女院(読み)にょういん

精選版 日本国語大辞典 「女院」の意味・読み・例文・類語

にょう‐いん ‥ヰン【女院】

〘名〙 朝廷から「院」または「門院」の称号を与えられた女性。これを受けるのは天皇の生母・准母・三后・女御その他の後宮内親王などで待遇上皇に準じた。一条天皇の生母藤原詮子を東三条院と称したことに始まり、後一条天皇の生母藤原彰子上東門院と称して以来、院・門院の二種となった。にょいん。
※能因本枕(10C終)一七六「女院・宮ばらなどの屋あまたあるに」
[補注]本来の発音はニョイン。ニョウインとするのは、室町期以降に行なわれた故実読みによるものであるが、読みの明らかでない例は本項にまとめた。

にょ‐いん ‥ヰン【女院】

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デジタル大辞泉 「女院」の意味・読み・例文・類語

にょ‐いん〔‐ヰン〕【女院】

三后さんごう准母じゅんぼ女御にょうご内親王などで、朝廷から特に「院」または「門院」の称号を受けた女性。平安時代一条天皇のとき皇太后藤原詮子が出家の際に東三条院の院号を贈られたのに始まる。上皇に準じる待遇を受けた。にょういん。

にょう‐いん〔‐ヰン〕【女院】

にょいん(女院)」に同じ。
いかなる―、姫宮にてもおはしませ」〈太平記一八

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「女院」の意味・わかりやすい解説

女院
にょいん

天皇の母や皇后、後宮、皇女などで、女院号を宣下(せんげ)された者の称。「にょういん」とも読み、宮城の門号による命名が多かったので門院ともいう。991年(正暦2)一条(いちじょう)天皇の生母皇太后藤原詮子(せんし)が出家後、東三条院の号を授けられたのに始まり、ついで1026年(万寿3)後一条(ごいちじょう)天皇の生母太皇太后藤原彰子(しょうし)が上東門院(じょうとうもんいん)の号を宣下されて、門院号の例も開かれた。その後まもなく出家とは関係なく女院宣下が行われるようになり、さらに帝母でない三后、未婚の内親王、立后しない女御や後宮にも宣下され、ついには足利義満(あしかがよしみつ)の妻北山院(きたやまいん)のような特異な例や、没後追贈の例も生じ、1850年(嘉永3)宣下された孝明(こうめい)天皇の生母新待賢門院(しんたいけんもんいん)を最後として廃絶するまで、107人の女院を数えた。女院は本来太上(だいじょう)天皇に准ずる待遇を与えられたが、実際には時代により人によって大きな差異があり、また中世には莫大(ばくだい)な所領をもつ女院が相次いで現れ、皇室領の伝領に一役買った。

[橋本義彦]

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百科事典マイペディア 「女院」の意味・わかりやすい解説

女院【にょいん】

〈にょういん〉とも。天皇の母・后・皇女に贈られた尊号。待遇は院(上皇)と同じで,女院別当・判官代・主典代(しゅてんだい)などを任命。宮城(きゅうじょう)の門号による命名を門院という。女院の最初は991年(東三条院),門院の最初は1026年(上東門院)。明治に廃止。
→関連項目宣陽門院八条院

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「女院」の解説

女院
にょいん

「にょういん」とも。門院とも。院号を宣賜され太上天皇に準じる待遇をうけた女性の総称。10世紀末の一条天皇生母の皇太后藤原詮子(せんし)(東三条院)から,19世紀半ばの孝明天皇生母の典侍藤原雅子(新待賢門院)までの107人。初期の詮子と彰子は出家時だが,以後は必ずしも関係なく,没時や没後の宣賜もあった。(1)天皇生母の三后(国母后宮),(2)天皇生母でない,または非妻の三后(非国母后宮),(3)天皇准母または后位にない准三宮の内親王など(非国母准后),(4)天皇生母で后位にない准三宮の女御(にょうご)・典侍(ないしのすけ)など(国母准后)に分類できる。院号は殿邸・御領所のほか宮城内諸門に由来し,門号に限りがある場合は旧号に新・後を付した。

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世界大百科事典 第2版 「女院」の意味・わかりやすい解説

にょいん【女院】

〈にょういん〉とも読む。天皇の母や皇后,後宮,女御や内親王などで,女院号を宣下された者をいう。991年(正暦2)9月一条天皇の生母皇太后藤原詮子が病により出家したため,出家後の詮子の処遇が問題になり,皇太后を止め,改めて東三条院の院号を宣下し,太上天皇に准ずる待遇を与えたのが初例である。以後,1850年(嘉永3)2月,孝明天皇の生母藤原雅子が新待賢門院の院号を宣下されるまで,詮子も含めて女院号を授けられた者は107名(このうち2度院号宣下を被った者があり,院号例は108)である。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「女院」の意味・わかりやすい解説

女院
にょいん

天皇の母,三后,後宮,内親王などに授ける尊称。一条天皇の母詮子が出家したとき「東三条院」を贈られたのが最初。待遇は上皇に準じた。

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世界大百科事典内の女院の言及

【皇室領】より

…また院政時代は皇室領荘園が飛躍的に増大した時代である。寄進地系荘園の設立が本格化し,院政権力のもとに荘園の寄進が集中したためであるが,天皇・上皇・女院(によいん)等の御願寺建立の盛行がそれに拍車をかけ,御願寺領荘園として皇室の所領を拡大した。鳥羽上皇建立の安楽寿院領48ヵ所,後白河上皇建立の六条長講堂領90余ヵ所などは,その代表的なものである。…

【女院】より

…〈にょういん〉とも読む。天皇の母や皇后,後宮,女御や内親王などで,女院号を宣下された者をいう。991年(正暦2)9月一条天皇の生母皇太后藤原詮子が病により出家したため,出家後の詮子の処遇が問題になり,皇太后を止め,改めて東三条院の院号を宣下し,太上天皇に准ずる待遇を与えたのが初例である。…

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