日本歴史地名大系 「大覚寺義昭墓」の解説
大覚寺義昭墓
だいかくじぎしようのはか
京都大覚寺門跡義昭の墓。義昭は法号を尊宥と称し、将軍足利義満の息。永享九年(一四三七)七月将軍後継争いに敗れ、異母兄の将軍足利義教に反し大和国に出奔(「看聞日記」同月一四日条など)、のち日向国に落ち、嘉吉元年(一四四一)三月一三日、
義昭の墓と称されるものは現串間市内に三ヵ所あるが、最も有力とされるのは
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
京都大覚寺門跡義昭の墓。義昭は法号を尊宥と称し、将軍足利義満の息。永享九年(一四三七)七月将軍後継争いに敗れ、異母兄の将軍足利義教に反し大和国に出奔(「看聞日記」同月一四日条など)、のち日向国に落ち、嘉吉元年(一四四一)三月一三日、
義昭の墓と称されるものは現串間市内に三ヵ所あるが、最も有力とされるのは
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