日本歴史地名大系 「大和街道」の解説 大和街道やまとかいどう 京都府:総論大和街道京都と奈良を結ぶ近世の街道。京都―奈良間の主要路は、宇治橋(現宇治市)を経由する奈良街道(古北陸道)が古くから存在したが、文禄三年(一五九四)巨椋(おぐら)池を東西に分断する小倉(おぐら)堤(太閤堤)を築いた豊臣秀吉は、伏見弾正(だんじよう)町と向島(むかいじま)村(現京都市伏見区)間の宇治川に豊後(ぶんご)橋(現観月橋)を架設し、その堤防上を利用して向島から槇島(まきのしま)・小倉村(現宇治市)を通り、広野(ひろの)村(現宇治市)で奈良街道に合する新道を開いた。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
世界大百科事典(旧版)内の大和街道の言及 【橋本[市]】より …人口5万3469(1995)。古来,大阪方面から高野山への高野街道と,和歌山から大和への大和街道が十文字に交差し,かつ紀ノ川水運の河港でもあった。古くは市域西部に高野山領相賀(おうが)荘,北東部に石清水(いわしみず)八幡宮領隅田(すだ)荘があった。… ※「大和街道」について言及している用語解説の一部を掲載しています。 出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」