(読み)テン

デジタル大辞泉 「天」の意味・読み・例文・類語

てん【天】[漢字項目]

[音]テン(呉)(漢) [訓]あめ あま
学習漢字]1年
大空。「天下天空天上天地九天仰天暁天衝天水天中天沖天北天満天露天
空模様。「雨天好天晴天
自然界。自然。「天険天災天然・天歩」
自然に備わったこと。生まれつき。「天才天寿天分後天先天
高い所。「天井天幕脳天
信仰の対象としての天。運命。造物主。神。「天運天罰天命天佑てんゆう皇天
神や精霊の住むと考えられる所。「天国昇天
天子・天皇のこと。「天位天顔天孫天覧
[名のり]かみ・そら・たか・たかし
[難読]天晴あっぱ天地あめつち天牛かみきりむし天皇すめらみこと天柱ちりけ天蚕糸てぐす天辺てっぺん天麩羅テンプラ天鵞絨ビロード

てん【天】

地上を覆って高く広がる無限の空間。大空。あめ。「を引き裂く稲妻」
天地・万物の支配者。造物主。天帝。また、天地・万物を支配する理法。「運をにまかせる」「の助け」「の恵み」
仏語。
六道ろくどうのうち、人間界より上の世界。天上界。
㋑天上界にいる神や、その眷族けんぞく
キリスト教で、神のいる所。天国。「にましますわれらの父よ」
本・掛け軸・荷物などの上の部分。「地無用」⇔
物事を「天・地・人」の三段階に分けたときの、第一位。
物事の最初。はじめ。→天から
天麩羅テンプラ」の略。「えび」「つゆ」
[類語]天空大空虚空天穹てんきゅう穹窿きゅうりゅう蒼穹そうきゅう太虚たいきょ上天天球青空青天井ちゅうくう空中中空ちゅうくう中天高空低空上空天頂

あま【天】

《「あめ(天)」の古形》てん。そら。あめ。
「あをによし奈良の都にたなびける―の白雲見れど飽かぬかも」〈・三六〇二〉
[補説]複合語を作ったり、「あまつ」「あまの」の形で体言にかかったりする場合に多く用いられる。→あまあま

あめ【天】

つちに対して、空。
「み園生そのふの百木の梅の散る花し―に飛び上がり雪と降りけむ」〈・三九〇六〉
天にあって神や天人の住む所。天上界。
「かばかり守る所に―の人にも負けむや」〈竹取

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精選版 日本国語大辞典 「天」の意味・読み・例文・類語

てん【天】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 地上をおおう空間。高く広くつらなって空をなすもの。大空。あめ。
    1. [初出の実例]「天に張り弓といひたり」(出典:枕草子(10C終)一四三)
    2. 「天にあふぎ地にふして」(出典:平家物語(13C前)二)
    3. [その他の文献]〔白居易‐長恨歌〕
  3. 天地万物の主宰者。万能の神。造物主。
    1. [初出の実例]「など天は正理のままにおこなはれぬと云こと、うたがはしけれど」(出典:神皇正統記(1339‐43)下)
    2. [その他の文献]〔論語‐八佾〕
  4. 自然に定まった運命。生まれつき。めぐりあわせ。
    1. [初出の実例]「唯これ天にして、汝が性のつたなきをなけ」(出典:俳諧・野ざらし紀行(1685‐86頃))
    2. [その他の文献]〔列子‐仲尼〕
  5. 仏語。
    1. (イ) 迷いの世界である六道のうち、最もすぐれた果報を受ける有情の住む世界。また、そこに住む有情やその生存のあり方。欲界六天や色界・無色界などの天がある。天上。天上界。
      1. [初出の実例]「欲界六天。〈略〉各於仏前。発誓願言」(出典:往生要集(984‐985)大文十)
      2. 「天に生まるる人の、あやしき三つの道にかへるらむ」(出典:源氏物語(1001‐14頃)松風)
      3. [その他の文献]〔大毘婆沙論‐一七二〕
    2. (ロ) 天になぞらえて相手を尊んでいう。仏が三種の天の一つとして天中天といわれるのもその例で、波羅門に対しても、普通の人に対しても用いることがある。
      1. [初出の実例]「上に所引の須摩提女経に天と云は、外道梵志を指すなり」(出典:空華談叢(1782)一)
    3. (ハ) 日天・月天などの世界を守る天部の神。→十二天
  6. キリスト教で、神の住む世界をいう。「天の父」
  7. いただき。てっぺん。最初。
    1. [初出の実例]「月走は一円を借りて、頭(テン)で廿銭を引かれ、正味八十銭を一円にして」(出典:日本の下層社会(1899)〈横山源之助〉一)
  8. 物の上方。荷物などの床に接する部分を地というのに対して、その反対側に来る部分。「天地無用」
  9. 本を立てたとき、上方に来る部分。地、小口、背、表紙でない部分。
  10. 天地人の天で、最上の意。
    1. [初出の実例]「其次なが雷正九郎柄がよい、敵役の天(テン)じゃ」(出典:浄瑠璃・男作五雁金(1742)安治川芝居足揃)
  11. 児戯の穴一(あないち)でいう語。玉を穴に入れること。
    1. [初出の実例]「天(てン)か前(まい)かの穴一(いち)は天(てん)下の法度の白痴(ばくち)のはじまり」(出典:浄瑠璃・蘆屋道満大内鑑(1734)四)
  12. テンプラ(天麩羅)」の略。「天丼」「海老天」
    1. [初出の実例]「天(テン)で一杯きこし召さう」(出典:歌舞伎・富士額男女繁山(女書生)(1877)序幕)

あま【天】

  1. [ 1 ] 〘 名詞 〙 ( 「あめ」の古形といわれる )
    1. ひろびろとした大空。日、月、星などが運行し、神々のいる天。あめ。→あまのあまつ
      1. [初出の実例]「やすみしし 我が大君の 隠ります 阿摩(アマ)の八十蔭(やそかげ) 出で立たす 御空(みそら)を見れば」(出典:日本書紀(720)推古二〇年正月・歌謡)
    2. 建物の天井。
      1. [初出の実例]「天井を あま」(出典:八丈実記(1848‐55)方言)
    3. かまどの上のほうの煙のかかる所。また、かまどの上に釣った棚。台所の上に作られた物置。
      1. [初出の実例]「あまと云物にさし上げてありければ、煤(すす)ばみたりけれども、聊(いささか)損也」(出典:体源鈔(1512)六)
  2. [ 2 ] 〘 造語要素 〙 天に関する事物、また、高天原(たかまがはら)に関する事物に冠して用いる。「天雲」「天路(あまじ)」「天人(あまびと)」「天降(くだ)る」「天霧(ぎ)る」など。

天の語誌

( 1 )「あめ(天)」の母音交替形。アマ…、アマノ…、アマツ…などの形で複合語を作ることが多い。
( 2 )「あま・あめ(天)」は天上・天空をさすが、類義語「そら(空)」は空中・虚空をさす。
( 3 )アマ・アメは平安朝ではほとんどが和歌の中に複合語として現われるにすぎず、代わってソラが一般に多く用いられるようになった。


あめ【天】

  1. 〘 名詞 〙
  2. 天。空。あま。⇔地(つち)
    1. [初出の実例]「雲雀は 阿米(アメ)にかける」(出典:古事記(712)下・歌謡)
    2. 「御園生の百木(ももき)の梅の散る花の安米(アメ)に飛び上り雪と降りけむ」(出典:万葉集(8C後)一七・三九〇六)
  3. 天つ神のいる処。高天原。また、神のいると信じられた天上界。
    1. [初出の実例]「阿米(アメ)なるや おとたなばたの うながせる たまのみすまる」(出典:古事記(712)上・歌謡)
    2. 「あめにますとよをかびめの宮人も我が志すしめを忘るな」(出典:源氏物語(1001‐14頃)乙女)
  4. 日本神話に登場する、高天原に属する神やものの美称をつくる。「あめ…」「あめの…」の形で用いる。「あめ金機(かなばた)」「あめの香具山(かぐやま)」など。
  5. 宮殿の屋根のあたり。
    1. [初出の実例]「天(あめ)にはも五百(いほ)つ綱延(は)ふ万代に国知らさむと五百つ綱延ふ」(出典:万葉集(8C後)一九・四二七四)

天の補助注記

複合語をつくる場合「あま」の形となることが多い。

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改訂新版 世界大百科事典 「天」の意味・わかりやすい解説

天 (てん)

天や天空を崇拝の対象とする民族は少なくないが,そのような信仰形式をもっとも古くから発達させたのは内陸アジアの遊牧民族であった。おそらくその日常生活が天体の観察と切っても切れない関係にあったからと思われる。こうして古代アジアの諸族において天そのものを神とみる観念が生じたが,やがてそこから天をもって世界に秩序を与える力の根源とする見方があらわれた。すなわち古代中国の〈天命〉や古代インドの〈リタ(天則)〉の観念がそれである。またこうした天の観念が人格化される場合は天上の父神=天父神とされ,しばしば大地を人格化した母神=地母神と比較対照される。この天上の父神という性格は,一般に遊牧民族に固有の家父長的・父権的な社会構成にもとづくとされ,ユダヤ教,キリスト教,イスラム教などにみられる天上の唯一神の信仰形式をも方向づけることになった。

 仏教では兜率(とそつ)浄土のように天上に極楽を想定する世界観が発達したが,しかし同時に,たとえば六欲天のように天界の領域をさまざまに区分して,そこに迷いの世界を設定しているのであって,天はかならずしもそれ自体として崇拝の対象とされたのではなかった。日本の神話においては,海上のかなたに想像された常世(とこよ)の国の考え方と並んで,天上に高天原(たかまがはら)(高天原神話)をおく観念が成立し,そこには数多くの天津神(あまつかみ)が存在すると考えられた。高天原の構想は地上の政治的・社会的現実の天上への反映とみることができるが,同時に天照大神(あまてらすおおかみ)においてみられるように太陽崇拝の痕跡も否定することができない。
太陽 →天国
執筆者:

中国では天は至上神,自然,理法,宇宙などを意味する。天空を神格化し,それを崇拝するのは,内陸の遊牧民族に共通した信仰形態であった。たとえば,匈奴(きようど)が天を祭ったことは《史記》や《漢書》にみえているし,北魏をおこした拓跋(たくばつ)部にも同様の記録がある(《魏書》)。モンゴル族の至上神テングリtengriは同時に天空を意味し,今日においてもアルタイ系民族,アジア極北民族,フィン・ウゴル語族系諸族の多くは,天空と至上神とを同じ言葉であらわしている。ユダヤ教,キリスト教,イスラム教などにおける上天の唯一神,中国における天の信仰ないし思想も,もとは同根だとし,そこに農耕的=母権的な地母神信仰に対する,遊牧的=父権的文化の特性を見いだそうとする試みもなされている(石田英一郎)。しかしながら,約3000年の長きにわたって天との親密な関係をもち続け,政治,宗教,文化,生活など,人間の生存のほぼ全域にわたって天の規制を受けたのは漢民族だけであろう。

 中国における天=至上神の信仰は遠く周代にさかのぼる。それよりさき,殷代の卜辞(甲骨文)のなかに天とおぼしい文字は散見するが,至上神や天空の意味で使われているわけではなく,王国維によれば卜辞の天は頭の大きな人間の象形だという(《観堂集林》釈天)。この宗教国家で崇拝されていた至上神は〈帝〉であった。やがて,もと遊牧民だったともいわれる周が殷を滅ぼすと(殷周革命),周は天をもって帝に代える。この帝から天への転換についてはまだわからぬことが多く,両者をまったく別個の神とみるか,そこにある種の連続性を認めるか,見解が分かれている。おそらく天は周人固有の神であったと思われるが,地上のすべてのものを覆うその広大さと周人の政治的才能のゆえに,殷を滅ぼすころには,帝をはじめ群小の神々の神格をそのなかに包摂し,吸収しえていたであろう。いずれにせよ周以降,天は意志をもった宇宙の主宰者,造物主として人々の頭上に君臨する。しかし,庶民にとって天はGodというよりむしろ運命と同義であり,彼らの祈るべき対象は民間信仰やのちの道教の神々であった。天の子として天の意志を代行し,天下に君臨する王者にとっては,天は自己の権威と支配の根拠であり,かつまた王朝の命運の支配者と考えられていたから,天に強い関心を抱かざるをえないのは当然である。そのもっとも端的なあらわれが天の祭り(郊祀(こうし))にほかならない。郊祀は皇帝の重要な義務として,また彼にのみ許された特権として,歴代とり行われた。北京に偉容をとどめる天壇は,明・清の皇帝が天を祭ったところである。その際,天は昊天(こうてん)上帝と呼ばれたけれども,何らかの偶像をもっていたわけではない。

 しかしながら,時代が進み人知がひらけてくるにつれ,天の人格性,超越性はしだいに希薄になってゆく。春秋戦国時代の知識人たちは天をどのように考えていたか。孔子における天は依然として偉大なGodであり,ときには祈りや期待にそむく運命的な超越者として立ちあらわれることもあったが,しかし彼はそれによって無神論に走ったりせず,そういう場合にはわが身にふりかえって人間の側の問題として受けとめようとしており,敬虔な祈りの心を失ってはいない。しかし孟子になると祈りは失われ,その代りに天は性善説の根拠として理念化され,また自然としての天もあらわれている。荀子(じゆんし)は,人間の天からの自立を主張して天・人を切りはなし,さらに天から神秘性をはぎとって自然物とみなし,〈天命を制してこれを用う〉(《荀子》天論)とまで言いきった。老子においては,天は窮極者の地位を〈道〉にゆずっている。荘子において特徴的なことは,天は人為(さかしら)に対する自然(あるがままのあり方)として理法化され,その天=自然に従って生きることが求められる。この時代にはまた,天道(自然の摂理)ということばもよく使われた。こうした思想家たちのいた一方で,古代的な人格神としての天の復権をくわだてた墨子の存在も忘れられてはならない。

 上述したように,春秋戦国期には天に関する多様な見解が提出され,それらはすでに漢以後の天の思想史を先取りしている。漢代のイデオローグ董仲舒(とうちゆうじよ)は,荀子の分離した天・人をふたたび結びつけ,天人相関説(政治のよしあしに対して天が感応して禍福をくだすとする説)をとなえ,墨家的な天を復活させた。歴代の儒教は,郊祀儀礼を整備して皇帝権力につかえる一方,この天人相関説を取り入れて権力の無制限な行使に制肘を加えた。儒教において天はまた,人間の道徳性の根源とされ,宋代の新儒教(朱子学)では人間に本来的に備わっている善性を〈天理〉と呼んだ。宋代の儒者はその内なる天との合一を熱っぽく説いている。荀子の無神論は後漢の王充によって推し進められ,唐代の柳宗元や劉禹錫(りゆううしやく)に継承された。そうした動きの一方で,民衆レベルでは天の世俗化が進んでおり,唐代ころから〈天公〉〈老天爺〉といった親しげなニックネームで呼ばれるようになった。
執筆者:

ギリシア神話で〈天空〉をあらわす男神ウラノスは大地女神のガイアの長子だが,ガイアと母子婚し,現在世界を支配している大半の神たちの祖父となった。しかし息子の一人クロノスによって,ガイアと交合しようとしたところを去勢され,大地から引き離されると同時に,天界の王の地位もクロノスに取って代わられた。ニュージーランドマオリ族の神話でも,天空ランギは,大地パパの夫で,多くの神がこの父母から生まれたが,父母がつねに抱擁し合ったままだったために,子どもたちは暗闇の中で父の巨体に圧迫され,身動きもできずにいた。そこで彼らは相談して,世界が明るくなり自分たちが成長できるために,父母を分離させることに決めた。他の神たちの失敗のあとで,森の神のタネが父母を結び付けていた筋を断ち切り,渾身の力で空をはるか高くへ押し上げ,泣いて抗議するランギとパパを引き離した。現在でもこの分離を嘆いて,毎夜パパの溜息が霧となってランギの方へ立ち昇り,ランギの涙が露となってパパの上に降り敷く。このように天空と大地を,最古の夫婦となった男女の神とみなして,その分離により人間の生活のための空間が発生したことを物語った〈天地分離神話〉は,世界の各地に共通して見いだされる。この夫婦関係は多くの場合,天地が分離させられた後も天空神の精液にほかならぬ雨によって大地が受胎して万物を生み出すという形で,現在もなお続いていると考えられている。ただ古代エジプトの神話では,夫婦関係が逆転して,天ヌートの方が女神で,夫の大地ゲブから,大気の神シューにより押し上げられて,引き離されたことになっていた。この場合にも,ヌートは毎夜ゲブの種により受胎した太陽を,夜明けに新生させることで,いつまでもゲブの妻であり続けるとされていた。

 日本神話の高天原のように,天空を神がみの住処とみなす観念も,各地の神話に共通してみられる。これと結びついて,日本のイザナキとイザナミの神話や天孫降臨神話にもみられるように,もとは天上の神界に住んでいた王家あるいは人類の始祖が,下界に降って地上の人間界を発生させたという話も,各地の神話に見いだされる。北アメリカのイロコイ族の神話によれば,人類の先祖はアタエンシクという名の女で,もとは天上に住み,首長の娘だった。ところがあるとき,父の命令によって1本の木が根こぎにされたあとに開いた穴から,そのことを怒った1人の男によって,当時まだ一面の水だった下界へ突き落とされた。すると水面にいた水鳥たちが,身を寄せ合い台を作って彼女を受けとめ,それから水中に潜り底から土を取ってくると,大亀の甲羅の上にそれを広げて,陸地を造り,その上に彼女を住ませた。北アメリカの原住民のあいだにはまた,天の端は地平線のところで,たえず上下動しており,そのすきまをうまくくぐり抜ければ,生きながら天上界に至ることができるという観念もみられる。
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「天」の意味・わかりやすい解説


てん

中国思想を貫く重要な概念。天という文字はもと人間の頭部を示し、それが天空を意味するようになった。西周時代には、天は、天上の最高神として崇敬され、上帝ともよばれて、地上の現象を支配すると考えられた。この信仰は、殷(いん)代の帝(てい)の信仰を原型とするとも、北方遊牧民族に起源をもつともいわれる。とくに、天が王朝に命(めい)を与えるとされ、周王が天意の代行者とされたことは、周の封建制を宗教的に支える役割を果たした。君主を天子といい、天の祭りを天子の特権とするのはこのことによる。春秋時代ごろには、最高神としての天の信仰は動揺し始める。春秋・戦国時代の思想家たちの天に対する見方には、孔子(こうし)・孟子(もうし)のようにこれを宇宙の理法に近いものと解し、道徳の根源をそこに求める立場、荘子(そうし)のように万物のなかに働く不可知な力とみる立場、墨家の一部の、意志をもつ人格神とする立場、荀子(じゅんし)の、純粋な自然現象と考える立場などがある。前漢に至り、中央集権国家の確立のもとで、儒教が正統思想の地位を占めるが、当時の儒教では、董仲舒(とうちゅうじょ)らにより、天子を中軸とした天人相関を設定して君主に超人間的権威を付与することが試みられた。漢以来、王充(おうじゅう)、柳宗元(りゅうそうげん)、劉禹錫(りゅううしゃく)、王安石(おうあんせき)ら、天を単なる自然とみる思想家もあり、また朱熹(しゅき)(朱子)は天とは理だとするなど、天は多義的に解釈されたが、天を普遍的・超越的存在とし、天命を受けた君主を天子とよび、それが天下を統治するという考え方は、旧中国の歴史を基本的に貫通しており、これが中国人の精神生活を強く規定した。

[内山俊彦]

日本

中国から日本に伝えられた「天」(天上世界、宇宙の最高神、守護神などを意味する)の観念には、〔1〕道教系、〔2〕儒教系、〔3〕仏教系のものがあり、これらがそれ以前からあった〔4〕日神(ひのかみ)信仰(ここからのちに皇祖神天照大神(あまてらすおおみかみ)の観念が発生する)と合体して日本古代の天の思想を形成したようである。すなわち古代においては神孫君主、有徳者君主、前世十善の君主という元来異質の君主観が、三者に通底する天の思想によって結び付けられ、古代天皇制を正当化していたのであり、〔1〕〔2〕に由来する革命説は偉大なる天皇(現人神(あらひとがみ))の出現をたたえたり、皇統内における系統の交替を説明する場合に限定して適用され、〔3〕〔4〕に由来する万世一系思想との矛盾が避けられている。中世になって武家が政治的実権を掌握するとともに、本来同じく〔2〕に依拠する、仁政を要求する天下思想と、君王への服従を主張する王土思想が対立することになったが、武家政権は天下思想によって為政者としての地位を合理化した。ただし同時に武家政権は天皇を名目上の君主としていただいた。こうした天下思想=天の思想は鎌倉幕府・室町幕府から江戸幕府へと受け継がれていったが、江戸幕府は神祖家康(いえやす)と「天」を接合し、徳川将軍家の権威を超越的に保証しようとした。なお中世から近世にかけて、中国伝来の三教(儒・仏・道)一致論が流布したが、当時さらにこれに神道(しんとう)、キリシタンが加えられ、これら諸思想の一致点が「天」(天道(てんとう))に求められた。近世になると儒教各派およびその他の学問分野でさまざまな「天」の解釈が行われたが、時代思潮の主流を形成したのは上述のような「雑種」的な天の思想であった。日本思想の特色としてしばしば重層性が指摘されるが、その重層的構造を内面から支えていたのがほかならぬ天の思想であったといえよう。

[石毛 忠]

『郭沫若著『天の思想』(『岩波講座 東洋思潮8』所収・1935・岩波書店)』『石田英一郎著『天馬の道』(『桃太郎の母』所収・1966・講談社)』『重沢俊郎著『中国哲学史研究』(1964・法律文化社)』『池田末利著『中国古代宗教史研究』(1981・東海大学出版会)』『ジョセフ・ニーダム著、東畑精一・藪内清監修、吉川忠夫他訳『中国の科学と文明 第2、第3巻』(1974、75・思索社)』

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「天」の意味・わかりやすい解説


てん

天空または天空に関する宗教的世界観を表わす語。民族,歴史の相違により多義であるが,一般的には神の住む理想郷と信じられている。特に中国では天を中心として諸思想が展開した。殷代には,「天」は「大きい」という意味であり,天空を支配する最高神を「帝」と呼んでいたが,周代には,「天」と「帝」が同義語となり,地上の支配者である王は上帝の命により天下を統治するものと考えられるようになった。そこで,地上の「王」も「帝」と呼ばれるようになる。儒教では,人間の性質は天から授かっていて,したがって生来善なるものであると考えるので,儒教の普及とともに天は国家的理念から道徳的実践目的に改質し,また道家においては無為自然の道を天道と称した。また陰陽五行説,易などが天の象徴的解釈として発達した。日本では高天原がアマテラスオオミカミの統治する天界と考えられていた。仏教で用いられる天は,サンスクリット語のデーバ (神) の訳語である。

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百科事典マイペディア 「天」の意味・わかりやすい解説

天【てん】

天(あめ),空(そら),天空。漢字〈天〉は,人間の正面形を表す大に頭部を示す円を加えた形という(白川静《字統》1984年)。天ないし天空を神的存在として崇拝する伝統は古来,洋の東西を問わずあり,地母神と対比されて天父神が表象されることが多い。天=至上神の観念をもっとも発展させたのは漢民族で,〈天帝〉〈天子〉〈天命〉〈天道〉〈天人相関〉〈天理〉など多くの語が用いられて,人事万般との関わりが説かれている。
→関連項目天国天命

天(仏像)【てん】

天部

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世界大百科事典(旧版)内のの言及

【宇宙】より

…もともとは〈宇〉も〈宙〉も,ともに,(大きな)覆い,つまり家の屋根のことであった。したがって宇宙とは,みずからのすまう世界のすべて,天の下いっさいを包摂する概念といえる。それゆえ,神話的伝承も含めて,すべての自然哲学の体系は,必然的に一種の宇宙論であると考えることができる。…

【儒教】より

…通常,儒教の学術面を〈儒学〉と称し,教学的性格をその開祖の名をとって孔子教Confucianismともよばれる。 儒教の基本的教義は,五倫五常,修己治人,天人合一,世俗的合理主義である。(1)五倫五常 三綱五倫(君臣・父子・夫婦と兄弟・朋友)の身分血縁的関係をあるべき人倫秩序とし,家族組織から政治体制まで貫く具体規定を備える。…

【中国思想】より

…これに対して中国思想に政治色が濃いのは,その担当者が士大夫とよばれる政治家・官吏であったという事実によることが多い。
[古代]
 中国思想の根底にはつねに天の観念があるが,そのの崇拝の起源については,従来は農耕生活との関連から説明されるのが普通であった。しかし近来は文化人類学の研究成果から,天の崇拝は本来東アジアから中近東にかけての遊牧民族の信仰から生まれたとする説が有力になった。…

【天下】より

…古代中国に由来し,文字どおりには全世界を意味し,〈天子〉の統治対象を指す語。〈天子,民の父母作(た)り,以て天下の主と為る〉(《書経》),すなわち〈天〉から〈命〉を受けた〈天〉の〈子〉が,〈天〉の〈下〉全体の最高支配者となると考えるのである。…

【天子】より

…中国において天帝の息子として,天帝に代わって全世界を統治する者をいう。周王朝の初年,周公(旦)らが発展させたという天命の思想によれば,天帝は天の命令を下して一つの王朝(それは血縁関係で継承される)に天下の統治をまかせるのであるが,その王朝が徳を失うと天帝はそれを見捨て,別に徳ある者を見つけ,その者を天の元子(あととり息子)と認知して,代わって天命を与える(天人相関説)。…

【天部】より

…仏像の分類において如来,菩薩,明王に次いで最下位に置かれる尊像の総称で,諸天部,天ともいう。これらはインド古代神話では天界に住む神々であり,仏教にとり入れられて護法神となった。…

【東学】より

…東学とは西学(キリスト教)に対決する東方すなわち朝鮮の学を意味し,欧米人の侵入に備えて剣舞を奨励するなど民族的な自覚の高まりを背景としていた。また,基本宗旨である〈人乃天〉(人すなわち天)の思想は,人間の平等と主体性を求める反封建的な民衆意識を反映するものであった。天とは宇宙万物の本源であるが,人はそれぞれ内に有する神霊なる心の修養につとめることによって天心に感応し,天と融合・一体化することができる。…

【八部衆】より

…大乗経典に仏の説法の聴衆として登場する。天竜八部衆ともいう。(1)天(デーバdeva) 神のことで(devaはラテン語deusと同系),帝釈天をはじめとする三十三天など。…

【仏像】より

…また不動その他の明王は忿怒(ふんぬ)の形相をした密教特有の尊像で,発生的にはヒンドゥー教のシバ神と密接に関連する。また,古くから仏教にとり入れられたインドの神々など仏法を守護する異教の神々を天と総称し,梵天,帝釈(たいしやく)天,吉祥(きつしよう)天,弁才天,竜王,夜叉,訶梨帝母(かりていも)(鬼子母(きしも)神),摩利支(まりし)天,大黒天,聖天など,また四天王,八部衆,十二天などの一群の神々がある。このように仏教尊像を日本では仏(如来),菩薩,明王(みようおう)(忿怒),天部と分類し,さらに星宿,鬼神の類,神仏習合による垂迹(すいじやく)神,羅漢や高僧をも加える。…

※「天」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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