デジタル大辞泉
「天下」の意味・読み・例文・類語
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てん‐か【天下】
- 〘 名詞 〙 ( 古くは「てんが」とも )
- [ 一 ] 天の下の意。
- ① 天の下に広がるすべての空間。世界全部。また、この世。あめのした。
- [初出の実例]「万物の出生をなす器はてんが也」(出典:遊楽習道風見(1423‐28頃))
- [その他の文献]〔書経‐大禹謨〕
- ② この国全部。一国全体。国家。国中。
- [初出の実例]「後のよに鉄輪王となりて一天下に王とあらむ」(出典:観智院本三宝絵(984)下)
- 「天下の権柄を捨給へる事年久しければ」(出典:太平記(14C後)九)
- ③ 世間。世の中。
- [初出の実例]「天下共言貞二万国一、何労二羽翼一訪二商山一」(出典:凌雲集(814)夏日皇太弟南池〈嵯峨天皇〉)
- 「伝受ある手爾波といふに至ては、天下に知る人すくなく」(出典:俳諧・去来抄(1702‐04)故実)
- ④ 一国の政治。万機。また、国を支配する権力。
- [初出の実例]「大王は此を迎て〈略〉終日終夜見給ふと云へども不足ざりけり。天下、故に留まりて万事を背き給ふ」(出典:今昔物語集(1120頃か)三)
- ⑤ 一国を支配する者。特に、幕府。将軍家。天下様。
- [初出の実例]「宗豊朝臣不レ進レ之。天下停止守レ法歟」(出典:看聞御記‐応永二七年(1420)八月一日)
- 「身共は今より、天下だぞ」(出典:歌舞伎・法懸松成田利剣(1823)大詰)
- ⑥ 実権を握って采配を振ること。また、思うままにふるまうこと。また、その状況。「嬶(かかあ)天下」
- [初出の実例]「瀬川君さへ居なくなって了へば、後は君、もう吾儕(われわれ)の天下さ」(出典:破戒(1906)〈島崎藤村〉五)
- ⑦ 「てんかいち(天下一)」の略。
- [初出の実例]「某がひげが、天下の髭になったとおもふて」(出典:虎明本狂言・髭櫓(室町末‐近世初))
- ⑧ カルタで、強い札の一つである「あざ(蠣)」の札。
- [初出の実例]「よくよくじゃ・てんかをもっていなるるの」(出典:雑俳・削かけ(1713))
- [ 二 ] ( 多く、助詞「に」「の」「と」などを伴って )
- ① ( 多く「天下に」「天下の」の形で ) 世に比類のないこと。この上ないこと。最もすぐれていること。
- [初出の実例]「天下のそらごとならむと思へば、ただ今、ここちあしくてあればとて、やりつ」(出典:蜻蛉日記(974頃)中)
- ② ( 「天下に(と)… …とも」「天下に(と)… …ども」の形で ) どんなに。いかに。
- [初出の実例]「天下に目つぶれ、足をれ給へりとも」(出典:源氏物語(1001‐14頃)玉鬘)
天下の補助注記
( 1 )呉音テンゲで読まれる場合は、仏典における用法が日常化したもので、天上界に対する地上界を言い、一方漢音テンカで読まれる場合は、国家・国土などの意で、両者は本来は系列を異にしていたと見られる。しかし、確証に乏しいので、漢字表記の例は便宜上本項に収めた。
( 2 )[ 二 ]は本来は良くも悪くも世に比類のないことを表わし、多く肯定的評価に用いられるが、①の挙例の「蜻蛉」のように、否定的な用法も見られる。
あめ‐の‐した【天下】
- 〘 名詞 〙 ( 漢語「天下(てんか)」の訓読か。また、「高天原(たかまのはら)の下にある、この国土」の意もこもるか )
- ① 地上の世界全部。天に対していう。
- (イ) ( 政治的に、その勢力の及ぶ範囲すべてをいう ) この国全部。日本の国土。全国。特に、この全世界。てんか。
- [初出の実例]「天皇(すめろき)の 敷きます国の 安米能之多(アメノシタ) 四方の道には」(出典:万葉集(8C後)一八・四一二二)
- (ロ) ( 一般的に ) 地上のすべて。この世の中。この世界。また、この世間一般。
- [初出の実例]「天下(あめのした)すでにおほひて降る雪の光を見れば尊くもあるか」(出典:万葉集(8C後)一七・三九二三)
- ② 国中の人。世間の多くの人。天下の人々。
- [初出の実例]「財には、ぬし避くとなむ申すなる。あめのしたそしり申すこと侍るなり」(出典:宇津保物語(970‐999頃)藤原の君)
- ③ 朝廷。また、朝廷の政事。
- [初出の実例]「国家(アメノシタ)永久(とこめづら)にして、社稷(くに)危きこと勿(な)し」(出典:日本書紀(720)推古一二年四月(岩崎本訓))
- ④ 世の中、国中で最も程度が高いことを強調していう。
- (イ) ( 「天の下の」の形で ) 天下に比類がないさま。天下第一。
- [初出の実例]「あめのしたの色好み」(出典:伊勢物語(10C前)三九)
- (ロ) ( 副詞的に「天の下において」の意で ) 日本中のどこででもすべて。また、どこにいったい。
- [初出の実例]「あめのした、こよひの御おくり物よりこえて、さらにさらにせじ。これよりいつかあらん。〈略〉あめのした、これよりこえたる心にくさ、いつかあらん」(出典:宇津保物語(970‐999頃)内侍督)
てん‐げ【天下】
- 〘 名詞 〙 ( 「げ」は「下」の呉音 ) =てんか(天下)
- [初出の実例]「てんげにおぼつかなくおぼゆとも、深き才は、〈略〉じねんに思ひでらるるものなり」(出典:宇津保物語(970‐999頃)内侍督)
天下の補助注記
読みのあきらかでないものは「てんか」の項で扱った。→「てんか(天下)」の補注
あめ‐が‐した【天下】
- 〘 名詞 〙
- ① =あめのした(天下)
- [初出の実例]「入道相国の御むすめ建礼門院、〈略〉御悩とて、雲のうへ天が下の歎きにてぞありける」(出典:平家物語(13C前)三)
- ② 菊の一種で、花が群がって、傘を開くように咲かせたもの。〔重訂本草綱目啓蒙(1847)〕
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天下 (てんか)
古代中国に由来し,文字どおりには全世界を意味し,〈天子〉の統治対象を指す語。〈天子,民の父母作(た)り,以て天下の主と為る〉(《書経》),すなわち〈天〉から〈命〉を受けた〈天〉の〈子〉が,〈天〉の〈下〉全体の最高支配者となると考えるのである。したがって,〈天下〉に正統な天子は1人しかありえず,外国を予想する〈国〉と違い,〈天下〉には理論上,境界線がない。それゆえ,〈天下〉の語は普遍性の語感を伴い,同時に,〈天下の人心〉〈天下の嘲り〉の句の示すごとく,ある権威を感じさせる。日本では,元興寺塔露盤銘(596)に〈大和国天皇斯帰嶋宮治天下〉とあるのをはじめ,遅くも6世紀末以降天皇に関して〈治天下〉と表現した例が多く,《古事記》も各天皇について〈……の宮に坐しまして天下(あめのした)治(し)らしめしき〉と反復している。すなわち,こうして天皇を中国の天子に類比し,その統治対象たる日本列島の一部を全世界とみなし,そこにおける最高支配者であることを主張したのである。原義からすればやや奇妙だが,こうして〈日本全国〉が往々天下と呼ばれるようになった。
この語は政治用語としては,多く政権の日本国内における普遍的権威を示唆し,強調する際に用いられた。宣命はしばしば〈天下公民〉に呼びかけ,〈大赦〉の詔は天下に下り,聖武天皇は〈夫れ天下の富を有(たも)つ者は朕なり。天下の勢を有つ者も朕なり〉(造立盧舎那仏詔)と誇っている。そして,このように天皇にかかわる場合,〈溥天の下,王土に非ざるはなく,率土の浜,王臣に非ざるはなし〉(《詩経》)という観念と結びつけられ,その普遍的支配権の強調される例が,幕末を含めて史上少なくない。一方,武士が勢力を伸ばすにつれ,武家政権に関しても用いられた。源頼朝は1185年(文治1)〈今度天下草創也〉と号して朝廷の人事改革を迫り,建武式目は〈承久に(北条)義時朝臣天下を幷呑す〉と述べている。北条氏,足利氏について〈天下の主〉〈天下主領〉などと表現した例もある。そして,領域的一円的支配を拡大しつつ,有力武将たちが全国支配者たらんとして争った戦国時代に入ると,〈天下の面目〉〈天下を争ふ〉〈天下へ切り上る〉〈天下の仕置〉〈天下持ち〉〈天下殿〉〈天下に成る〉などと盛んに用いられた。全国,全国政権(あるいは中央政権)の所在地,全国(中央)政権,そしてその支配者個人という同心円状に重層した意味構造が成立したのである。例えば〈天下布武〉の印判を愛用した織田信長は,上洛後自分への協力は〈天下の為〉〈天下に対して大忠〉であると主張し,一方将軍義昭には〈天下の褒貶〉や〈執沙汰〉を論拠に非難を浴びせ,ついにはみずから〈天下を申し付くる〉と称するなど,天下の権威と多義性をしきりに利用している。
とくに最高権力者を端的に天下と呼ぶ用法は,おそらく,元来関白などを指す〈殿下〉の当て字としての天下とも交錯しつつ,足利時代以後しだいに広がった。そこで〈天下分け目〉の関ヶ原後も,天下とはすなわち徳川将軍を往々意味する。江戸山王神社の祭りを〈天下祭〉と呼ぶときはそうであり,〈天下の御定〉〈天下の御法度〉も多くそうであろう。それは,中世の全国的慣習法を意味する〈天下の大法〉と対照的であり,〈天下〉が強力に〈統一〉されることによって,政治的な権威が将軍に集中したことを鮮やかに象徴している。
しかし,一方で天下の原義からする普遍性の語感は,権力の公共性を強調してその私的濫用をみずからあるいは下から戒めるためにも利用された。とくに〈天下を公と為す〉(《礼記》),〈天下は一人の天下に非ず,乃ち天下の天下也〉(《六韜》)の句は,明治初期に至るまでしばしば援用された。南北朝時代の《梅松論》のごとく,〈私にあらず。天下の御為〉〈天下静謐の為〉と称して朝廷に逆らった行動を肯定的に記述した例もある。
なお,日本全国を天下とみなす無理は幕末に至るとあらわとなった。しかし,文字どおりの天下は別に〈宇内〉〈万国〉〈地球〉そして〈世界〉と呼ばれ,以後日本全国を天下と呼ぶ用法も,徐々に大時代な感じを与えるようになった。
執筆者:渡辺 浩
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
天下
てんか
天の命を受けた天の子(天子)が、天の下(あめのした)を統治するという中国的な世界観。日本では埼玉県の稲荷山古墳(いなりやまこふん)出土の金錯銘(きんさくめい)鉄剣に「治天下獲加多支鹵大王(あめのしたしろしめすわかたけるのおおきみ)」(銘文に「辛亥(しんがい)年」の干支がある。471年)、また熊本県の江田船山古墳(えたふなやまこふん)出土の銀錯銘(ぎんさくめい)大刀にも「治天下」の語がみえ、5世紀後半までに天下に関する政治思想を受容していた。ただし、当時の倭国(わこく)は中国南朝の宋(そう)と冊封(さくほう)関係を結んでおり、中国の天下支配のもと、倭国の支配・統治権のなかで天下を治めたことになる。日本における「治天下」の用法は、百済(くだら)・新羅(しらぎ)などの蕃国(ばんこく)に対する支配が歴史的前提となっていた。「治天下大王」の表記は、のちの律令法で「御宇天皇(あめのしたしろしめすすめらみこと)」に変わった。
[吉村武彦]
古代中国で創案された独特の世界観を表す語。至上の人格神としての「天」が支配する全世界であると同時に、天命を受けて天子となった有徳(うとく)の為政者が「天」にかわって統治する世界(王土)を意味する(したがって本来「天下」と「王土」は決して対立概念ではなかった)。ただし不徳の天子が現れ撫民仁政(ぶみんじんせい)を忘れ、人民を苦しめるような政治をすれば、天命が革(あらた)まって新天子が登場し、天下的世界は再編成されるものと考えられた(易姓革命論(えきせいかくめいろん))。「天下」の語は日本でも上述のように古代から使われているが、中世以降武家政権の時代になると、武家は政権の公共性という見地から「天下」思想や「天道(天)」思想を標榜(ひょうぼう)し、王土思想によって一方的に王威・王権を絶対化する朝廷(公家)勢力と対決したり、下剋上(げこくじょう)の運動や武家政権の成立・交替などを正当化した。とくに戦国・安土桃山時代には日本全国、全国制覇の拠点となった京都、織豊政権の主権者などをさす流行語となった。
[石毛 忠]
『石母田正著『日本古代国家論 第1部』(1973・岩波書店)』▽『吉村武彦著『古代天皇の誕生』(1998・角川書店)』▽『石毛忠著「戦国・安土桃山時代の思想」(石田一良編『体系日本史叢書23 思想史Ⅱ』所収・1976・山川出版社)』▽『永原慶二著「天下人」(朝尾直弘他編『権威と支配』所収・1987・岩波書店)』▽『石毛忠著「織豊政権の政治思想」(藤野保編『織豊政権の成立』所収・1994・雄山閣)』
出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例
普及版 字通
「天下」の読み・字形・画数・意味
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
天下
全世界の意。天の命を受けた者が天の下を支配するという、天皇の支配力の正当さ、広大さを表すことばであったが、織田信長(一五三四~八二)の出現以降、国を超える統一概念として、「天下人」(てんかびと)のように、至高なるものを上に頂いた支配者、統一者という新たな中央集権像を表すものとなった。
出典 (株)朝日新聞出版発行「とっさの日本語便利帳」とっさの日本語便利帳について 情報
世界大百科事典(旧版)内の天下の言及
【江戸時代】より
…さらに戦争がなくなり,武士の政治的地位が軍功によらず,家柄によって決定されるようになると,家老の地位も東照宮―将軍―大名の伝統的権威に完全に依存することとなった。その存在が天下の平和に連なる主君の権威に完全に依存しているという点では,側近も家老も同じことになったのである。 この結果,本来は主君と側近との間に固有のものであった情緒共有の関係が,大名と家老の間にも強制されることになった。…
【中国】より
…
[政治機構――封建と郡県]
中国の文明はしばしばローマのそれにくらべられ,政治的文明と称せられる。たしかに両者は,多くの少数民族をも含む非常な広域,いわゆる〈天下〉が,中央政府より派遣する官吏によって統一的に統治せられた点で似ている。しかし中国の場合は周囲に先行する高度の文明をもたず,いわば独力で,すこぶる整備した政治機構を作りあげたのである。…
※「天下」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」