シューマン作曲の連作歌曲集(作品42)。フランス亡命貴族の出身でドイツ・ロマン派の叙情詩人シャミッソーの詩による。シューマンの「歌の年」とよばれている1840年に書かれたこの作品は、同年の有名な『詩人の恋』が失恋した男の回想であるのに対して、初めてあこがれを知るところから、結婚と出産を経て、愛する夫との死別に至るまでの女性の内的感情を描いたものである。歌の声部もピアノの伴奏声部も、シューマンの他の歌曲と比較すると、かならずしも凝った作りとはいえないが、詩を朗読するような簡素な旋律が終わったあと、ピアノの後奏に大きな意味をもたせているところ(第5曲の結婚行進曲、終曲の冒頭への回顧など)には、シューマン独特の表現がみられる。全8曲中でもっとも有名な曲は、若い女性の秘めた情熱を歌う第2曲「誰(だれ)にもまさる君」であり、これは単独で歌われることも多い。
[三宅幸夫]
…その後後期ロマン派のなかでリベラルな傾向を代表する文学者として活躍。《女の愛と生涯》(1830)はシューマンの作曲(1840)によって有名である。一方,植物学者として1815‐18年,ロシアの世界周航探検隊に加わって熱帯植物などの採集に成果を挙げるとともに,原索動物のサルパにおいて初めて世代交代の現象を発見した。…
…ピアノ曲では《パピヨン》(1831),《謝肉祭》(1835),《幻想小曲集》(1837),《子どもの情景》(1838),《クライスレリアーナ》(1838),《幻想曲》(1838)など詩的な作品群のほか,ソナタや変奏曲など伝統的な形式にも新しい内容が盛られた。歌曲ではハイネ《詩人の恋》(1840),アイヒェンドルフ《リーダークライス》(1840),シャミッソー《女の愛と生涯》(1840)などロマン派詩人の作品に音楽をつけ,詩と音楽の高度の統一,ピアノ部分の充実など,シューベルトの遺産を受け継いで独自のロマン的様式を実現する。 中期は30歳代で,《交響曲第1番春》(1841),《第2番》(1846),《第3番ライン》(1850),1842年に続けて書き上げられた弦楽四重奏曲3曲とピアノ五重奏曲,ピアノ四重奏曲,47年の2曲のピアノ三重奏曲などの室内楽から,オラトリオ《楽園とペリ》(1843),オペラ《ゲノフェーファ》(1849)へと創作の幅を広げ,普遍的作曲家としての名声を確立する。…
※「女の愛と生涯」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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