大陸封鎖(読み)たいりくふうさ(英語表記)Blocus continental フランス語

日本大百科全書(ニッポニカ) 「大陸封鎖」の意味・わかりやすい解説

大陸封鎖
たいりくふうさ
Blocus continental フランス語

ナポレオン1世が、トラファルガー海戦(1805)で敗れた報復措置として、ヨーロッパ諸国に号令して経済的にイギリスの活動を封殺しようとした政策ナポレオンは、1806年11月、ベルリン勅令の名で「陸によって海を征服する」決意を表明し、ロシアからスペインに及ぶ大陸諸国に、イギリスとの貿易、商業関係の中止を訴え、イギリスはもとよりイギリス植民地の製品を即時没収すべき命令を下した。そして翌07年ミラノ勅令を発し、イギリスに寄港した商船はすべて拿捕(だほ)されるべき命令を付け加えた。イギリスに対し、ヨーロッパの市場を閉鎖し、あわせてフランス産業と商業の大陸進出を促そうとするのが、第一の眼目であった。イギリスは当然多大の打撃と衝撃を被った。が、同時に大陸諸国も取引上不都合な損失を受け、非難の声が年ごとに高まる傾向を生じた。なかでもロシアや東ヨーロッパ諸国は木材穀物の輸出先をイギリスに定めていた関係で、唯一の商品市場を失い、土地貴族、独占商人の不満を誘発した。またオランダやスペインの生産者や商人も少なからぬ被害を感じた。そのため密輸が横行し、闇(やみ)行為の絶え間がなかった。当のフランスでも、商業資本家と産業人の間に意見と利害の対立が生じた。ポルトガルが離反し、ロシアが同盟から離脱した。この結果、ナポレオンは1812年のモスクワ遠征を企画したのである。

[金澤 誠]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

百科事典マイペディア 「大陸封鎖」の意味・わかりやすい解説

大陸封鎖【たいりくふうさ】

1806年以後フランス皇帝ナポレオン1世がとった対英経済封鎖政策。ベルリン勅令(1806年)・ミラノ勅令(1807年)によってヨーロッパ諸国の対英貿易を禁止,英本国とその植民地産品の没収,それらの地に寄港した船舶の大陸入港禁止等を命じた。かねてより対立していた英国に打撃を与え,また自国の産業を保護するための政策だったが,思った効果は得られずかえってナポレオンの治世を縮めた。
→関連項目ティルジット条約ナポレオン戦争ボナパルトミラノ勅令モスクワ遠征

出典 株式会社平凡社百科事典マイペディアについて 情報

世界大百科事典 第2版 「大陸封鎖」の意味・わかりやすい解説

たいりくふうさ【大陸封鎖 blocus continental[フランス]】

ナポレオン1世が,敵国イギリスの国力に打撃を与えるために,みずからの支配するヨーロッパ大陸諸国とイギリス(およびその植民地)との間の交通や通商を全面的に禁止し,イギリスに対してヨーロッパ大陸の市場を閉鎖しようとした政策をいう。この大陸封鎖は,1806年のベルリン勅令と翌年のミラノ勅令によって命令されたものであるが,それに関連する諸政策を含めた総称として,大陸制度continental systemと呼ばれる場合もある。

出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報

山川 世界史小辞典 改訂新版 「大陸封鎖」の解説

大陸封鎖(たいりくふうさ)
Blocus continental

大陸制度ともいう。イギリスに対して,ヨーロッパ大陸の市場を閉鎖するために,ナポレオン1世がとった政策。1806年11月に彼はベルリン勅令を発し,イギリスとの貿易や通信の全面的禁止,イギリスおよびその植民地の商品の取引禁止と没収,イギリスおよびその植民地からきた船舶の大陸入港禁止と没収,などを命じ,翌年のミラノ勅令でこれを強化した。

出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「大陸封鎖」の意味・わかりやすい解説

大陸封鎖
たいりくふうさ

大陸制度」のページをご覧ください。

出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報

今日のキーワード

激甚災害

地震や風雨などによる著しい災害のうち、被災地域や被災者に助成や財政援助を特に必要とするもの。激甚災害法(1962年成立)に基づいて政令で指定される。全国規模で災害そのものを指定する「激甚災害指定基準に...

激甚災害の用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android