女性が演じる剣劇。それ以前にあった女芝居とは異質のものである。大正末期から昭和へかけて全国的に剣劇が流行したが、これに目をつけた九州の興行師保良(ほら)浅之助が、当時映画女優の大江美智子(みちこ)に剣を握らせ、1932年(昭和7)神戸の湊(みなと)座に出演させたのが最初である。続いて不二(ふじ)洋子(1912―1980)が1934年に一座を結成、さらに伏見澄子(すみこ)がデビュー、女剣劇三羽烏(がらす)といわれた。その後、2代目大江美智子が先代譲りの早替りで人気を得たが、このほか第二次世界大戦前から戦中にかけては中条喜代子、玉水昌子、筑波(つくば)澄子ら多くの女優が覇を競った。戦後はまた浅香光代(あさかみつよ)(1928―2020)、中野弘子(1922―1996)らが台頭、不二や大江に伍(ご)して東京・浅草を中心に活躍した。当初猟奇的な目でみられていた女剣劇もしだいに内容が充実し、社会問題を扱ったものや文芸作品も手がけ、芸術祭にも参加し受賞するなど地位も向上したが、浅草興行街の衰退とともに退潮、大江、浅香とも1970年(昭和45)に一座を解散した。
[向井爽也]
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
…第2次世界大戦後は民主思想の発達に伴い一時は急速に影を薄めたが,昭和20年代の後半にはまたかなり行われるようになった。なお,剣劇の全盛期に派生的所産として〈女剣劇〉が生まれたが,弱いとされている女性が主演して,女装あるいは男装して剣をふるって多くの男性を斬り倒すところにやや倒錯的な興味をひき,不二洋子,2代にわたる大江美智子(初代は1939年に病死,2代は1919年生れ),伏見直江,富士嶺子,筑波澄子,浅香光代(1931‐ ),中野弘子らの女剣劇一座を輩出させた。戦後はむしろ,この女剣劇が剣劇の劇団を代表するような形で人気を集めていたが,高度成長期とともに衰え,現在では一つのジャンルとしてはほとんど消滅しているといってよい。…
※「女剣劇」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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