前2世紀ころより中央アジアのフェルガナ地方に存在したイラン系民族の国家およびその地方に対する漢人の呼称。大宛の原語や意味については諸説があるがまだ明確でない。前漢の武帝(在位,前140-前87)の時代に西域に出使した張騫(ちようけん)の報告によって初めて中国に知られるようになった。その頃の大宛は属下のオアシス70余,6万戸,人口30万を擁し,貴山城を治所とする王によって統治され,名馬やブドウの特産があったと伝わっている。武帝が名馬(汗血馬)の入手を目的として派遣した李広利の遠征軍に敗れ,一時,漢の影響下に入ったが,その勢力の後退とともに再び独立を回復した。しかしその後も往年の勢力は維持できなかったようで,周辺のオアシス国家の侵入に悩まされており,おそらく南西方のソグド地方のオアシス連合体に吸収されてしまったと考えられる。中国との交渉は3世紀末の西晋の初めまで継続しているが,これ以降は大宛の名は見えず,フェルガナの音訳である破洛那が用いられるようになる。
執筆者:堀 直
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