孔教(読み)こうきょう(その他表記)Kǒng jiào

改訂新版 世界大百科事典 「孔教」の意味・わかりやすい解説

孔教 (こうきょう)
Kǒng jiào

孔子教ともいう。中国,清末から民国初にかけて,孔子を尊崇して国家的宗教にしようとする運動のなかで用いられたことば。はじめ,清末の康有為が光緒帝にたてまつった上奏文(1898年6月)のなかで,全国の淫祀を廃絶して孔子を教主とする孔教を尊び,制度として教部,教会,孔子廟を設け,あらゆる郷・市に孔教会を,さらに全国教会の長として祭酒老師を置くことなどを要請したが,彼の指導する変法運動の失敗とともに,孔教問題は一時鳴りをひそめた。しかし辛亥革命(1911)で共和政体が成立すると,1913年の憲法草案で孔子の道が国民教育の根本とされたことから孔教問題が再燃した。康有為,陳煥章らの孔教会は孔教の国教化を推進し,他方,信仰の自由を主張する者や仏教,ラマ教イスラム,キリスト教などの信徒からの反対論が出され,おりしも活発になった復辟運動や袁世凱の帝制運動ともからんで激しく論議された。さらに張勲の復辟運動(1917)に呼応して康有為が〈共和平議〉で君主立憲とともに孔子尊崇を唱えたので,陳独秀ら若い知識人は,雑誌《新青年》によって尊孔思想をはげしく攻撃し,やがて五・四新文化運動にまで継承発展した。
孔子批判
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百科事典マイペディア 「孔教」の意味・わかりやすい解説

孔教【こうきょう】

〈孔子教〉とも。清末から民国初の中国で,孔子尊崇の国教化を図ろうとする運動において用いられた語。康有為,陳煥章らの推進派と陳独秀らの若手知識人とのあいだに論戦が交わされた。孔子批判は1973年以降の批林批孔運動まで続く。→儒教

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世界大百科事典(旧版)内の孔教の言及

【中国】より

…黄帝が仕立て屋の守護神であり,魯班が大工の守護神であるのと同じ意味で,孔子は士大夫の守護神にすぎないといった人があるが,けっして荒唐の説ではない。清末改革運動のリーダーたる康有為が散砂のごとき中国人民を〈国民〉につくり変えようとして,そのためには,ヨーロッパ列強におけるキリスト教のごとき宗教が必要であると孔教を提唱したとき,彼が痛憤したのは,儒教がこれまで人民を疎外してきたという事実であった。もちろん儒教の側としては弁解の余地はあった。…

※「孔教」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

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