福沢諭吉の主著の一つ。1872年(明治5)より76年までに17の独立の小冊子として刊行され,80年に合本となる。体裁は必ずしもまとまったものではないが,主題という点では,一貫性が強い。現在の根本的課題は,人民が従来の卑屈・無気力な状態を脱却して,自由独立の気風を身につけるようにすることである。そうして初めて,日本の真の文明化と対外的自由独立が達成される。そのためには,人民が西洋風の新しい学問を学び,時と場に応じて何が重要かを判断し,行動する知恵と勇気をもつようにしなければならない。この主題をめぐって,日用に役立たない旧来の学問を否定して,〈実学〉が提唱されたり,人間平等の観念や契約説的国家論が説かれたり,政府が暴政を行う場合,人民はいかに行動すべきかが論じられたり(日本でこの問題を最初に論じたのは本書であろう),西洋の文物を導入する際,文明の外形ではなくて,文明の精神を摂取する必要があると説かれ,西洋の文物思想を盲目的に崇拝することが否定されたりしている。本書は同じ福沢の《文明論之概略》とともに,明治初年の啓蒙思想を代表する傑作である。
執筆者:植手 通有
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
福沢諭吉が著した明治初期のもっとも有名な啓蒙(けいもう)書。初編は1872年(明治5)刊行されたが、非常な評判をとったのでシリーズ化し、76年刊の第17編まで続いた。発行部数あわせて340万といわれ、当時のベストセラー。初編冒頭の人間平等宣言、「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らずと云へり」はあまりに有名だが、福沢はこの書によって封建卑屈の精神を批判し、「一身独立して一国独立する」ことを教え、そのために「人間普通日用に近き実学」を西洋から学ぶべきだと説いた。日本における近代的、合理主義的な人間観、社会観、学問観の出発を示す書であるが、学問による差別を生んだという批判もある。
[広田昌希]
『伊藤正雄著『「学問のすゝめ」講説』(1968・風間書房)』
明治初期の啓蒙的学問論。福沢諭吉著。1872年(明治5)2月に初編,76年に第17編を刊行。80年7月に合本として刊行。初編は1871年の郷里旧豊前国中津の市学校開校時に生徒に示したもの。2編以降は随時執筆され,それぞれが独立し,第2編「人は同等なること」,第3編「国は同等なること」「一身独立して一国独立する事」,第4編「学者の職分を論ず」などを内容とする。初編は有名な「天は人の上に人を造らず,人の下に人を造らず」で始まり,人は学問のなかでも実学を心得ることで身も独立し,それが家の独立,天下国家の独立に通じると説いた。この主張はほぼ全編を貫き,学制や自由民権運動に広く影響を与えた。「福沢諭吉全集」「岩波文庫」所収。
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…4月には慶応義塾(のちの慶応義塾大学)と正式に名のった私塾によって文明の火種を伝えることに踏み切り,明治新政府への出仕の召しにも応じなかった。71‐72年(明治4‐5)ころ新政府が意外にも盲目的攘夷とは逆の政策をとっていることを知り,《学問のすゝめ》17編(1872‐76)のシリーズを刊行して,天賦の個人の独立・自由・平等を基礎に下から国民国家を形成し,そのような国民国家が〈天理人道〉と〈万国公法〉の下に独立と平等の関係で交わる国際社会を構想した。《学問のすゝめ》は,そのシリーズを中断して著された《文明論之概略》(1875)や《西洋事情》とともに福沢の名を世に高めた。…
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出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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