精選版 日本国語大辞典 「太政官」の意味・読み・例文・類語
だいじょう‐かん ダイジャウクヮン【太政官】
だじょう‐かん ダジャウクヮン【太政官】
おおい‐まつりごとのつかさ おほい‥【太政官】
おおきまつりごと‐の‐つかさ おほきまつりごと‥【太政官】
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「だじょうかん」とも。律令官制における最高官庁。天皇のもとで,神祇官や八省などの諸司や国司などすべての官庁を統轄。内部構成は,(1)左右大臣・大納言などからなる天皇の諮問,国政の審議部門,(2)少納言・外記(げき)などからなる(1)の秘書部門,(3)左右の弁・史などからなり,諸司・諸国の事務を受理して(1)に伝達し,また天皇や(1)の決定を施行する事務処理・執行部門,の三つに大別される。(1)には8世紀初頭に令外(りょうげ)の制として中納言2人,参議若干名(のち8人に定数化)が追加され,平安時代には内大臣も加わって,全体で公卿と総称された。(2)は少納言局とよぶが,平安時代に少納言の職が蔵人(くろうど)に奪われるとともに外記の機能が拡大すると外記局の称もうまれ,筆頭の外記は局務ともよばれた。(3)はいわゆる弁官局で,太政官符や下文(くだしぶみ)・宣旨などの作成にもあたるが,平安時代以降はとくに史の事務的機能が重視され,筆頭の史は官務と称した。
2明治前期の政府の最高行政機構。1868年(明治元)閏4月,政体書の発布により設置。すべての権力を太政官に集め,それを立法・行法(行政)・司法の三権にわけ,議政官・行政官・刑法官をおいた。何回か官制改革が行われ,二官六省の制(1869年),三院八省の制(1871年)などがとられたが,73年5月,太政官職制の改正で機構が整備された。太政官では太政大臣・左大臣・右大臣のいわゆる三大臣と参議の協議により重要政策を決定したが,とくに参議には藩閥政治家の実力者が就任し内閣の議官として大きな発言力をもった。その下に外務・大蔵・陸軍・海軍・文部・工部・司法・宮内・内務の各省(のち農商務省も)がおかれ行政事務を分掌した。85年12月,近代的な内閣制度の制定により廃止。
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…唐の尚書省は最高の行政官庁で,その都省は吏部,礼部,戸部,兵部,刑部,工部の六部(りくぶ)をはじめとする中央・地方の行政官庁を統轄していた。日本の太政官については,《日本書紀》天智10年(671)の条に太政大臣,左大臣,右大臣,御史大夫の任官のことがみえるので,それ以前に制定された近江令で定められた官庁であるとする説と,壬申の乱(672)以後の天武朝で形成されたとする説があるが,組織が整ったのは大宝令(701制定・施行)においてである。八省,弾正台,衛府,諸国などの中央・地方のすべての官庁を統轄する。…
…その職掌また令制官職・位階との相当関係も定かではなく,左右大臣等との関連も明らかではない。しかし天武天皇の皇子皇孫が任ぜられていることは特徴的であり,おそらく令制の太政官制とは性格を異にする官ではなかったかと思われ,実際には大臣の上位に位置づけられる性格ではなかったかと考えられる。すなわちその施行時期なども考慮すると,大宝令による律令太政官制の確立にともない,太政官(だいじようかん)の議政官が上級貴族によって占められるため,天皇の側から太政官を総知する機能を有する独自の官として設置されたものと思われる。…
…しかし5世紀以来ヤマト政権の主要勢力を構成する豪族連合の力は依然強大で,天智天皇がその末年(671)に,有力豪族の代表5人を左右大臣や御史大夫に任じ,政府首脳部を構成したのはそのあらわれである。この体制は壬申の乱後,天武天皇によって打破され,皇親政治と呼ばれる天皇中心の独裁的な政治が行われたが,天武の没後には永続せず,大宝律令制下では新しく制定された太政官(だいじようかん)制として復活した。太政官の首脳部は,定置の官でない太政大臣のほか,左右大臣と大納言,令外官の中納言と参議によって形成され,政策の決定に大きな発言権をもち,その会議の結論は天皇も容易に拒否することはできなかった。…
…日本古代の律令制の官庁組織をいう語。狭義には太政官(だいじようかん),神祇官(じんぎかん)の二官と中務(なかつかさ)省,式部(しきぶ)省,治部(じぶ)省,民部(みんぶ)省,兵部(ひようぶ)省,刑部(ぎようぶ)省,大蔵(おおくら)省,宮内(くない)省の八省を指すが,広義には,この二官・八省に統轄される八省被管の職・寮・司や弾正台(だんじようだい),衛府(えふ)などの中央官庁および大宰府(だざいふ)や諸国などの地方官庁を含む律令制の全官庁組織の総体をいい,ふつうは後者の意味で用いる。このような官庁組織は,7世紀後半から8世紀初めにかけて形成された。…
…まず中央には天皇の居所,官庁の所在地,官人の居住地として,整然とした条坊区画をもつ都城が営まれた。そこに具現された律令中央官制にはまず祭祀をつかさどる神祇官,国政一般をつかさどる太政官(だいじようかん)の二官があったが,前者もまた後者の統轄下にあり,太政官が国家統治の最高機関としての地位を有していた。太政官内には,左右大臣・大納言からなる議政官組織(太政大臣は非分掌の職であり即闕の官)のもとに左右弁官局・少納言局の三部局が存在し,左弁官は中務(なかつかさ)・式部・治部・民部,右弁官は兵部・刑部・大蔵・宮内の各省をそれぞれ統轄した。…
※「太政官」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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