精選版 日本国語大辞典 「大江匡房」の意味・読み・例文・類語
おおえ‐の‐まさふさ【大江匡房】
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平安後期の文人官僚。匡衡(まさひら)の曽孫(そうそん)。成衡(しげひら)の子。母は橘孝親(たちばなのたかちか)の娘。江大府卿(ごうたいふけい)、江都督(ごうととく)などと称された。幼年より俊才をたたえられ、1058年(康平1)対策及第ののち、尊仁(たかひと)親王(後三条(ごさんじょう)天皇)・貞仁(さだひと)親王(白河(しらかわ)天皇)の東宮学士、蔵人(くろうど)、美作守(みまさかのかみ)、左大弁、式部大輔(だいぶ)などを歴任して、1088年(寛治2)参議、ついで権中納言(ごんちゅうなごん)となり、二度にわたって大宰権帥(だざいのごんのそつ)に任じられ、正二位大蔵卿(きょう)に至った。天永(てんえい)2年11月5日没。彼は後三条天皇の側近となり、院の近臣として白河院政政権に深くかかわった官僚であるとともに、後三条・白河・堀河(ほりかわ)3代の侍読(じどく)に象徴される当代の学者の第一人者であった。著作も多岐にわたり、官僚的側面での著作に有職故実(ゆうそくこじつ)書『江家次第(ごうけしだい)』がある。これに対する文人としての著作も多方面に及び、『本朝(ほんちょう)無題詩』『中右記部類紙背(ちゅうゆうきぶるいしはい)漢詩集』『本朝続文粋(もんずい)』『江都督納言願文(がんもん)集』などに収められた詩・詩序・願文などの正統的詩文とともに、世事逸話を素材とした『遊女記』『傀儡子(かいらいし)記』『洛陽田楽(らくようでんがく)記』『狐媚(こび)記』などの作や、彼の言談を筆録させた説話集『江談抄』があり、また『続本朝往生伝』『本朝神仙伝』を編纂(へんさん)した。さらに歌集『江帥(ごうのそつ)集』があり、『後拾遺和歌集』以下の勅撰集(ちょくせんしゅう)にも多く入集(にっしゅう)する。
[後藤昭雄]
『川口久雄著『大江匡房』(1968・吉川弘文館)』▽『大曽根章介他校注『日本思想大系8 古代政治社会思想』(1979・岩波書店)』
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(上杉和彦)
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1041~1111.11.5
平安後期の儒者・文人・政治家。匡衡(まさひら)の曾孫。成衡(しげひら)の子。東宮学士から蔵人・左衛門権佐・右少弁(三事兼帯)をへて,1088年(寛治2)参議,94年(嘉保元)権中納言。白河院別当・記録所寄人として白河院政を支える一方,関白藤原師通(もろみち)とも親交があった。朝廷儀式の故実に通じて「江家(ごうけ)次第」を著したほか,日記「江記(ごうき)」を残し,また談話が「江談(ごうだん)抄」にまとめられている。和漢文学にすぐれ,「江帥(ごうそち)集」「江都督(ごうととく)納言願文集」「続本朝往生伝」などを残し,「本朝続文粋」「朝野群載(ちょうやぐんさい)」や「後拾遺集」以後の勅撰集に多くの秀作を残す。
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…次に,遣唐使が廃止された中期になると,国風文化勃興のきざしがあらわれ仮名文学が盛んになる。しかし文学の主流は大江匡房の《続本朝往生伝》に見られるごとく漢文学で,大江維時撰の《千載佳句》,紀斉名(ただな)撰の《扶桑集》,高階積善撰の《本朝麗藻》,大江匡衡の《江吏部集》,藤原公任撰の《和漢朗詠集》などが今日に伝えられ生彩を放つ。藤原明衡編の《本朝文粋》はこの期の作品を多く収めていて,珍重すべき漢詩文芸の宝庫である。…
…大江匡房が芸能を記録した書。1巻。…
…《本朝書籍目録》には〈江次第廿一巻 中納言匡房卿撰〉とあり,もと21巻であったが,現在は巻16,21を欠く19巻。撰者大江匡房(まさふさ)はこの時期の代表的文人で,和漢の学を兼ね,朝儀典礼にも精通していたから,後世本書は儀式に関する最良の参考書として高い評価を与えられ,しばしば講書も行われた。関白藤原師通の委嘱を受けて匡房が本書を撰述したと伝えられており,撰述年代は11世紀末から12世紀初頭のころと考えられる。…
…平安末期の説話集。大江匡房(まさふさ)の談話を藤原実兼(さねかね)が筆録したもの。ただし間接的な聞書,また実兼以外の人物による筆録をも含んでいる。…
…全6巻。大江匡房が1061年(康平4)から1111年(天永2)にかけて作った願文編を帝王,仙院,后妃,大臣,諸卿,(欠),女人,尼公,上客,庶人に部類し収録する。全6巻のうち,六蔵寺本は今日巻四を欠き5巻,永享7年(1435)の奥書を持つ古写本。…
…時代の違いにより前三房と後三房とがある。前三房は平安時代の摂関期から院政期にかけて活躍した藤原伊房(これふさ),大江匡房(まさふさ),藤原為房。伊房は名筆として有名な藤原行成の孫で書家として高名なだけでなく,後三条天皇,白河天皇に仕えて実務家としても腕を振るった。…
…古代の兵法は中国伝来のもので,《司馬法》《孫子》《八陣書》《太公六韜》《兵書論要》など多くの兵書が舶載されており,《日本書紀》の天智紀には兵法に閑(なら)える者に授位した記事がみえる。奈良時代では唐に留学した吉備真備(きびのまきび)が兵法にくわしく,平安時代では学者の家として著名な大江氏が歴代兵法を伝え,大江匡房(まさふさ)は源義家に秘法を授けたという。 しかし兵法の諸流派が喧伝されるようになったのは幕藩体制下軍学(兵学)が興隆してからである。…
…このころ〈武勇の輩(ともがら)〉といえばほとんど源氏,とくに義家一党を指すほどに源氏の武力は成長していた。在京中義家は大江匡房(まさふさ)に兵法を学んだという。83年(永保3)陸奥守兼鎮守府将軍として赴任,任国に起こった清原氏の内紛を私兵をもって鎮定した(後三年の役)。…
…平安末期の漢文体の短文。漢文学者大江匡房が,江口や神崎の遊女たちの様を書き記したもの。それによると,当時西国から京への交通の要所にあたる神崎川には江口,神崎,蟹島などの遊里が発達していた。…
※「大江匡房」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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