江戸時代初期の商店はほとんどが夕刻までの営業だったので,夜の営業は特別なこととされて夜店といわれたが,のちには露店商人が夜になって出店することだけをいうようになった。〈よみせ〉と称する夜間営業は,1725年(享保10)江戸の吉原の遊廓が官の許可を得て,灯火を明るくともして客を迎えたのがはじまりだとされている。夜店が許可になってから,露店商人が夏の夕涼み客を対象にして縁日や祭礼その他の催事のときなどに夜店をだすようになった。江戸時代末期の江戸では縁日に夜店はつき物とされていて,夜店商人の口上をきいて歩くのを楽しみとすることもあった。
明治中期ごろからは,夜店の灯火としてアセチレンガスが使われるようになったので,夜店は明るさを増し,にぎわいも増した。浅草に近い柳原土手の古着・古道具の夜店は江戸時代からにぎわっていたし,東京になっての新しい盛場の銀座の夜店は昭和10年代までは東京名物の一つだった。柳原や銀座の夜店は常設だったが,縁日祭礼の夜店はそのときかぎりで,多くの場合土地のてきやが店の配列をきめて管理した。夜店には昼の露店とちがって,夜にふさわしい配列がなされた。夜店がさかんだった大正時代から昭和初期へかけての,東京での夏の夜店の配列は,入口のところに植木,虫売り,演歌師,易者,中ほどに金魚すくい,氷菓子,薬品,詰将棋,五目並べ,古本,おでん,小間物,本堂や社殿の近くには古着,綿菓子,気合術の本,ガマの油などが出店した。太平洋戦争後には夜店はさびれた。
執筆者:加太 こうじ
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
夜間に露天商が開く出し店。もとは1725年(享保10)江戸・吉原で許可された夜間営業をさしたが、19世紀、京坂地方で「乾(ほ)し見世」、江戸で「天道干(てんとぼし)」といった露天商が、道路や社寺の境内、門前で夜間に出す店をもさすようになった。これは大坂が早く、江戸では文政(ぶんせい)年間(1818~30)に現れた。夜店全体は香具師(やし)に統制され、新古種々雑多の品物が扱われた。明治以後、アセチレン、電灯へと照明が改良され、夜店は盛んになっていったが、現代は祭礼、縁日や特定の場所にのみ制約されている。
[佐々木日嘉里]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
…それはその活動を指揮命令しその結果を統一する場所でなければならないから,工場や倉庫は営業所ではない。また,ある程度の継続性が必要であるから,一時的な売店や移動的な夜店は含まれない。1個の営業につき数個の営業所を有することができるが,その場合,主従関係により本店と支店に区別される。…
※「夜店」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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