大御所(読み)オオゴショ

デジタル大辞泉 「大御所」の意味・読み・例文・類語

おお‐ごしょ〔おほ‐〕【大御所】

すでに引退して表面に出ないが、その世界で大きな勢力をもっている人。また、その道の大家として大きな勢力をもつ人。「政界大御所
親王隠居所。また、隠居した親王の尊称。
将軍の隠居所。また、隠居した将軍の尊称。江戸時代、特に徳川家康家斉いえなりをいう。→小御所こごしょ
[類語](1権威第一人者泰斗たいと大家たいか耆宿きしゅくオーソリティー達人名人名手妙手エキスパート巨星巨匠名匠名工巧手腕利き腕扱き腕達者手足れ手利き有能敏腕辣腕得手特技専売特許上手得意売り物十八番おはこお家芸お株お手の物達者堪能巧者得手物器用多才うまたく巧妙潰しが利くくする腕が立つ怪腕凄腕

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精選版 日本国語大辞典 「大御所」の意味・読み・例文・類語

おお‐ごしょおほ‥【大御所】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 親王の隠居所。また、その親王の敬称。〔康富記‐嘉吉二年(1442)一一月二六日〕
  3. 摂政関白の父を呼ぶ敬称。〔光源院文書‐慶長一六年(1611)三月〕
  4. 征夷大将軍、また、将軍の父の居所。また、その人の敬称。近世、多く用いられ、特に徳川家康、家斉をいう。⇔小御所(こごしょ)。〔吾妻鏡‐建仁三年(1203)九月六日〕
  5. 政界から隠退しても、隠然とした勢力を持っている人。転じて、その道の大家として、大きな勢力を持っている人。
    1. [初出の実例]「興行界の大御所といはれたあの室田さんがそれを聞いて」(出典:春泥(1928)〈久保田万太郎〉みぞれ)

おおみ‐もとおほみ‥【大御所】

  1. 〘 名詞 〙 ( 「おおみ」は接頭語 ) 天皇のおいでになるところ。天皇のおそば。
    1. [初出の実例]「喚上げたまへる髪長比売をば天皇の大御所(おほみもと)に請ひ白して」(出典古事記(712)中)

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旺文社日本史事典 三訂版 「大御所」の解説

大御所
おおごしょ

一般的には隠退した前将軍に対する敬称をいう
本来は天皇・皇族摂関など高貴な人の住居を呼んだ御所という語が,その人をさす敬称として用いられ,鎌倉幕府摂家将軍宮将軍が実現すると将軍にも適用され,ついで隠退した前将軍を大御所と呼ぶ慣例が生まれた。江戸時代,特に徳川家康および家斉 (いえなり) は隠退して大御所と呼ばれつつ,なお政治を左右したので有名。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大御所」の意味・わかりやすい解説

大御所
おおごしょ

大御所は本来,親王や公卿,将軍などの隠居所のことをいい,転じてその人々の尊称。江戸時代には徳川家康が,秀忠将軍職を譲ってみずから大御所と称した。家康ののち,秀忠,家斉が大御所となったが,家慶に将軍職を譲った家斉の大御所の期間長期にわたり,いわゆる大御所時代を現出した。

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百科事典マイペディア 「大御所」の意味・わかりやすい解説

大御所【おおごしょ】

大御所政治

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[日本酒・本格焼酎・泡盛]銘柄コレクション 「大御所」の解説

おおごしょ【大御所】

京都の日本酒。蔵元の「古林酒造」は昭和6年(1931)創業。現在は廃業。蔵は京都市伏見区東組町にあった。

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世界大百科事典(旧版)内の大御所の言及

【家督】より

…そして鎌倉時代的な家督の場合は,一族一門の利益代表,利害関係の調停者という点に本質があったが,室町時代以降になると,とくに有力家の家督らは,一家の利益を守るため,公を無視した専制的性格を示すのがふつうであった。そしてそれは,しばしば大殿,大御所の尊称をもって呼ばれた。【鈴木 国弘】
[近世]
 近世においては,主として家の経済的基礎となる財産すなわち家産を指して用いられたが,その相続人をも家督と呼ぶこともあった。…

【駿河国】より

…関ヶ原の戦で家康の覇権が成立すると秀吉支配下の一氏は移封され,家康譜代の内藤信成が駿府,大久保忠佐が沼津,天野康景が興国寺(駿東郡),酒井忠利が田中(藤枝)に配され,小藩分立となった。
[駿府の大御所]
 1605年家康は将軍職を秀忠に譲り,駿府を退隠の地と定め,翌年には駿府城主内藤信成を近江長浜に移した。そして07年大名助役で拡張工事中の駿府城に入った。…

【天保改革】より

…1836年には甲斐の郡内騒動,三河の加茂一揆など数万の農民をまきこんだ一揆が勃発し,翌年には大坂で元町奉行所与力の大塩平八郎が貧民の救済を求めて乱を起こした。この事態に対して,水戸藩主徳川斉昭(なりあき)ら領主階級の一部は幕藩体制の危機ととらえていたが,幕府では将軍家斉(いえなり)が引退したものの大御所として隠然たる勢力をもち,大奥を中心に豪奢な生活を送り,改革を嫌い,太平の世の政治を続けていた。41年家斉が没すると,老中首座の水野忠邦は将軍家慶(いえよし)を擁して家斉側近派を追放し,幕政の改革を開始した。…

【徳川家康】より

…この地位は1600年の関ヶ原の戦の後はますます強化されたが,なお〈世間後見〉という実力上のものにすぎず,名実ともに日本の統一的支配者となるには03年の天皇による将軍宣下が必要であった。 1605年には将軍職を秀忠に譲り,将軍が徳川氏に世襲されるべきものであることを天下に示すとともに,官位の束縛を受けない大御所として公家・寺社勢力を含めた全国支配の実権を握りつづけた。12年ごろから全国の公家,寺社,大名に朱印状を発給すべく準備を始めたが,実現しないうちに14年大坂の陣の開始によって中断。…

【徳川家慶】より

…諡(おくりな)は慎徳院。1797年(寛政9)世子(せいし)となり西丸に入り,1837年(天保8)将軍職に就いたが,政治の実権はなお大御所家斉にあった。41年家斉の死後,家斉の側近勢力を排して幕政を親裁し,老中水野忠邦を重用して天保改革をすすめた。…

【西丸】より

…家康隠退後の住居の予定であったのであろう。家康自身は西丸には住まなかったが,2代秀忠以後は将軍隠居後の大御所,あるいは将軍世子(せいし)の居城として使用された。西丸の面積は6万8385坪(紅葉山,山里を含む)で,建坪6574坪(1852建設)の西丸殿舎が建っていた。…

※「大御所」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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