翻訳|Slave Coast
西アフリカ,ギニア湾沿岸の,現在のベニン共和国からナイジェリア連邦共和国にかけての地方を,かつてヨーロッパ人が指した名称。おもに17世紀から18世紀にかけて,この地方から大量の黒人が奴隷としてアメリカ大陸へ積み出されたためにこの地名が生まれた。ウィダー,ジャカン,ポルト・ノボ,バダグリ等のおもな積出港には,ポルトガル,オランダ,ブランデンブルク,イギリス,フランス等のヨーロッパ諸勢力が,交易拠点で奴隷の収容所でもあった砦を築き,互いに争奪を繰り返した。とくに,この地方で18世紀に強大となった軍事的性格の強いダホメー王国は,戦いで得た捕虜を奴隷としてヨーロッパ船に売ることによって繁栄した。奴隷海岸から積み出された奴隷の数は,18世紀だけでも200万にのぼると推定されている。
執筆者:川田 順造
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
西アフリカ,ギニア湾の現ベニンからナイジェリアにかけての海岸部。17~19世紀頃,多くの奴隷が積み出されたことで知られ,ヨーロッパ人から奴隷海岸と呼ばれた。この地のダホメ王国は奴隷貿易で繁栄した。
出典 山川出版社「山川 世界史小辞典 改訂新版」山川 世界史小辞典 改訂新版について 情報
西アフリカのギニア湾に臨む海岸地域。東は今日のナイジェリアのニジェール川デルタ地帯から、ベナンを経て、西はトーゴとガーナの国境付近に至る。15世紀から19世紀にかけて行われた奴隷貿易において、この付近の海岸は奴隷の取引がもっとも盛んな所であったことから、ヨーロッパ人たちはこの海岸を「奴隷海岸」とよぶようになった。ポルト・ノボなど沿岸の港から、大量の黒人奴隷がアメリカ大陸へ向けて積み出された。
[原口武彦]
出典 旺文社世界史事典 三訂版旺文社世界史事典 三訂版について 情報
…宗教は多くの人が固有の伝統宗教を信仰しているが,海岸地方にキリスト教が浸透し,北部にはイスラム教徒も居住している。【赤阪 賢】
[歴史]
わずか東西100kmほどの幅でギニア湾に面しているこの国の沿岸地域には,15世紀ころからヨーロッパ人が渡来し,基地を建設して奴隷貿易を盛んに行っていたことから,このあたりの沿岸をヨーロッパ人は奴隷海岸と呼んでいた。19世紀末にフランスによって植民地化されるまでは,この地域は文化的系譜を異にするバリバ,ヨルバ,フォンなど数多くの部族によって住み分けられ,数多くの小王国が栄枯盛衰を重ねてきた。…
※「奴隷海岸」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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