売春婦の異称の一つ。日本では一般に公娼をさすことが多く,ことに明治以後は官制用語となったため,それ以前の遊女と対比して用いられている。しかし明治政府も,1872年(明治5)10月のいわゆる娼妓解放令以前は江戸時代同様に遊女とよんでいたし,以後も大阪府が遊妓と称したように,初めから娼妓に統一していたわけではない。とくに娼妓の取締りが各府県に任されていたため,名称のみならず就業最低年齢,年季,居住免許地,営業方法などには多少の差があった。それが,19世紀末に盛んとなった自由廃業と廃娼運動とに対応するため,1900年に娼妓取締規則(内務省令44号)を制定して全国的な統制をはかることになり,正式に国が公娼制を認める結果となった。同規則は娼妓の年齢を18歳以上とし(従来は15~16歳),住居や外出に制限を加えるとともに,自由廃業の道を閉ざした。娼妓が江戸時代の遊女と違う特色は,性病の強制検診と遊芸技能の欠如とにあった。検診は娼妓免許の必要条件であり,有疾者は入院治療の義務を負って休業させられた。これにより娼妓による伝染率は低下したはずであるが,私娼に検診が及ばないため罹病率は減らなかった。また,遊芸は売春における情緒要素であるが,江戸中期以後低下していた遊女の技芸は,娼妓になるとほとんど無に近くなり,多くは肉欲のみの対象となって上客を失うに至った。それでも1890年前後には約3万人だった娼妓が,1920年代には5万人を超すほどに増加しており,需要の増大をうかがわせる。第2次世界大戦中には部分的な縮小もみられ,末期には戦地なみに慰安婦と称したが,なお正式名称は娼妓であった。46年2月に娼妓取締規則が廃止されて,娼妓の名称は消滅した。
→公娼
執筆者:原島 陽一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
売春婦の異称。遊女屋を娼家、遊女を娼女・娼妓と別称することは江戸時代にも散見し、洒落(しゃれ)本に『娼妓絹籭(きぬぶるい)』(山東京伝著・1791刊)の題名もある。しかし明治維新後、従来一定の名称をもたなかった公娼を、娼妓の名に統一したので、以後はおもにその意味で用いた。1872年(明治5)の娼妓解放令は形式的な宣伝にすぎなかったから、以後も娼妓は存続した。娼妓を管轄していた各府県の規則をみても、年齢制限(15~16歳)と検黴(けんばい)(黴毒などの性病検査)の義務とが加わったほかは、接客は貸座敷内、住居は遊廓(ゆうかく)指定区域内に限り、外出も大幅に制限を受けるなど、従来の遊女の条件と実質的に大差なかった。1900年(明治33)救世軍による廃娼運動が展開されたが、これまでの唯一の権利であった自由廃業も、同年の娼妓取締規則(内務省令44号)で削除された。前借金無効の判決は出たが廃業の実行は困難であり、稼ぎ高の貸借帳簿は作成されたが、内容不明の借金が追加されて拘束を逃れることはできなかった。しかも娼妓数は増加し続け、1920年代には全国に5万人以上が在籍した。一方で娼妓の質的な低下が遊客の下落を招き、社交女性の地位は芸者に移った。1946年(昭和21)2月に娼妓取締規則が廃止されたので、娼妓の名称もなくなった。
[原島陽一]
…会合などのために有料で部屋を貸す貸席の意であるが,江戸中期以後は男女の密会のために座敷を提供するのを業とする家の称となり,出合(であい)茶屋,陰間(かげま)茶屋の別称として用いられた。それが1872年(明治5)の娼妓(しようぎ)解放令後は,明治政府による公娼遊郭制度下の遊女屋の公式名称となった。すなわち,娼妓解放令はマリア・ルース号事件に対する外交的配慮の所産であったから,政府は公娼制を維持するために,遊女を娼妓,遊女屋を貸座敷と改称して再編をはかった。…
…【原島 陽一】
[中国の妓女]
中国では芸者のことを妓女(ぎじよ)という。妓女は芸妓ばかりではなく,娼妓をも意味し,売春を専門とする下級の妓女は野妓女といい,また上海方面では野鶏とよばれる。これらは人民共和国治下の現在では姿を消している。…
… この種の賤民には,賤役に従事するゆえに賤視されるものと,歴史的理由によって良民と区別されるものとがある。前者には娼妓,俳優,隷卒(役所にあって特定の賤役に従事する者),六色(冠婚葬祭の雑役に従事する者),理髪師などが,後者には楽戸,堕民(だみん),九姓漁戸,蛋(蜑)民(たんみん),寮民,棚民,丐戸(かいこ),伴当,世僕などが属する。楽戸は音曲歌舞を業とし,河北,山西,陝西に居住する。…
※「娼妓」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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