精選版 日本国語大辞典 「大同」の意味・読み・例文・類語
だい‐どう【大同】
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中国、山西(さんせい)省北部の地級市。管轄下に同名の県もある。永定河(えいていが)の上流桑乾河(そうかんが)や、その支流御河(ぎょか)が黄土高原を侵食してつくる盆地(桑乾盆地、大同盆地)の北西部に位置する。4市轄区、7県を管轄する(2016年時点)。人口339万2000(2014)。市の北は万里の長城を境にして内モンゴル自治区と接する。
モンゴル高原の遊牧民族の産する皮革、羊毛などの物産の集積地として発展し、現在も北京(ペキン)、太原(たいげん)、内モンゴルをつなぐ京包線(北京―パオトウ)、同蒲(どうほ)線(大同―華山(かざん))の交差点にあるほか、京原線(北京―原平(げんへい))も通るなど、交通の中心地である。また、大同県には2006年開港の大同雲崗(うんこう)空港がある。中華人民共和国の成立以後は山西省の石炭生産の中心地となり、全国でも有数の産出量を誇る。優良な炭質と豊富な埋蔵量が特長で、世界最大の石炭取扱量を誇る秦皇島(しんこうとう)港との間に石炭輸送鉄道の大秦線も敷かれており、石炭輸送の拠点となっている。そのほか石炭関連工業や食品工業が発展しており、山西省第二の工業都市である。
[秋山元秀・編集部 2017年10月19日]
古来、北方遊牧民族と漢民族との接触地帯にある要衝の地で、漢民族の勢力が安定しているときは、中原(ちゅうげん)や華北の地を守る最前線の拠点となったが、国内が乱れると、まず北方民族が侵入し、彼らの拠点をつくる地となった。この性格を示すように、万里の長城も大同の北を走る外長城と別に、南にもう1本、内長城(前者を辺墻(へんしょう)、後者を次墻(じしょう)とも称する)が築かれている。
漢代には辺縁の雁門(がんもん)郡に属し平城(へいじょう)県が置かれた。しかし後漢(ごかん)末に国内が乱れると、北方民族の一つである鮮卑(せんぴ)の占拠するところとなり、晋(しん)の永嘉(えいか)年間(307~312)に鮮卑の一部族である拓跋(たくばつ)部がここに南方侵入の拠点をつくってしだいに勢力を拡大した。やがて国名を魏(ぎ)(北魏)とし、盛楽(せいらく)(現在の内モンゴル自治区ホリンゴル付近)を北都、平城を南都として華北一帯の諸部族国家を併合し、398年平城を国都(代都)と定め、他地方から多くの住民を移住させ付近の開発に努めた。以後、孝文帝が494年に洛陽(らくよう)へ都を移すまで、中国北部の政治の中心地であった。その後もしばしば南下を図る北方異民族の跳梁(ちょうりょう)する地となり、とくに北京に都が置かれた時代には西北防御の要(かなめ)であった。明(みん)代には大同五衛などの軍事施設が設けられて、大同はその中心となり、前述の二重構造の長城が築かれたのもこのころである。市街も明代に増築され強固な城壁に囲まれている。
北魏の都であったとき、市の西、武周(ぶしゅう)山の山麓に開削された雲崗石窟(せっくつ)は、中国三大石窟の一つとして有名で、2001年世界遺産の文化遺産に登録された(世界文化遺産)。そのほか遼(りょう)・金(きん)時代の華厳宗(けごんしゅう)の中心であった華厳寺、唐代創建の善化寺、北魏時代に建てられた懸空(けんくう)寺などがある。
[秋山元秀 2017年10月19日]
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