おお‐やま おほ‥【大山】
[1] 〘名〙
※
万葉(8C後)一二・三一五三「み雪ふる越の大山
(おほやま)行きすぎていづれの日にか我が里を見む」
② 万一の幸運をあてにした大がかりな計画。
だい‐せん【大山】
※三教指帰(797頃)下「不レ削二大山一、入二於小芥一」
出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
デジタル大辞泉
「大山」の意味・読み・例文・類語
おお‐やま【大山】[地名]
神奈川県中部にある山。標高1252メートル。古来、修験道場として知られ、頂上に雨ごいの神の阿夫利神社、中腹には大山寺がある。雨降山。阿夫利山。
だい‐せん【大山】
鳥取県西部の火山。中国地方の最高峰で、標高1729メートル。古来山岳信仰で栄え、大山寺がある。伯耆富士。
おお‐やま〔おほ‐〕【大山】
1 大きな山。
2 思いきった賭けや勝負。また、山師の大計画。「大山を当てる」「大山が外れる」
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
大山
だいせん
県西部、中国山地北側にある死火山。群峰中の最高峰剣ヶ峯は標高一七二九メートルで中国地方の最高峰でもある。
〔地形〕
大山の呼称は火山活動による地形・地質などからとらえた場合、県西部から中部にわたる広い範囲をさし、現米子市、日野郡江府町・溝口町、西伯郡岸本町・淀江町・大山町・名和町・中山町、東伯郡赤碕町・東伯町・大栄町・関金町、倉吉市を含み、東は天神川、西は日野川、北は日本海沿岸部、南はほぼ江府町を流れる俣野川以北に及ぶ。南方の岡山県真庭郡北部も含まれる。このような広義の大山に対し、大山町南端を中心に中山町・赤碕町・江府町にまたがる大山山塊中心部の群峰も狭義に大山とよばれる。この群峰は大山主峰と東側に派生した東大山、山腹に点在する寄生火山、独立した火山ともみられている南側の烏ヶ山(一三八五・六メートル)までも含む。大山主峰は弥山(一七一〇・六メートル)・剣ヶ峯・三鈷峰(一五一六メートル)・野田ヶ山・宝珠山(一一二一・七メートル)などが北西に開いた馬蹄形状に連なる。東大山は大休峠から北へ矢筈ヶ山(一三五八・六メートル)・甲ヶ山(一三三八メートル)・勝田ヶ山(一一四九メートル)・船上山などが連なる。北・北西山腹の孝霊山(七五一・四メートル)・鍔抜山(七〇四・八メートル)・鈑戸山(五一五・一メートル)などがいずれも寄生火山である。大山主峰は剣ヶ峰を中心とする東西約四キロの範囲が急峻で、北壁は崩壊が激しく、エボシ岩・大屏風岩など岩場となっている。南壁には西から一ノ沢・二ノ沢・三ノ沢が並ぶ。西側は緩斜面で富士山形に広がり、この側が正面とよばれる。西側からの山容が美しいことから伯耆富士などともよばれている。なお山頂部の西端標高一六〇〇メートル辺りから緩斜面となっており、国指定特別天然記念物ダイセンキャラボクの純林が広がる。大山山塊は県中部、西部の東半を流れる主要河川の水源でもあり、東から小鴨川・加勢蛇川・勝田川・甲川・下市川・名和川・阿弥陀川・佐陀川・別所川・大江川・白水川・船谷川・木谷川・俣野川などが大山を中心に放射状に流下する。これらの河川上流部は急流で深い渓谷となり、大山滝・阿弥陀滝など滝もみられる。中流部には段丘、下流部には扇状地が形成される。山麓は地下水を豊かに蓄えている。
〔形成〕
大山は大山系火山群を代表する死火山で、有史以来活動の記録はなく、現在は解体期に入っているとされる。
大山
おおやま
丹沢山地の東部に位置し、厚木市の西部、伊勢原市の北西部、秦野市の北東部の接点にある。標高一二五一・七メートル。別名をあふりやま・あめふりやまといわれ、「雨降山」「阿夫利山」と書く。「風土記稿」によれば「大福山」「如意山」ともいわれる。
現在丹沢大山国定公園に含まれ、山麓の伊勢原市大山から徒歩またはケーブルカーで中腹まで登って頂上へ行くコースや、同市の日向方面から登るコース、秦野市蓑毛方面からのコースなどを利用して多数の登山客・観光客が訪れ、賑っている。相模平野一帯をはじめ、横浜・東京方面、房総半島などからも眺望でき、山容も美しく、古くから信仰の山として尊崇された。現在、大山には阿夫利神社が祀られており、山頂にはその上社(本殿)、中腹の標高約七〇〇メートル辺りには下社(拝殿)がある。阿夫利神社下社から女坂の方に下った所には雨降山大山寺(真言宗大覚寺派)がある。下社から見晴台へ向かう途中の二重の滝は雨乞の水汲場や大山登拝者の禊場であった。山麓にも登拝者が身を清める大滝・新滝・良弁滝・元滝などの小滝がある。二重の滝付近には老杉「のろい杉」があり、かつて丑の刻参りの呪い人形が打付けられた木という。この辺り一帯には樅の原生林が広がり、県の天然記念物に指定されている。山麓には通称を茶湯寺という誓正山涅槃寺(浄土宗)などの寺院や良弁堂・阿夫利神社社務所がある。また、大山登拝者を案内して泊める御師(現在は先導師とよぶ)宅や土産物店も山麓に軒を並べている。土産物としては木工品、とくに独楽が有名である。周辺部にはかつて修験者の蟠居した八菅(現愛甲郡愛川町)や日向、弘法山(現秦野市)など宗教者のいた所が多く、日向薬師(宝城坊)には現在でも参詣者が多い。明治初期の神仏分離以前は現在の阿夫利神社上社のある山頂には石尊社、下社のある中腹には大山寺不動堂があり、この二ヵ所が大山信仰の中心となっていた。江戸時代には中腹の不動堂までは常に誰でも自由に参詣できたが、山頂には石尊社の例祭である六月二七日から七月一七日までの二〇日間しか登拝が許されず、女人の山頂登拝は禁止されていた。中腹から山頂へ通じる女坂が蓑毛から山頂へ通じる道と合する場所に現在でも女人禁制の碑が建てられている。
〔歴史〕
「延喜式」神名帳には「阿夫利神社」が記載され、鎌倉時代初めには「大山寺」の名も現れる(「吾妻鏡」元暦元年九月一七日条)。
大山
だいせん
[現在地名]大山町大山
大山町南東部、大山北麓にある。北部に豪円山(六九一・五メートル)があり、大山山中に発した佐陀川が北西へ流下する。明治初年までは大智明権現堂(大山智明権現堂)をはじめ三院谷諸院などのある大山境内で、明治九年(一八七六)大山村となった。ただし同五年の「鳥取県御管内郡村名」では大山寺とある。現在は大山寺寺域のほかほとんどを山林と原野が占め、一帯は大山隠岐国立公園に指定されている。
明治三年雲浄筆の大山寺領総図(理観院蔵)などにより近世末までの境内の主要堂社・施設をみると、大山道のうち横手道は南から、尾高道は西から、坊領道は北から、川床道は東からいずれも大山境内へ向かい、横手道には木目山王、尾高道には仁王堂、坊領道には剣の目山王または鍵掛山王、川床道には動石山王が祀られていた。これらは今は残っていない。
大山
おやま
中世、与良郡内にみえる地名。嘉暦三年(一三二八)「大山津田次郎」は網漁につき二〇貫文を負担していたが、現在は網一張しか用いていないので一張分(一〇貫文)のほかは免じられている(同年正月一〇日「祐田書状」与良郷宗家判物写、以下断りのない限り同判物写)。同年大山宮内左衛門入道跡が子息の津田次郎に相続を認められている(同年一二月二八日少弐妙恵書下)。康永四年(一三四五)大山宮内允は、大山小次郎左衛門尉が船木を違乱すると塩屋百姓の源藤六らから申立てがあったので、これをやめるよう命じられている(同年二月一日少弐妙恵・顕景連署書下)。正平二四年(一三六九)七月五日の宗宗慶書下に「かうらいわたりの大山ふね」とみえ、大山宮内左衛門は朝鮮王朝との交易にかかわる船二艘の公事を免除された。
大山
おおやま
上井手集落の東に続く山で、標高三四八メートル。玉津岡の峰とか井出山の称もあり、西南麓に玉津岡神社がある。山中には松が多い。
<資料は省略されています>
は大山を詠んだものと思われる。
元禄一六年(一七〇三)の「相楽郡白栖村山役」なる絵図(「井手町史」所収)には「井手山御林山」と記され、幕府領林となっていた。また文政五年(一八二二)の井手村明細帳(宮本守三家文書)によれば大山・新四郎山・平山も「御林山」で、三山の落葉や下草を採取していた井手村では、採取料として毎年米一〇石を上納していた。
大山
おおやま
[現在地名]赤羽根町越戸
渥美郡第一の高峰で標高約三三〇メートル、これより渥美町境へ約二〇〇メートルの峰が続く。赤石山系の南端にあたり、山全体が松樹の林に覆われ、古生層の珪岩や粘板岩・砂岩よりなり、暖地性原生林が保存されている。
元禄四年(一六九一)の田原藩「万留帳」(田原町蔵)に、越戸村と和地村(現渥美町)が大山の所有権を主張して論争をした記事がある。この大山は冬季北西の寒風をさえぎり、南麓に常春の暖地をつくる。
大
山
おおつじやま
大日山塊の一端、標高一三六一メートル。立山町・上市町の境界、美女平の北方に位置する。芦峅寺日光坊伝来の「金峯山秘密修行次第」には、芦峅寺から立山へ向かう修験者ルートの重要地点として山名を記載。絵図では、文政八年(一八二五)に石黒信由が作製した越中四郡村々組分絵図(高樹文庫)以下多数の絵図にみえる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
大山
おおやま
山形県西部,鶴岡市北西部の旧町域。加茂台地 (→加茂 ) の東麓にある。 1890年町制施行。 1955年西郷村と合体。 1963年鶴岡市に編入。かつて高館山東麓の太平山に尾浦城 (大山城) と呼ばれる堅固な山城があった城下町で,天正年間は武藤氏が居城したが,のち鶴岡城主酒井備中守が分知され,次いで江戸幕府領となり代官所が置かれた。良質な水と庄内平野の米,三瀬の杉樽により元禄の頃より酒の醸造が始まり,寛政 10 (1798) 年に初めて製品が江戸に送られた。明治期には1万~3万石の酒が生産された。現在も銘酒の産地として知られる。城址は大山公園となり,サクラの名所。馬町にある椙尾神社 (すぎのおじんじゃ) の犬まつり (6月5日) は有名。
大山
おおやま
神奈川県西部,丹沢山地の南東端にある山。厚木,伊勢原,奏野の3市にまたがる。標高 1252m。新第三紀の御坂層から成り,壮年期のピラミッド型の山容が相模平野から目立つ。山頂に霧がかかりやすく,雨の前ぶれともなるので,雨降 (あふり) 山ともいわれ,古くから雨ごいの信仰を集めた。山頂には阿夫利神社の奥院,中腹に下社と大山寺があり,春夏には講中の登山者が多い。門前町の大山には宿坊を兼ねる御師の家や,飲食店,みやげ物店が並び,8月 27~29日の例大祭には白衣の登山者が目立つ。山頂からの展望は雄大で,富士山,箱根山,伊豆諸島,関東平野などを一望できる。山麓から下社までケーブルカーがある。丹沢大山国定公園に属する。
大山
だいせん
鳥取県西部にある山。標高 1729m。大山火山帯の主峰で伯耆富士とも呼ばれ,広大な裾野が開ける。中国地方の最高峰。外輪山の矢筈山 (1359m) ,船上山などと中央円頂丘の弥山,三鈷峰など多くの寄生火山から成る。中心の弥山 (1711m) はカルデラ内に新期に噴出したもので,角閃石安山岩から成る。北側は爆裂火口壁が浸食を受け急崖をなす。古くから修験者の道場として多くの信仰を集め,北西の中腹に大神山神社,大山寺がある。山頂付近にあるダイセンキャラボク純林は特別天然記念物。国民休暇村などもあり,夏季のみならず紅葉,スキーの名所として四季を通じて登山者が多い。大山隠岐国立公園に属する。
大山
おおやま
大分県西部,日田市中部の旧町域。筑後川の上流大山川流域に広がる。 1969年町制。 2005年日田市に編入。降水量が多いため,スギ,ヒノキの生育がよく,林業とシイタケの栽培が行なわれるほか,1961年からはウメ,クリの新植運動による果樹園が増えた。 1975年自然休養村に指定。東部は耶馬日田英彦山国定公園に属する。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
だいせん【大山】
鳥取県西部の火山。標高1729mの剣ヶ峰(けんがみね)は中国地方の最高峰(主峰弥山(みせん)は1711m)。日本海に近くそびえ,山容はきわめて雄大で伯耆(ほうき)富士の名がある。第四紀更新世中期に始まる新旧2期の火山活動によって形成された複式火山。旧期大山の活動は大量の角セン石安山岩質凝灰角レキ岩の噴出に始まり,輝石安山岩質溶岩の流出が続いて,直径三十数kmの大型の成層火山を形成した。その時できたすそ野は長い年月の間に放射状谷に深く刻まれながらも,北および東斜面に広く残っている。
おおやま【大山】
神奈川県中央部にある山。標高1246m。丹沢山地の南東端にあたり,南・東両斜面は断層崖をなす。ほとんど全山が丹沢大山国定公園に含まれる。山頂に石尊様と通称される式内社阿夫利(あふり)神社の奥宮,中腹に下社がまつられ,山麓の大山川沿いに講中登拝の宿坊街にはじまる門前町が発達する。古来信仰登山で知られ,箱根,高尾,御岳(みたけ)(武州御岳),三峰(みつみね)の諸山とともに関東西部修験道の中心地であった。
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
おおやま【大山】
山形の日本酒。酒名は、広島・西条、兵庫・灘とともに酒どころとして並び称せられた蔵元所在地「大山」に由来。総体的に淡麗辛口の味わい。純米大吟醸酒「吟雅凛匠」「吟麗貴一本」「ため息といき」、純米吟醸酒「特撰」、本醸造酒「ささの舞」などがある。原料米は山田錦、美山錦など。蔵元の「加藤嘉八郎酒造」は明治5年(1872)創業。所在地は鶴岡市大山。
出典 講談社[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクションについて 情報
出典 日外アソシエーツ「事典 日本の地域遺産」事典 日本の地域遺産について 情報
出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
大山(おおやま)〔日本酒〕
山形県、加藤嘉八郎酒造株式会社の製造する日本酒。純米大吟醸酒、特別純米酒などがある。
大山〔道の駅〕
出典 小学館デジタル大辞泉プラスについて 情報
世界大百科事典内の大山の言及
【伊勢原[市]】より
…人口9万8123(1995)。関東の農民の信仰を集めた大山(おおやま)参詣の宿場として早くから知られた。江戸から発した大山街道(矢倉沢街道)はここから分かれて坂路となり,大山山頂(1252m)に達する。…
【山帰り】より
…振付藤間大助。相模の雨降(あふり)山大山(おおやま)石尊大権現(阿夫利神社)へ参詣(さんけい)した江戸の勇みの男の帰途を描いたもので,木太刀や梵天(ぼんてん),わら細工のらっぱ等の小道具を使う。威勢のよい江戸の職人気質を見せ,新内節の《蘭蝶(らんちよう)》をはめこんだクドキ(口説)がある。…
【山開き】より
…この不入の禁を解いて,その年に初めて登山を許すのが山開きで,近世にはこの日に信者や講中の人々が山に登って御来光を仰ぐ行事が盛んになった。江戸では,大山(おおやま)に初山と称して6月に登る慣行があったし,富士山の山開きの旧6月1日には,町の富士塚に参詣・登拝する習俗があった。また,修験の山である月山や大峰山では,山開きに堂を開く戸開(とあけ)式が行われ,ともに旧4月8日であった。…
【良弁】より
…今日伝わる良弁僧正像は,1019年(寛仁3)11月16日に有慶が良弁忌を創行するのに際して作られたといわれ,持物の木造如意は奈良時代の製作にかかり,生前所持のものと伝えている。東大寺【堀池 春峰】
[伝承]
良弁は相州大山(おおやま)を開いたといわれ,その説話は大山縁起として江戸期の大山信仰とともに流布し,また《東海道名所図会》などによって広く世に知られるようになったとみられる。良弁は幼時に金色の鷲にさらわれ,両親は山々を探索したが行方不明となった。…
【大山寺】より
…鳥取県西伯郡大山町にある天台宗の寺。山号は角磐山。…
【鳥取[県]】より
…山地は杉,ヒノキなどの林業地として利用され,扇ノ山,氷ノ山,三国山などにはブナの自然林が残されている。 県西部の大山(だいせん)は伯耆富士とも呼ばれ,中国地方随一の標高を誇る二重式火山で,直径30kmを超す雄大なすそ野を有している。山頂部は顕著な浸食作用によってやせ尾根となり,西日本には珍しいアルプス的な地形を示している。…
※「大山」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報