デジタル大辞泉
「大師」の意味・読み・例文・類語
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だい‐し【大師】
- [ 1 ] 〘 名詞 〙 仏語。
- ① ( 大導師の意 ) 仏菩薩や高徳の僧を敬っていう語。
- [初出の実例]「大師慈育契二円空一、遠邁伝レ燈照二海東一」(出典:観智院本唐大和上東征伝(779)傷大和上〈法進〉)
- [その他の文献]〔四分律行事鈔資持記‐上一上〕
- ② 朝廷から高僧に賜わる諡(おくりな)。ふつう、死後その高徳をたたえて贈られるもの。中国では、唐代にはじまり、日本では貞観八年(八六六)、最澄に「伝教大師」、円仁に「慈覚大師」の称号を贈ったのが最初である。また、朝廷とは関係なく、私に一宗の者が敬称していう例もある。たとえば、天台宗の光定を別当大師と称するなど。
- [初出の実例]「夢達摩和尚、宝志和尚、南岳天台六祖大師、并日本国聖徳太子、行基和尚、叡山大師等、倶共来集」(出典:日本三代実録‐貞観六年(864)正月一四日)
- [その他の文献]〔杜甫‐贈蜀僧詩〕
- ③ 「大師」と呼ばれる高僧を本尊としてまつってあるところ。特に上野寛永寺の両大師と、川崎大師が有名。大師様。
- [初出の実例]「出替や馬買やうに髭を見ル 大師の鬮をはさむ傘〈山蜂〉」(出典:俳諧・末若葉(1697)上)
- ④ 「だいしこう(大師講)①」の略。
- [初出の実例]「二つ三つ大師の粥にたかる蠅」(出典:俳諧・新身(1705))
- [ 2 ] 弘法大師のこと。
- [初出の実例]「高野に参らせ給ひては、大師の御入定の様を覗き見奉らせ給へば」(出典:栄花物語(1028‐92頃)うたがひ)
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大師 (だいし)
大師範または大導師の意。釈迦,あるいはその教えを尊んで大師と称するが,中国において学徳すぐれ帝王の師となるべき高僧の敬称として用いられ,やがてもっぱら死後に贈られる諡号(しごう)となった。天台大師(智顗(ちぎ)),弁覚大師(慧遠(えおん))などがその例である。日本でも866年(貞観8)最澄に伝教(でんぎよう)大師,円仁(えんにん)に慈覚大師の号が天皇から贈られて以来,空海の弘法(こうぼう)大師など各宗の宗祖に贈られた。とくに空海の弘法大師の名は人々に親しまれ,単に〈大師〉といえば弘法大師を指す。また法然(ほうねん)は円光大師をはじめ現在までに七つの大師号がある。なお,勅諡によらず,一宗内で大師を私称することもある。
執筆者:中井 真孝
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大師
だいし
偉大なる師の意で、高徳の師に対する敬称として用い、また仏をさす場合もある。中国で、たとえば天台智顗(ちぎ)を智者(ちしゃ)大師、吉蔵(きちぞう)を嘉祥(かしょう)大師、法蔵(ほうぞう)を香象(こうぞう)大師などのように弟子や後世の人々が尊称したのに始まり、のちには朝廷から諡号(しごう)として追贈されるようになった。わが国ではもっぱら諡号として用いられ、866年(貞観8)最澄(さいちょう)に伝教(でんぎょう)大師、円仁(えんにん)に慈覚(じかく)大師と追諡(ついし)されたのを嚆矢(こうし)として、空海の弘法(こうぼう)大師など、以後近世に至るまで高徳の師に与えられた。
[藤井教公]
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大師
だいし
神奈川県北東部,川崎市川崎区の地区。多摩川下流の右岸にある。平安時代後期に真言宗智山派平間寺 (川崎大師) がおかれ,江戸時代には門前町としてにぎわった。大正初期には自然堤防上を中心に多摩川梨の大栽培地でもあった。明治末からの工場進出により,地先の埋立て地は石油化学を中心とする大工場地域となり,大気汚染が第2次世界大戦前から社会問題となっている。川崎港の一部の大師運河には,石油化学関連の専用埠頭がある。大師の節分会と毎月 21日に行われる縁日は関東一円からの人出でにぎわう。
大師
だいし
偉大な導師の意。仏の尊称,高徳の僧の尊称にも用いられる。中国をはじめとして,日本では朝廷から各宗の高僧に諡号として賜わった。最も古いのは貞観8 (866) 年7月最澄に贈られた伝教大師の号で,最近では 1962年に浄土宗開祖源空 (法然上人) が,従来の五大師号に加えて和順大師を贈られている。俗に「お大師さま」というときは弘法大師空海をさす。
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世界大百科事典(旧版)内の大師の言及
【楽師】より
…後世では音楽の師匠や演奏家一般を指すこともある。《周礼》春官には大司楽の下で下大夫の位にいるが,広義には楽師以下の大師,小師,磬師(けいし),笙師(しようし)などの師と付く楽人も包括して楽師と総称していたようである。その起源は《呂氏春秋》古楽に,黄帝時代の伝説上の人物で音律を定めた伶倫(れいりん)以下,歴代皇帝の音楽責任者の名が連なり,《史記》殷本紀にも楽師が周に逃げたと述べ,《史記》楽書に殷(いん)の楽師師延の名が見えるから,周朝の成立(前11世紀)以後に判定された雅楽をまたずともよいかもしれない。…
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