国の財政および金融行政の分野を一体的に担当する行政機関。財政政策すなわち予算,税制,国債発行,国庫金運用,国有財産管理等の分野と,金融政策すなわち銀行,保険,証券等の行政や財政投融資,国際金融等の行政分野とは,相互に緊密な連係の下に総合的視野に立った政策運営が必要とされる。日本の行政機構の中でも,財政を通ずる行政の調整という立場から重要な任務をもった行政機関の一つである。
明治維新政府は1869年(明治2)7月,国の財務行政官庁の名称を大蔵省と改称した。その前身は,1867年(慶応3)に朝廷内に設けられた金穀出納所であり,以後新政府の財務取扱機関は会計事務課,会計事務局,会計官と改変されたが,この事務を引きついだものである。太政官の管轄下にあって,金穀出納,秩禄,造幣,営繕,用度等の事務を行うとされた。71年8月には機構改革がなされ,造幣寮以下11の寮と1司がおかれるとともに,〈大蔵ハ理財会計ニ関スル一切ノ事務ヲ統理シ,全国人民ノ分限,地方ノ警邏,駅逓郵便等ノ事ヲ総管〉するという大蔵省事務章程も定められた。この改革にあたっては,アメリカの財務行政制度を調査して帰国した伊藤博文の意見も大いに参考とされた。しかし大蔵省をもっぱら財務を管掌する機構とする伊藤の主張とは異なって,内政を司る民部省を合併(同年7月)し,財政,内政をあわせて管掌する強大な権限をもつ省となった。〈政治の半分以上を大蔵省がやってしまった〉(《世外侯事歴維新財政談》)といわれるほどであり,資本主義育成と統一国家体制樹立のための諸施策を推進した。しかしこの広大な権限は,しばしば他の行政官庁との対立を惹起したこともあって,財政金融の範囲外の管掌事務をしだいに各省に移管していった。
86年2月に大蔵省官制が制定され,同省は〈歳入歳出,租税,国債,貨幣及び銀行に関する事務を管理し,地方の財務を監督す〉と定められ,近代国家の財政統轄機関としての体裁を確立した。本省機構は大臣官房のほか,総務,会計,主税,関税,主計,出納,国債,金庫,銀行,預金,記録の11局が設けられ,そのほかに造幣,印刷の独立の局があった。その後11局は統合がすすみ,98年には主計局,主税局,理財局の3局となり現在の大蔵省の原型が整ったが,こののちも時代の趨勢とともにいくつかの機構が新設された。日清戦争後,政府は軍備拡充を急務とし,増税を実施したが,それにあたり地方に委任されていた国税徴収事務を大蔵省で一元的に統轄するために,96年各地に税務管理局,税務署を設置した。また財源増のため葉たばこ(1898),樟脳(1903),たばこ(1904),塩(1905)をそれぞれ専売事業とし,1907年9月には各専売機関を統一して専売局を新設した。明治末から大正初年の不況期には,銀行の破綻がつづき経済の混乱を招いたため,16年4月銀行課を銀行局とし,銀行および銀行類似会社の監督強化に当たった。25年には世上問題となっていた預金部制度が改革された。
昭和恐慌以後,財務行政事務は増大する傾向にあり,日中戦争開始前後からは金融の直接統制の進展につれ,理財局,銀行局,為替局を中心とする金融行政部門は急速に膨張した。まず金輸出再禁止後の為替管理の実施にともない,33年5月には外国為替管理部が新設され,37年5月に為替局となった。同月理財局に金融課が設置され,同時に新設された銀行局調査課とならんで,金融政策全般を企画し,金融統制法規を立案する中枢機関となった。同10月に理財局外事課が設置され,対外投資を促進し満州,中国における財政金融行政を管掌した。40年10月には同じく理財局内に資金調整課が設置され,会社統制令に基づき会社の経理を全面的に統制し,翌41年7月会社部となった。同年12月,商工省から保険,証券業務を扱う監理局が大蔵省に移管され,金融行政は同省に集中した。また大衆の少額資金を吸収して軍需生産のために資金供給しようとする貯蓄運動が全国民的にくり広げられたが,これに対応して38年4月国民貯蓄奨励局が大蔵省の外局として新設され,42年11月には本省内に吸収され国民貯蓄局と改められた。このように戦時金融の中心を担った大蔵省であったが,太平洋戦争末期には行政機構の簡素化が図られ,部局は統合され職員も減少した。
執筆者:坂本 雅子
第2次大戦前の大蔵省は天皇の官制大権(明治憲法10条)により勅令の形式で設置されたが,戦後は国家行政組織法に基づいて設置されることとされ,その組織,権限については大蔵省設置法(1949)に規定されている。1997年現在,大蔵省の内部組織は大臣官房,主計局,主税局,関税局,理財局,証券局,銀行局,国際金融局の1房7局である。主計局は国の歳入および歳出の予算の編成,予算の執行統制,決算の作成,予決算,会計制度の企画,立案,統一等を担当している。主税局は直接税,間接税,地方税等の内国税に関する企画,立案,税の徴収制度の企画,立案を,関税局は関税,とん税および特別とん税に関する企画,立案をそれぞれ担当するが,税の賦課,徴収については,内国税は外局である国税庁,関税等は地方出先機関である税関がそれぞれ担当し,企画部門と実施部門とが分離された体制となっている。理財局は,日本銀行による国庫金の取扱事務の監督,国債および政府短期証券の発行,償還,利払い,貨幣および紙幣の発行,回収および取締り,資金運用部資金(郵便貯金,厚生年金,国民年金等の資金)の政府関係金融機関を通じての民間への供給や地方公共団体および政府直営事業への融資,国有財産(各省が管理するいわゆる行政財産を除く普通財産)の管理等を担当する。証券局は証券行政一般のほか,企業会計基準,公認会計士制度等も担当する。銀行局は銀行,相互銀行,信用金庫等の監督のほか,日本銀行券の発行限度の決定等の日本銀行の監督,輸出入開発銀行等の政府関係機関の監督,保険行政,金融機関一般の検査等を担当する。国際金融局は外国為替や国際収支の調整,外資導入,海外への投融資の調整,国際通貨基金(IMF)や国際復興開発銀行(世界銀行)をはじめ国際機関との関係の事務を担当する。
大蔵省本省の地方における総合的な出先機関としては,ブロック段階に財務局(9),財務支局(1),府県段階に財務事務所(40)が置かれているほか,関税等の事務を処理するため税関(8)等が置かれている。外局としては国税庁があり,その下に地方出先機関として国税局(11)と沖縄国税事務所,さらに第一線機関として税務署(524)があり,内国税の賦課徴収の実務に当たっている。付属機関としては造幣局(貨幣の製造等),印刷局(日本銀行券および官報その他の政府刊行物の印刷等。〈大蔵省印刷局〉の項参照)等があり,審議会としては金融制度調査会,財政制度審議会等の18審議会が置かれている(1997)。なお,1998年6月に銀行局,証券局の監督行政部門および官房の金融検査部門,証券取引等監視委員会を統合して総理府に金融監督庁が設置され,その結果,銀行局と証券局は統合して金融局とされた。
財務行政を掌握する大蔵省は,予算の編成実務を通じて,実質的に国家行政全般に深くかかわるので,一般には政府機関の中でも強力な地位にあるとみられ,〈大蔵官僚〉もそのようにみられている。2001年の省庁再編により財務省と改称。金融行政は新設の金融庁(内閣府の外局)に移管された。
執筆者:八木 俊道
令制八省の一つ。調,諸国諸蕃の貢献物等,新鋳銭の収納と出給,度量衡計器の検査,市場との交易,器物・服飾品の製作,儀式等の設営をつかさどり,手工業官司の典鋳,漆部,縫部,織部,掃部(鋪設(しつらい)もつかさどる)の5司を管する。養老令の職員は,卿・大少輔各1人,大丞1人・少丞2人,大録1人・少録2人等,大少主鑰各2人・蔵部60人,価長4人,典履(才伎長上)2人・百済手部(伴部)10人・百済戸(雑戸),典革1人・狛部6人・狛戸(品部),省掌2人,使部60人,直丁4人・駈使丁6人である。三蔵伝説は,神武天皇代に斎蔵を,履仲天皇代に内蔵を,雄略天皇代に大蔵を建て,蘇我氏が三蔵を検校し,秦氏,漢氏が出納・記録をつかさどったと伝えるが,大蔵省の前身官司の存在が確認されるのは6世紀末~7世紀前半のころで,大蔵と内蔵の分立が確認されるのは7世紀後半である。7世紀後半の律令国家成立期には,大蔵が調,貢献物を,民部省の前身官司が庸を収納したが,戸籍制,班田制,課役制の確立に伴い民部省が国家財政を計数的に統轄する官司となり,8世紀初めには庸の軽物が大蔵省に移されて,大蔵省は単なる収納施設の性格が強くなった。倉庫群は,平城宮では宮の北の外側にあったらしく,平安宮でも正倉(蔵)院と称されて宮内の北辺の中央部にあった。鑰(かぎ)は後宮の闈司が保管していた。季禄,位禄等は正倉院で官人に支給された。
大宝令の別記には,靴履鞍等の製作をつかさどる典履のもとに百済戸11戸(雑戸),衣染21戸・飛鳥沓縫12戸・呉床作2戸・蓋縫11戸・大笠縫33戸・桉作72戸(品部),革染作をつかさどる典革のもとに忍海戸狛人5戸・竹志戸狛人7戸・村々狛人30戸・宮郡狛人14戸・大狛染6戸と紀伊国の狛人・百済人・新羅人30戸(品部)が定められており,また被管諸司や内蔵の工房も7世紀には大蔵の統轄下にあった。8世紀にはしだいに品部雑戸が解放され,774年(宝亀5)に典鋳司が中務省の内匠寮に,808年(大同3)に漆部司が同寮に,同年に縫部司が同省の縫殿寮に,820年(弘仁11)に掃部司が宮内省掃部寮に併合されて,帳幕製作と織部司以外の工房を喪失してしまったが,それは手工業生産の社会的発展によるものであった。省領は少なく,881年(元慶5)の要劇田は11世紀にも存続し,そのほか鎌倉時代にも2~3の省領がみえるだけである。調庸未進に対しての調庸率分の諸国からの課徴が,11世紀以降の大蔵省の重要な仕事となった。
執筆者:石上 英一
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財政、金融などを所管とする国の行政機関。同省の歴史は古く、明治新政府の太政官(だじょうかん)所属の一省として1869年(明治2)7月に創設された。第二次世界大戦後の大蔵省は、1948年(昭和23)7月に公布された国家行政組織法に基づく大蔵省設置法によって設置された。2001年(平成13)1月の中央省庁再編に伴い、金融行政を除く所掌事務を引き継いだ財務省に省名を変更した。
大蔵省の所掌事務は、国の財政、通貨、金融、外国為替(かわせ)、証券取引、造幣事業、印刷事業であり、これらを一体的に遂行するために、大臣官房と七つの局(主計、主税、関税、理財、証券、銀行、国際金融)、14の審議会、四つの施設等機関および造幣局、印刷局の特別機関、財務局と税関の地方支分部局からなり、外局として国税庁が置かれていた。
大蔵省といえば、なによりも財政・金融という国のもっとも重要な行政を担当する省であった。まず、財政についていえば、そのなかでももっとも重要な大蔵省の行政権限は予算の作成であった。予算(とりわけ歳出予算)は、国のさまざまな行政活動の経費や手段の配分にかかわる国の現金の収支に関する見積り計画ないし準則であり、国民生活や産業・経済活動の水準を決定する重要な事項であるため、これを作成して国会に提出する義務を、憲法は内閣に課している。しかし、内閣によって国会に提出される予算(案)は、実際には大蔵大臣が作成することになっており(財政法21条)、事実上この予算を作成する事務は大蔵省主計局が担当していた。予算作成に関係する大蔵省の行政権限として重要なものに、第二の予算とよばれている財政投融資計画の取りまとめがあって、これを担当するのは理財局であった。さらに、予算に関連して、歳入予算の中心をなす租税収入を見積もるのは主税局であり、実際に徴税事務を担当するのは外局である国税庁で、問題化している国債の発行事務は理財局が担当していた。
他方、金融についてみると、日本銀行を監督しつつ、金融制度を調査、企画および立案し、かつ各種の銀行を監督するのは銀行局であり、証券業等を監督するのは証券局であり、国際収支の調整を図り、外国為替相場を決定し維持するのは国際金融局であった。しかし、金融機関の破綻(はたん)が相次ぎ、財政と金融との分離が求められることとなり、金融再生委員会の外局として、1998年6月に発足した金融監督庁(同庁は、2000年7月に金融庁に移行し、2001年1月には、金融再生委員会は廃止され、金融庁は、内閣府の外局となった)に、大蔵省がこれまで担ってきた金融機関の調査・監督機能を委譲した。
それでも、大蔵省は国の行政機関のなかで、財政・金融を担当する省として、他省庁の利害の調整・決定権限(予算作成)をもち、国民生活や産業・経済活動にかかわる行政の質と量を決定する大きな権限をもっていた。その反面、膨大な量の赤字国債の発行にみられる財政危機の下で硬直化した財政運営を強いられ、それが国民生活の質や量を切り下げてゆくという難問に直面していた。
大きな権限をもっていた大蔵省であったが、中央省庁再編により、前述したように金融行政の中心的な業務を金融庁に、また予算の業務の一部を内閣府に設置された経済財政諮問会議に移し、国家の財政を中心につかさどる省(財務省)となった。
[福家俊朗・山田健吾]
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1大宝・養老令制の官司。八省の一つ。令制以前の大蔵の系譜を引くと考えられ,「日本書紀」では天智朝にみえるほか,天武末年の六官のなかにも大蔵がある。養老令制では,諸国の調をはじめとする貢納品の出納をおもな職掌とし,中央財政のさまざまな支出をまかなった。他に所属の典履(てんり)・百済手部(くだらのてひとべ)・典革(てんかく)・狛部(こまべ)などによって皮革製品を製作し,典鋳司・掃部司(かにもりのつかさ)・漆部司(ぬりべのつかさ)・縫部司(ぬいべのつかさ)・織部司など,多くの伝統的な手工業官司を管轄し,さまざまな製品を製作した。しかし令制下で中央財政運営の中核を担ったのは民部省であり,物品の保管・出納を行う大蔵省の位置づけは相対的に低かった。被管の手工業官司も平安初期に統廃合されることとなった。
2国の財政・金融などの財務行政を統一的に担当する行政機関。明治政府は1869年(明治2)7月の行政機構改革により,会計処理機関を廃止して「金穀出納・秩禄・造幣・営繕・用度等」を担当する大蔵省を設置。内閣制度の創設にともない86年に大蔵省官制が制定され,歳入歳出・租税・国債・貨幣・銀行および地方財務の監督を管掌事項とした。98年には官房と主計・主税・理財の3局となり,他に現業の造幣局・専売局・印刷局があった。以後銀行局(1916年)・預金部(25年)・外国為替管理部(33年)設置などの組織拡充が行われた。第2次大戦後,占領管理にともなう財務処理や財閥解体,経済復興政策を担うなかで組織は拡充され,49年の国家行政組織法・大蔵省設置法の施行により,現行組織の原型が形成された。高度成長期には,予算配分,租税特別措置,税制改正,財政投融資,金融機関への行政指導,財政金融政策などを通じて,経済政策全般への発言力を増大させた。2001年(平成13)1月,中央省庁再編により財務省となる。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
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出典 旺文社日本史事典 三訂版旺文社日本史事典 三訂版について 情報
…97年6月に〈金融監督庁設置法案〉が成立し,首相が民間金融機関などの検査・監督を所管することになったが,実際は首相の委任を受けた金融監督庁の長官(非閣僚)が行う。 金融監督庁には,大蔵省の大臣官房金融検査部,証券取引等監視委員会,銀行局と証券局の監督部門が移り,局を置かず部制とする。長官は金融機関の破綻処理や早期是正措置の運営を行うほか,財務局長に地方金融機関の検査・監督を指揮・命令する。…
…日本古代の律令制の官庁組織をいう語。狭義には太政官(だいじようかん),神祇官(じんぎかん)の二官と中務(なかつかさ)省,式部(しきぶ)省,治部(じぶ)省,民部(みんぶ)省,兵部(ひようぶ)省,刑部(ぎようぶ)省,大蔵(おおくら)省,宮内(くない)省の八省を指すが,広義には,この二官・八省に統轄される八省被管の職・寮・司や弾正台(だんじようだい),衛府(えふ)などの中央官庁および大宰府(だざいふ)や諸国などの地方官庁を含む律令制の全官庁組織の総体をいい,ふつうは後者の意味で用いる。このような官庁組織は,7世紀後半から8世紀初めにかけて形成された。…
※「大蔵省」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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