精選版 日本国語大辞典 「女院」の意味・読み・例文・類語
にょう‐いん ‥ヰン【女院】
にょ‐いん ‥ヰン【女院】
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天皇の母や皇后、後宮、皇女などで、女院号を宣下(せんげ)された者の称。「にょういん」とも読み、宮城の門号による命名が多かったので門院ともいう。991年(正暦2)一条(いちじょう)天皇の生母皇太后藤原詮子(せんし)が出家後、東三条院の号を授けられたのに始まり、ついで1026年(万寿3)後一条(ごいちじょう)天皇の生母太皇太后藤原彰子(しょうし)が上東門院(じょうとうもんいん)の号を宣下されて、門院号の例も開かれた。その後まもなく出家とは関係なく女院宣下が行われるようになり、さらに帝母でない三后、未婚の内親王、立后しない女御や後宮にも宣下され、ついには足利義満(あしかがよしみつ)の妻北山院(きたやまいん)のような特異な例や、没後追贈の例も生じ、1850年(嘉永3)宣下された孝明(こうめい)天皇の生母新待賢門院(しんたいけんもんいん)を最後として廃絶するまで、107人の女院を数えた。女院は本来太上(だいじょう)天皇に准ずる待遇を与えられたが、実際には時代により人によって大きな差異があり、また中世には莫大(ばくだい)な所領をもつ女院が相次いで現れ、皇室領の伝領に一役買った。
[橋本義彦]
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「にょういん」とも。門院とも。院号を宣賜され太上天皇に準じる待遇をうけた女性の総称。10世紀末の一条天皇生母の皇太后藤原詮子(せんし)(東三条院)から,19世紀半ばの孝明天皇生母の典侍藤原雅子(新待賢門院)までの107人。初期の詮子と彰子は出家時だが,以後は必ずしも関係なく,没時や没後の宣賜もあった。(1)天皇生母の三后(国母后宮),(2)天皇生母でない,または非妻の三后(非国母后宮),(3)天皇准母または后位にない准三宮の内親王など(非国母准后),(4)天皇生母で后位にない准三宮の女御(にょうご)・典侍(ないしのすけ)など(国母准后)に分類できる。院号は殿邸・御領所のほか宮城内諸門に由来し,門号に限りがある場合は旧号に新・後を付した。
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…また院政時代は皇室領荘園が飛躍的に増大した時代である。寄進地系荘園の設立が本格化し,院政権力のもとに荘園の寄進が集中したためであるが,天皇・上皇・女院(によいん)等の御願寺建立の盛行がそれに拍車をかけ,御願寺領荘園として皇室の所領を拡大した。鳥羽上皇建立の安楽寿院領48ヵ所,後白河上皇建立の六条長講堂領90余ヵ所などは,その代表的なものである。…
…〈にょういん〉とも読む。天皇の母や皇后,後宮,女御や内親王などで,女院号を宣下された者をいう。991年(正暦2)9月一条天皇の生母皇太后藤原詮子が病により出家したため,出家後の詮子の処遇が問題になり,皇太后を止め,改めて東三条院の院号を宣下し,太上天皇に准ずる待遇を与えたのが初例である。…
※「女院」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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