うじ うぢ【宇治】
[1]
※
古今(905‐914)恋四・六八九「さむしろに衣かたしきこよひもや我をまつらん宇治の橋姫 又はうぢのたまひめ〈よみ人しらず〉」
[二] 京都府の南東部にあった郡。古くは「うち」とも。旧郡域は京都・宇治の両市に編入され、昭和二六年(一九五一)消滅。
[2] 〘名〙
※いやな感じ(1960‐63)〈高見順〉四「こんなうまいウジ(茶)を日本では未だかつて飲んだことがないと思った」
※
松屋会記‐久政茶会記・永祿六年(1563)正月一一日「三の膳 金の桶、宇治、梅つけに」
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デジタル大辞泉
「宇治」の意味・読み・例文・類語
うじ【宇治】[地名]
京都府南部の市。宇治川が流れ、奈良と結ぶ渡河地として早くから開けた。平安時代から貴族の別荘地で、源氏物語の舞台。宇治茶の産地。平等院・黄檗山万福寺などがある。古くは「菟道」とも書いた。人口19.0万(2010)。[歌枕]
「暮れて行く春のみなとは知らねども霞におつる―の柴舟」〈新古今・春下〉
「宇治茶」の略。
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宇治【うじ】
(1)山城国宇治郡および久世(くせ)郡の地名(古代の郷名)で,京都府宇治市の市名に継承されている。両郡堺に宇治川が流れ,右岸に宇治郡宇治郷,左岸に久世郡宇治郷があり,古くには合わせて〈宇治里〉とも呼ばれた。宇遅(《古事記》),菟道(《日本書紀》),兎道・氏・是(《万葉集》),宇治(《播磨国風土記》)などと記されたが,平安時代前期以降はほぼ宇治が用いられるようになった。宇治は奈良時代の北陸道(のちの奈良街道)の渡河点であり,7世紀半ばには日本で最初の宇治橋が架けられ,以後宇治橋とその付近にあった宇治津を核に水陸交通の結節点として発展。平安遷都後は風光明媚であることから皇族,貴族の遊覧の地となり,離宮,別業(なりどころ)や仏堂が営まれた。その一つが平等院である。すでに《万葉集》に宇治川や宇治渡(うじのわたり)が詠まれているが,《古今和歌集》以後は宇治山,宇治橋,宇治の網代(あじろ)などが加わり,また詞書に〈宇治にて〉と記す歌が盛んに詠まれ,歌枕となった。また散文でも《源氏物語》が〈宇治十帖〉の舞台としたのをはじめ,《蜻蛉(かげろう)日記》《更級(さらしな)日記》などの日記類が大和の初瀬詣(はせもうで)の道中に記している。1180年平氏打倒の兵を挙げた以仁(もちひと)王・源頼政らは宇治橋での合戦で敗死するが,以後中世を通じて宇治の地はたびたび戦乱の舞台となり(宇治川の戦),山城国一揆の際には平等院は国人の集会(しゅうえ)の場となった。現在も宇治の主要産業である宇治茶の植栽は13世紀に開始されたと伝え,14世紀中ごろには著名な産出品となっていた。宇治郷には足利義満が開かせたという7ヵ所の名茶園があり,宇治七名園と称された。江戸時代の宇治郷はこの七名園での生産を中心として在郷町的性格を強く保ち,宇治代官上林(かんばやし)氏が居住し,幕府・諸大名と取引をする宇治茶師数十家が宇治茶師三仲ヶ間を結成していた。宇治郡に属していた地域は江戸時代初期には乙方(おちかた)村と呼ばれたが,中期までには久世郡宇治郷に併合された。宇治郷は1889年宇治町となり,1951年宇治市成立の核となった。(2)三重県(伊勢国)の地名。現在の伊勢市中心部にあり,伊勢神宮の内宮の鳥居前を宇治,外宮(げぐう)の鳥居前を山田と呼んだ。中世から門前町(鳥居前町)としての性格が強く,自治組織として宇治会合(えごう)が形成された。室町時代には山田との争いがたびたび発生し,1486年宇治側が北畠氏の兵を頼んで山田に攻め入り外宮が炎上,1489年には山田側が宇治を焼き払っている。江戸時代は幕府管轄下におかれ,山田奉行が支配。1788年の戸数約1000。1889年宇治と山田が合併して宇治山田町,1906年宇治山田市となり,その後の町村合併を経て1955年伊勢市と改称。→会合衆
→関連項目忍熊皇子|山田
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宇治
うじ
和歌山城北側の武家屋敷地の地域名称。町人町の中心をなす内町地区の裏側に位置し、大手御門・京橋より北に延びる本町通の東裏一帯を東宇治、西北裏一帯を西宇治とよぶ。宇治の地名は、江戸時代以前は内町の地域を含む付近一帯の総称で、中世末期には雑賀庄の経済的中心であり、鷺森御坊がこの地に移転して以後は宗教的中心ともなった。
慶長五年(一六〇〇)浅野氏が入部し、城下町の大整備で城下に編入され、大手口防衛のために武家屋敷や寺院を配し、町人町と鷺森御坊門前町を内町として分離した。元和五年(一六一九)徳川氏入部以降はさらに武家屋敷が増え、寺町を吹上地区に移して全域が武家地となった。しかし武家屋敷の間や紀ノ川堤防付近には田畑もあったらしく、それらは宇治領として中規模村並の高付がされている。
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宇治
うじ
京都府宇治市の中心市街地。『倭名類聚抄』の久世郡宇治郷にあたる。菟道稚郎子(うじのわきいらつこ)の離宮があったと伝えられ,古代より木津として宇治川を利用した木材運送の中継地であった。また,渡しとして奈良と京都を結ぶ交通の要地であった。大化2(646)年にはすでに宇治川に橋がかけられ,12世紀以後は佐々木高綱の宇治川先陣で名高い源平合戦(→宇治川の戦い)など,たびたび戦場となった。中世以降,宇治茶の産地として有名。藤原道長の別業であり,のちに藤原頼通が仏寺とした平等院や,黄檗宗大本山の萬福寺がある。
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世界大百科事典内の宇治の言及
【山田】より
…伊勢神宮外宮鎮座地,またその鳥居前町。現在,内宮の鳥居前町宇治とともに三重県伊勢市の中心部。《止由気(とゆけ)宮儀式帳》《延喜式》は外宮の所在地を度会(わたらい)郡沼木(ぬき)郷山田原(やまだのはら)とし,12世紀には山田村,あるいは山田郷としても現れる。…
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