存在論(読み)そんざいろん(英語表記)ontology

翻訳|ontology

精選版 日本国語大辞典 「存在論」の意味・読み・例文・類語

そんざい‐ろん【存在論】

〘名〙 (ontology の訳語) さまざまな事物について、それが存在するといわれることの意味を問い究め、世界の構造について、さらには一般的に存在そのものの根拠またはその様態について考察し、規定する哲学の基礎的部門。しばしば形而上学と同義に用いられる。存在学

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デジタル大辞泉 「存在論」の意味・読み・例文・類語

そんざい‐ろん【存在論】

《〈ドイツOntologie》あらゆる存在者が存在しているということは何を意味するかを問い究め、存在そのものの根拠またはその様態について根源的・普遍的に考察し、規定する学問。アリストテレス第一哲学以来、形而上学の中枢に位置し続けている哲学の基礎的部門。存在学。本体論オントロギー

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改訂新版 世界大百科事典 「存在論」の意味・わかりやすい解説

存在論 (そんざいろん)
ontology

ギリシア語の〈在るものon〉と〈学logos〉から作られたラテン語〈オントロギアontologia〉すなわち〈存在者についての哲学philosophia de ente〉に遡(さかのぼ)り,17世紀初頭ドイツのアリストテレス主義者ゴクレニウスRudolf Gocleniusに由来する用語。同世紀半ば,ドイツのデカルト主義者クラウベルクJohann Claubergはこれを〈オントソフィアontosophia〉とも呼び,〈存在者についての形而上学metaphysica deente〉と解した。存在論を初めて哲学体系に組み入れたのは18世紀のC.ウォルフであり,次いでカントであった。カント以後,存在論は哲学体系から消失したように見えるが,19世紀の終末以来,とりわけ第1次世界大戦後に復活し,今日では認識論と並んで哲学の主要分野を成している。以下,存在論の系譜を略述し,終りに訳語の歴史を回顧しよう。

 アリストテレスの《形而上学》は〈第一哲学prōtē philosophia〉であり,〈存在者を存在者としてon hēi on〉考究し,およそ存在者であれば本質的に備わっている属性や性質(一と多,同と異,先と後,類と種,全と個,範疇,真と偽など),存在者の区別を一般的に扱い,また最高の存在者すなわち〈神的なものtheion〉を扱う〈神学theologikē〉を含むが,〈存在論〉とは呼ばれていない。中世のスコラ哲学もアリストテレスを手引きとし,〈存在者ens〉と〈存在esse〉との区別,〈本質存在essentia〉と〈事実存在existentia〉との区別にも目を向けるが,〈存在論〉といういい方はない。しかしアリストテレスの《形而上学》と中世の形而上学とが〈存在論〉という言葉の発生の源泉であることは明白である。これをスアレスの《形而上学論議》(1597)に即して追ってみよう。彼は〈実在的な存在者ens realeである限りでの存在者〉を〈知性的存在者ens rationis〉,すなわち知性・悟性の産物として心の中に想像された存在者から鋭く区別し,前者を次の2部門で扱う。まず〈存在者とその固有性の共通概念について〉であり,〈存在者の概念〉,一・真・善などの〈存在者の共通の状態〉,質料因・形相因動力因・目的因などの〈諸原因〉に分かれ,存在者一般を論じる部門である。次は存在者の〈諸区別〉で,〈無限な存在者〉すなわち〈神〉と〈有限な存在者〉とに分かれ,後者ではさらに〈実体substantia〉と〈付帯性accidentia〉等に細分化されるが,全体としては特定の存在者を論じる部門である。スアレスの形而上学はデカルトに影響を与え,またこの2部門はJ.B.デュアメルに影響し,さらにはウォルフの〈一般形而上学metaphysica generalis〉と〈特殊形而上学metaphysica specialis〉との区別に影響を及ぼした。スアレスは〈存在論〉という言葉は用いていないが,上述の最初の部門がのちのウォルフの〈存在論〉の直接の源泉となったといいうる。

 ウォルフは哲学を理論的哲学と実践的哲学に分け,前者を〈形而上学〉と呼び,これは〈存在論〉〈合理的心理学〉〈宇宙論〉〈合理的神学〉から成るとする。〈存在論すなわち第一哲学とは,存在者が存在するかぎりにおいての,存在者一般ens in genereの学である〉。存在論は形而上学の第1部であり,魂,世界,神という優越した特殊な存在者を扱う〈特殊形而上学〉に先立ち,物体的・精神的であれ,自然的・人工的であれ,存在者一般を理論的に扱う〈一般形而上学〉である。存在論のもっとも一般的な原理は〈矛盾律〉と〈充足理由律〉であり,〈存在者の一般的諸性質〉を論じる部分と,〈存在者の主要な種類およびそれらの相互関係〉を論じる部分とに大別される。

 カントも〈存在論〉を哲学体系に取り入れた。《純粋理性批判》では,広義の形而上学は〈予備学〉としての〈批判〉と体系としての形而上学を含み,後者は〈自然の形而上学〉と〈道徳の形而上学〉に分かれ,〈自然の形而上学〉ではその第1部門を〈先験哲学Transzendentalphilosophie〉すなわち〈存在論〉とし,〈合理的自然学〉〈合理的心理学〉〈合理的宇宙論〉〈合理的神学〉に先立てている。《形而上学講義》(K.H.L. ペーリッツ編,1821)では,〈形而上学〉とは〈ア・プリオリな諸原理〉に依存する〈純粋哲学の体系〉であり,〈ア・プリオリな認識がいかにして可能であるか〉に答えるのが〈純粋理性批判〉の任務とする。一方,〈先験哲学とはわれわれの純粋でア・プリオリな認識いっさいの体系である〉といい,これが通常〈存在論〉といわれているものであって,〈いっさいの純粋な悟性概念と悟性ないし理性のいっさいの原則を包括する〉と述べ,形而上学は〈存在論〉〈宇宙論〉〈心理学〉〈神学〉から成ると説く。カントもウォルフ同様に存在論を形而上学の第1部とし,〈諸存在者の学〉とするが,正しくは語義上から〈一般的存在者論die allgemeine Wesenlehre〉であるとし,《形而上学講義》では〈可能なものと不可能なものについて〉以下24項目で詳論する。ウォルフと異なるのは,〈存在論〉を〈先験哲学〉すなわち〈人間のア・プリオリな認識の諸原理・諸要素の哲学〉と説き,ウォルフのように存在者ないし対象の概念を悟性で分析する次元から,対象の認識の次元へ,対象のア・プリオリな認識の原理の次元へと転換したことである。すなわち,〈特殊形而上学〉の存立もそれに先行する〈一般形而上学〉としての〈存在論〉の存立も,従来は自明のこととされてきたが,そもそも存在論的・形而上学的認識が可能であるか否かを,〈批判〉によって確定することが先決条件であり,その成果としての〈先験哲学〉すなわち〈存在論〉こそ基礎的形而上学であるとするのが,カントの構想であった。

 カント以降,存在論は哲学体系から消失するように見える。ショーペンハウアーによれば,〈《純粋理性批判》は存在論を分析知論Dianoiologieに変えてしまった〉のである。存在論の復興は19世紀末からであり,とりわけ第1次世界大戦後である。存在論と呼ばず広く〈対象論〉を説いたのはマイノングである。さらにフッサールは事実学に本質学を対立させ,事実的諸学は〈形相的諸存在論eidetische Ontologien〉に理論的基礎をもつとし,〈実質的・存在論的諸学科〉は〈実質的領域〉に区分される〈実質的存在論〉ないし〈領域的存在論regionale Ontologie〉に基づき,〈形式的・存在論的諸学科〉は〈形式的領域〉による〈形式的存在論formale Ontologie〉に基づくと説いた。またN.ハルトマン新カント学派から《認識の形而上学綱要》(1921)によって存在論の哲学者へと転換し,実在的世界の無機,有機,心,精神の4階層とそれらの範疇とを説いた。これらの新しい〈存在論〉の特質は,実在的な存在者だけでなく,観念的・理念的・意味的な存在者をも自覚的にその射程に収めた点である。同時に,従来は客体と対象との側面から,すなわち自然,神,動物,機械との差異においてのみ認識されてきた〈人間存在〉を,真に〈人間存在〉として根本に据え,人間存在に基づく存在論を建設しようとしたのは,実存哲学であり,哲学的人間学であった。

 ハイデッガーは人間を〈現存在Dasein〉と呼び,現存在の存在・存在意味を〈関心〉〈時間性〉とし,現存在の分析論を〈基礎的存在論Fundamentalontologie〉と呼び,人間以外の存在者に関する諸存在論の基礎を与えるものとした。彼は基礎的存在論を〈現存在の形而上学〉の第1段階とし,人間の存在を通路とする基礎的形而上学を構想した。同時に従来の〈存在論〉〈形而上学〉は,〈存在者das Seiende〉とその〈存在者性Seiendheit〉とを問題とするが,存在者と存在者を存在者たらしめる〈存在Sein〉との区別,すなわち〈存在論的差異ontologische Differenz〉を〈忘却〉していると説き,この〈存在忘却〉の広がった世界の中で〈存在の語りかけ〉を待ちうることこそ現代の人間の務めであると説く。ハイデッガーの思索は変転するが,存在論・形而上学が〈存在者〉と〈存在〉との区別に基づいており,真実の存在論・形而上学は〈存在の真相〉のそのつどの発現に由来するという洞察は,〈存在論〉の系譜の中で銘記されるべきことに属する。

 今日,存在者は諸科学の対象であるが,科学的な対象知としての存在知は,そのまま〈人間存在〉のための知となりうるであろうか。そもそも〈人間存在〉は何のために在るのか。客体知・対象知が自己知・主体知を凌駕するように見える現代こそ,〈知〉を〈人間存在〉のための〈存在〉となしうる人間の可能性が,根本から問い求められているのである。

日本では1870年(明治3)西周がウォルフのOntologieを〈理体学〉と訳したのが最初であり,81年〈実体学〉,1900年〈本躰論〉,05年〈本躰論〉〈実躰論〉,11年には〈本体論〉〈実有論〉,12年(大正1)には〈実体学〉〈本体学〉,17年に至っても〈本体論〉と訳されている。29年(昭和4)には〈存在学〉〈存在論〉が使用され,30年の《岩波哲学小辞典》ではontologiaが〈本体論〉,ontology,Ontologieは〈存在学〉〈存在論〉と訳されており,〈存在論〉が一般化するのは昭和10年代以降である。〈存在論〉は少なくとも1925年以来,ハイデッガーのOntologieに対する訳語として用いられている。29年和辻哲郎は,〈存在論〉の根本の問いは日本語では〈あるということはどういうことであるか〉であるとし,〈もの〉〈こと〉〈いう〉〈ある〉に関する見解を発表したが,これもハイデッガーの影響下のものである。31年和辻哲郎はハイデッガーのOntologieを〈有(う)論〉と訳し,今日でも若干の追随者がある。しかし存在論の本格的研究は,今後に残された課題なのである。
実存主義 →認識論
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日本大百科全書(ニッポニカ) 「存在論」の意味・わかりやすい解説

存在論
そんざいろん

哲学の一部門で、存在または存在者を扱う。存在学ともいう。ラテン語ではオントロギアontologiaというが、これは、ギリシア語のon(存在者)とlogos(論、説)からなる合成語であって、デカルト派の哲学者クラウベルク(1622―65)が初めて用いた。この語にあたるギリシア語はないが、存在および存在者の探究は、すでに古代ギリシアの哲学において始まっていた。

[加藤信朗]

古代

古代ギリシアの最初の哲学者が、いっさいの事物の始原は何かと問うたとき、それは事物の存在を、この事物の存在に先だつ、事物の存在以外の力(神々)によって説明すること(神話的解釈)を捨てて、事物の存在をわれわれにあらわで、あるがままの存在において、全体的に問うことであった。この意味において、ギリシアの哲学はその端緒から、すでに存在への問いとして出発していたといえる。しかし、存在の問題をそれとして明確化した最初の人は、パルメニデスである。

 すなわち、パルメニデスにおいて、存在の問題は「ある」estin(ギリシア語)ということばとしてとらえられ、存在者は「ある」ということばがいっさいの制約を離れてもつ十全な意味に従って、完全無欠なもの(いっさいの「あらぬ」を排除するもの)として思考された。そこから、不完全な存在者はすべて非存在者とされ、無宇宙論Akosmismus(ドイツ語)が帰結した。後代の存在論の問題は、すべて生成消滅する世界内の存在者をいかなる意味において存在するとするか、また存在しないとするかにかかっている。

 プラトンにおいて、非存在の問題が初めてとらえられた。存在は非存在において、われわれに示現する(したがって、存在と非存在は単純に排斥しあわない)。存在の示現がイデアである。存在と非存在のかかわり合いに存在論の問題があり、これを明らかにしていく道が問答法dialektikē(ギリシア語)である。アリストテレスにおいては、存在は存在本質とのかかわりにおいて問われる。すべて「あるもの」は、或(あ)る「何か」であり、この「何か」がその存在本質である。存在本質は、或る一定のものである限りにおいて或る類のうちにある。アリストテレスは、最高の類として10個のカテゴリーをあげた。しかし「ある」という述語はすべての類に属するものに述語されるので、カテゴリーの範囲を越え出るものであって、一定の類のうちに含まれる存在者を扱う特殊な科学によっては取り扱われない(「存在」はこの意味において、「善」「真」「一」などとともに、のちに「超越者」ラテン語ではtranscendentaliaとよばれた)。「ある」という述語を総合的に取り扱い、それがどのようなさまざまの意味をもち、またどのような原理に基づいてあるかを探究する学問を、アリストテレスは「存在者である限りにおける存在者の原理の学」と規定し、これを「第一哲学」(のちに「形而上(けいじじょう)学」とよばれる)と名づけた。これが、哲学史における存在論の最初の体系的な試みである。

[加藤信朗]

中世

古代末期から中世に至るキリスト教の思想は、聖書の神のことば(啓示)を世界存在解明の鍵(かぎ)とすることをその特色とした。そこで、モーセに語られたとされる「我はあるものなり」Ego sum qui sum(ラテン語)という神の自己示現のことばは、原理である神存在と被造物である世界存在との関係を解く鍵として、早くから注目され、そこに独特な存在の思索が展開されていった。「存在論的証明」としてアンセルムスのうちに結晶した存在の思弁は、この独自な存在論の生んだみごとな成果の一つである。

 ついで、トマス・アクィナスはイスラム教圏からも神学的思弁の伝統を吸収し、この存在思弁をアリストテレスの存在論に接合した。神は「存在そのもの」esse ipsum(ラテン語)すなわち、その存在の働きそのものが、その存在本質であるところのものである。これに対して、世界存在はそれぞれの存在に応じて相異なる存在本質をもつ。しかし、その存在本質は存在を含むものではないので、神である存在そのものに原因づけられて存在する。こうして、トマスによってキリスト教の創造論は存在論的に解釈された。

[加藤信朗]

近世

近世哲学の認識論的・観念論的な傾向は、存在の問題を哲学の主題から遠ざけた。この傾向は、20世紀前半期以来、実存論的・形而上学的な傾向をもつ哲学によって是正され始めたが、この偏向を根本から批判し、存在の問題を哲学の主問題として回復したのは、ハイデッガーである。

[加藤信朗]

『松本正夫著『存在論の歴史』(『岩波講座 哲学Ⅷ 存在と知識』所収・1968・岩波書店)』『アリストテレス著、出隆訳『形而上学』二冊(岩波文庫)』

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百科事典マイペディア 「存在論」の意味・わかりやすい解説

存在論【そんざいろん】

英語ontologyなどの訳で,17世紀のR.ゴクレウスの造語(ontologia)になるという。〈あるということはどういうことであるか〉(和辻哲郎)を問う哲学の一部門。しばしば認識論に対比される。個々の存在者ではなく,存在者一般に関する学であり,すべての存在者が存在者である限りにおいて共通にもつもの,あるいは存在そのものおよびそれのもつ最も根本的・普遍的な諸規定を考察する。アリストテレスにおける〈第一哲学〉としての形而上学は存在学であり,また中世のスコラ学はアリストテレス存在論の伝承をめぐって展開された一面をもつ。近世に入ってウォルフは存在論を特殊存在を論ずる諸部門の総論として,理性的認識による〈本体〉の学と考えた(そのため以前は存在論は〈本体論〉といわれた)が,カントはこれを認識の可能性に関する吟味を欠く独断論として否定し,代わって〈先験哲学〉を提唱した。しかし,カントの後,存在論は新たに認識論に対抗する意味で復活し,ヘーゲルの存在論の意味での論理学,N.ハルトマンの批判的存在論,フッサールハイデッガーサルトルらにおけるおのおの独自の現象学的存在論などにみられるように,それは存在論あるいは形而上学に認識論を先行させるカント的立場に対して,逆に存在論あるいは形而上学を基礎にして認識論を説くものである。→認識論

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「存在論」の意味・わかりやすい解説

存在論
そんざいろん
ontologia; ontology

存在者一般に関する学。 ontologiaの語は 1613年ゴクレニウスが最初に用い,クラウベルクを経てウォルフにいたり用語として定着したが,存在論自体は古代にさかのぼる。アリストテレスの第一哲学がそれであり,以後の歴史においても形而上学の中核は存在論であった。カント以後哲学の主流は認識論に傾いたが,20世紀に入って N.ハルトマンの批判的存在論や M.ハイデガーの基礎的存在論,また実存哲学の興隆によって再び存在論が哲学の中核となった。

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