…しかしすべて散逸して,今日に伝わらない。701年(大宝1)に制定・施行された大宝令はこの令に準拠して撰定されたといわれるから,大宝令および大宝令を修訂した養老令(718年ころ撰定,757年施行,大部分が現存)に収める30編の編目の多くは,飛鳥浄御原令にも存したと推定されるが,確認できるものとしては,〈戸令〉(国家が人民をどのように把握するかということや,身分制などについての条文を収めた編目)と〈考仕令〉(官吏の登用と勤務成績審査についての条文を収めた編目)の二つがあるにすぎない。条文の復元も試みられているが,いまだ全容が明らかにされているとはいいがたい。…
…しかし律は日本にはなじみにくく,現実における効力も乏しかったとみられる。(2)令 法典の編纂は,近江令(おうみりよう)(ただし存在しなかったとする学説もある),飛鳥浄御原令(あすかきよみはらりよう)(689施行),大宝令(701制定・施行),養老令(718ころ編纂,757施行)の4度におよぶ。行政法規ないしは国家機構に関する規定を中心におく令は,社会組織の相違を超えて律よりもはるかに継受しやすいものであったから,法典の編纂も律に先行し,その内容も日本の実情に適合するようかなり改変されている。…
…このため時代別の令解釈学のありかたを知ることができ,今日研究者に本書が珍重される最大の理由となっている。なかでも重要なのは,738年(天平10)ころに成ったと推定される大宝令の注釈書〈古記〉であって,著者は不明だが,これによって大宝令の文章を部分的ながら知ることができる。〈釈云〉とする〈令釈〉以下はみな8世紀末から9世紀はじめにかけて成った養老令の注釈書で,成立の古い順にみると,〈釈云〉はその著者は不明だが半公的性格をもつ注釈書であり,〈跡云〉とする〈跡記〉は安都(あど)某の,〈穴云〉とする〈穴記〉は穴太内人(あなほのうちひと)の,〈讃云〉とする〈讃記〉は讃岐永直(さぬきのながなお)の〈令私記〉とみられている。…
※「大宝令」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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