるが,始皇帝4年(前243)には粟千石を納めれば爵一級が与えられた。前漢の文帝は鼂錯(ちようそ)の建言で,600石から1万2000石の納粟者に段階に応じて爵を授けた。これは農民の疲弊救済,富民の財の分散,辺境防備軍の糧食充実など一石数鳥をねらった政策である。後世にいたるまでみられる辺防軍への糧食輸納と売官の関係はここに始まる。景帝時代には旱災の食料調達のための売爵も始まり,武帝の元鼎2年(前115)には武功爵11級を売り,最下級が17万金といわれた。さらに武帝時代には財政窮乏の対策として,奴婢,牛羊の上納にも郎の官を与えはじめ,卜式(ぼくしき)や黄覇(こうは)のように巨額の金銭を納めて郎中などの官職を得た者もあった。後漢以後もこの制度は続くが,戦乱や災害時などで財政が窮迫したときに臨時的に実施されるのが普通で,また,たとえば宋代では授与される官は低い位階に限られ,その官員数も全体の2%程度にしかすぎなかった。

 ところが明代にいたって状況は一変し,それまで進納とか納粟補官と呼んでいた売官は捐納として定着する。1450年(景泰1)以後,捐納が定制化し,とくに国子監生の捐納が進み,15世紀末には6000~7000人に達し,下級官員に任命されていった。これは臨時的な売官ではなく,一定の財源として実施された点に特色がある。清朝では康煕初年,三藩の乱鎮定にあたり,経費補塡のため知県500を売り,以後も必要に応じて売官を行った。1851年(咸豊1)にいたり籌餉(ちゆうしよう)事例の章程58条が作られ,捐納は定制拡大化し,太平天国のための軍費調達に釐金(りきん)とともに役立たせた。その種類も中央の郎中,地方の道台以下,実職,称号など数多く,収入額も1885年(光緒11)の150万両が94年には1047万両に達している。清末官員の腐敗も捐納を助長し,1901年停止令が下った。
執筆者:

国家の財政制度として,公然と希望者を募り,任料,叙料を納入させて任官,叙位を行う売官・売位制度が,平安時代を中心に鎌倉時代に及んで行われた。年官年爵および成功(じようごう),栄爵がそのおもなものである。いずれも平安時代に入って調・庸の粗悪化,未納が増加し,国家財政が困難になるとともに食封(じきふ)に頼っていた皇族,貴族の経済も窮乏したため,その弥縫(びほう)策の一つとして,前者について成功,栄爵,後者について年官,年爵が成立した。

 成功は宮殿,寺社の修造や諸行事の経費を私財で負担した者などを任官させる制度であり,初期を過ぎるころから行われ,また栄爵は同様の者を叙爵させる(五位を授ける)制度であり,同じころに成立した。一方,年官,年爵は合わせて年給といい,これより早く発生した。年給は年料給分の意味で,毎年所定の官職に所定の人数を申任する権利を与えて収入を得させるのが年官であり,所定の人数の叙爵を申請する権利を与えて収入を得させるのが年爵である。皇族,貴族の収入のためという点からみれば,一種の反律令的封禄制度といえる。年官,年爵を給された者すなわち給主は,それぞれについて任官・叙位希望者を募り,任料,叙料を納めて自己の所得にする。年官は9世紀の半ば近くから三宮に給することに始まり,やがて親王に広がり,同世紀末には上皇から公卿,掌侍にまで及んだ。年爵はやや遅れて三宮に賜ることに始まったとみられるが,同じく9世紀末までには上皇や東宮に及び,さらに藤原良房以後,人臣にも三宮に准じて年爵を給することが行われた。

 年官,年爵は格や式によって成立したものではなく流例に従って行われていたが,寛平年間(889-898)にいたって制度化された。そのさい宣旨によって定められた給主の範囲と給数は,上皇・東宮・三宮に叙爵1人(ただし三宮にはさらに女爵1人)・内官1人・掾1人・目1人・一分3人,親王に目1人・一分1人,太政大臣に目1人・一分3人,左右大臣に目1人・一分2人,大中納言に目1人・一分1人,参議に目1人・一分1人,尚侍に目1人・一分1人,典侍・掌侍に一分1人である。ただし三宮に准じて年官,年爵を賜る者すなわち准三宮(じゆさんぐう)は三宮と同数。このほか内給として掾2人・目3人・一分20人があり天子の給とされているが,この中の一分20人は乳母,女房に賜る年官と,側近の雑用に従う者自身を補任する場合とを合わせたもので他と異なる。しかし年官と成功の盛行によって任料が下落し,さらに応募者が絶えるようになると,成功ばかりでなく年官の場合も種々の便法で上級官職を当て,やがて臨時給として権守にまで及んだ。また年爵も叙爵にとどまらず加階も認められ,行事賞という形で行われる一種の成功の場合と同じく正二位にまで及んだ。平安時代末期の公卿で両者による叙爵ないし加階を経ていない者はほとんどない。
執筆者:

ヨーロッパの歴史では,まず中世のカトリック教会における聖職売買という形であらわれた。封建制が克服され,政治的な中央集権化が進むにつれて,この慣行は,世俗の君主が任命する官職保有者のあいだにも入り込んだ。この現象がとりわけいちじるしかったのは,官僚制がいち早く発展したフランスにおいてである。すでに15世紀後半以来,フランスでは,国王の財務官職や都市の役職の売買が非合法なかたちではびこりはじめたが,フランソア1世が,財政難を切り抜ける便法として,1522年新たに設けた諸官職を競売によって希望者に買いとらせる政策を開始したことから,売官は公然たる国家の制度へと転化するにいたった。16世紀末までに,この売官制は,財務官職のみならず司法官職やさまざまな行政官職にもおし広げられ,国王財政の重要な収入源となった。1604年のポーレットPaulette法で,毎年1月1日から2月15日までの間に,当該官職の評価価値の60分の1にあたる金を国に払えば,役人は自己の保有する官職をいつでも他人に譲渡できることとなったが,これは事実上官職の世襲が公認されたことを意味する。こうしてフランスの官職売買は,おびただしい新官職の設置を伴いつつ,17世紀に最盛期を迎え,アンシャン・レジームの末期まで続いた。フランス革命で売官は廃止されたが,保有者の既得権と結びついている官職を無償でとりあげることは不可能だったため,革命政府は莫大な金を払って官職を買い戻さねばならなかった。

 ヨーロッパにおける売官という現象の歴史的前提は,貨幣経済が普及する一方で,公的権利と私的権利の区別を知らぬ中世的な法観念がなお根強く存続していたところにある。このような観念のもとでは,官職の保有が,単に公務執行の権能と結びつくだけではなく,一種の栄誉を伴う身分的な特権として意識された。同時にまた,当時の国家の財政力では,官吏の生活を俸給だけで保障することが難しかったので,〈役得収入〉つまり官吏がその公務執行の見返りとして民間人から徴収する手数料が,官吏の収入の重要な部分を占めていた。このような諸条件のもとで,官職の購入は,身分制的社会秩序の中での地位の向上,平民の貴族身分への上昇のチャンスとなったのみならず,それは役得収入や免税の特権を獲得するための投資を意味した。したがって,官職を買った者はできるだけ役得収入を増やそうとつとめ,そこからさまざまの不正,汚職が誘発されることとなった。売官の風は,フランスのように公認されなかったにせよ,ドイツ,イタリア,スペインなどの国々にもあらわれ,市民革命をへた18世紀のイギリスでも,官職はしばしば貴族の家産とみなされていた。フランス高等法院の裁判官は売官制が生んだ官職貴族(法服貴族)の典型である。
執筆者:

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普及版 字通 「売官」の読み・字形・画数・意味

【売官】ばいかん(くわん)

官位を売る。〔後漢書、霊帝紀〕初めて西邸を開いて官を賣る。關侯・虎(こほん)・林よりして、入錢各り。私(ひそ)かに左右をしてを賣らしむ。は千は五百なり。

字通「売」の項目を見る

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「売官」の解説

売官
ばいかん

財物進納や造営請負の代価として官職を与えること。8世紀の続労銭(しょくろうせん)をその源流とみることもできるが,本格的な売官は9世紀中期に始まる年官の制を嚆矢(こうし)とする。さらに10世紀後期には成功(じょうごう)による任官が始まり,院政期には国家財政の主要部分をになうまでになった。任じられる官職は,年官では外官二分以下が大部分であったのが徐々に上級官職や内官に及び,成功では院政期以降,受領(ずりょう)を中心としていたのが衛府の下級官などの内官にまで拡大した。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「売官」の意味・わかりやすい解説

売官
ばいかん

売位・売官

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