供御稲粟の舂備,諸国舂米(しようまい)の収納,雑穀の諸司分給,諸司食料の支給をつかさどる宮内省管轄の令制官司。職員は頭(かみ)・助(すけ)・允(じよう)・大属(さかん)・少属各1人,大炊部60人,使部20人,直丁2人,駈使丁30人。718年(養老2)史生4人増員。《日本書紀》天智10年(671)是歳条の大炊省は前身の官司。収納施設は大炊寮廩院。炊爨(すいさん)施設は炊屋(かしきや)で8基の竈(かまど)・鼎(かなえ)(釜)を備えていた。曹司は平安宮では東面南門の郁芳(いくほう)門(大炊御門)を入った北側にあった。供御稲粟は官田の収穫を大炊寮が舂(つ)き日別に内膳司と春宮坊主膳監に送る。律令制では親王,議政官,職事官・番上官の官人,雑色人,さらに匠・丁に至るまで,俸禄とは別に,調理品または素材の形で主食,副食,調味料の給食が行われた。諸国が進上する年料舂米を,主計寮の計納を経て大炊寮が収納し,8世紀にはこれを親王,議政官,官人,雑色人に月料(げつりよう)として支給したが(匠・丁には民部省が庸米を大粮(たいろう)として支給),9世紀初頭にそれまで激務の職事・番上官の付加給であった要劇(ようげき)料(銭)・番上(ばんじよう)粮が月料と並んで本給となり,3者の支給対象が分化し,それぞれを大炊寮が年料舂米で支給することになったらしい。しかし,有品親王,公卿などの月料は漸次停止され,881年(元慶5)の元慶官田の設置により,太政官,出納諸司(中務省,監物,民部省,宮内省,大炊寮),給月料之司(大学寮等)以外の官司は要劇料・番上粮として官田を支給され,大炊寮の職務は縮減された。《延喜式》に22ヵ国が1万7330石余の年料舂米を進上すると定めるが,894年(寛平6)ころにはすでに年料1万8000石のうち1/3~1/2しか見納されていなかった。《延喜式》では,恒例の神事,仏事,節会等に米等を支給するほかは,侍従や内裏殿上侍所・蔵人所および蔵人所所管の諸所等に月料の米飯,采女・女孺・女官厨等,出納官司や春宮坊の史生,大学寮,六衛府府生以下,内豎の月料の米等の支給にさらに限定されている。大炊寮領には便補保(びんぼのほ)と,御稲(みいね)田があり,それぞれ戦国期まで存続した。平安時代末期以降,大外記中原師遠の子孫が頭を相伝し寮領を管領した。大炊寮は《和名抄》ではオホイノツカサ(於保為乃豆加佐)と訓じ,オホイはオホイヒ(大飯)で,飯は甑(こしき)で蒸した今日の強飯(こわめし)である。今日の米を煮た飯は饘(かたかゆ)で主水司がつかさどった。炊はカシクと訓じ,語源は不詳だが,竈に釜をのせさらに甑をのせて蒸す調理法を表すようである。
執筆者:石上 英一
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令制(りょうせい)官司の一つで宮内(くない)省の被官。養老(ようろう)職員令によると、諸国の舂米(しょうまい)(舂(つ)いて精白した米)や雑穀を収納し、現物のまま、あるいは炊飯して諸司に分給することを掌(つかさど)った。職員は、頭(かみ)1人、助(すけ)1人、允(じょう)1人、大・少属(さかん)各1人、大炊部(べ)60人など。官司としての初見は671年(天智天皇10)で、720年(養老4)に史生(ししょう)4人が配属された。頭は従(じゅ)五位下相当官で、平安時代末以降は中原氏が世襲することとなった。
[柳雄太郎]
…職員は,大夫(長官),亮(次官),大進・少進(判官),大属・少属(主典)各1人,主醬,主菓餅(品官)各2人,膳部(かしわで)(伴部)160人,雑供戸(品部)等。朝廷における恒例・臨時の職務に携わる官人等には,俸禄とは別に主食,副食,調味料が素材または調理品の形で給食されるが,主食は大炊寮が担当し,大膳職は副食,調味料の調達,製造,調理,供給を担当した。ただし,《延喜式》の段階では,神仏寺料等,節会料等の供給のほかは親王以下采女等までの内廷関係への月料支給に職掌が狭められている。…
※「大炊寮」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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