安堵(読み)アンド

デジタル大辞泉 「安堵」の意味・読み・例文・類語

あん‐ど【安×堵】

[名](スル)《「堵」は垣根の意》
気がかりなことが除かれ、安心すること。「安堵の胸をなでおろす」「無事を聞いて安堵した」
垣根の内の土地で安心して生活すること。また、その場所。
「それより八幡にも―せずなりて、かかる身となりにけるとぞ」〈著聞集・一二〉
中世、土地の所有権領有権・知行権などを幕府・領主が公認したこと。
[類語]心強い気強い気丈夫心丈夫安心一安心気休め安全大丈夫安息人心地安んずる胸を撫で下ろす

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精選版 日本国語大辞典 「安堵」の意味・読み・例文・類語

あん‐ど【安堵】

  1. 〘 名詞 〙 ( 「堵」は垣の意 )
  2. ( ━する ) 垣の内に安んじて居ること。転じて、土地に安心して住むこと。家業に安んずること。また、安住できる場所。
    1. [初出の実例]「比者、遷都易邑。揺動百姓。雖鎮撫、未安堵」(出典:続日本紀‐和銅二年(709)一〇月庚戌)
    2. 「其より八幡にも安堵せずなりて、かかる身と成りにけるとぞ」(出典:古今著聞集(1254)一二)
    3. [その他の文献]〔史記‐高祖紀〕
  3. ( ━する ) 心の落ち着くこと。安心すること。
    1. [初出の実例]「今度の合戦、思ひのほか早速に落居して、諸人安堵のおもひをなして」(出典:保元物語(1220頃か)下)
    2. 「功をないた者には所領を取せいと云付るぞ。群臣━まうあんとぢゃと云ふたぞ」(出典:寛永刊本蒙求抄(1529頃)三)
  4. ( ━する ) 中世、幕府や戦国大名御家人・家臣の所領の領有を承認すること。特に、親から受けついだ所領の承認を本領安堵という。
    1. [初出の実例]「或安堵本領。或令新恩」(出典:吾妻鏡‐治承四年(1180)一〇月二三日)
    2. 「所帯に安堵(あんト)したりけるが、其恩を報ぜんとや思ひけん」(出典:太平記(14C後)三五)
  5. 以前本人またはその父祖が領有していた土地を取り戻すこと。〔日葡辞書(1603‐04)〕
  6. あんどじょう(安堵状)」の略。
    1. [初出の実例]「去永徳二年十二月廿六日所給安堵紛失云々」(出典:上杉家文書‐明徳四年(1393)一一月二八日・足利義満安堵下文)

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改訂新版 世界大百科事典 「安堵」の意味・わかりやすい解説

安堵 (あんど)

〈安堵の胸をなでおろす〉のように現在では精神的な安心状態の表現に使われているが,本来は堵(垣)の中に安んずる,すなわち他の侵害から人身,財産が防御された状態を示す言葉であり,中世ではもっぱら所領を中心とした財産権の移転に際して,支配者,主人から被支配者,従者に与えられる法的承認行為を意味した。こうした公法的安堵ははじめ武家社会で発生発達し,中世中期以後公家法・荘園法領域に及んでいったと考えられる。例を鎌倉幕府にとると,安堵の対象は相続,売買,贈与,紛失(証文)などであったが,このうち最も重要視されたのは継目(つぎめ)安堵と呼ばれた相続の安堵であった。相続人たる御家人は,譲状その他の証文を添えた安堵申状を幕府に提出,受理した安堵奉行当知行や不服人の有無を調査し,問題がなければ関東下知状,もしくは譲状の余白に記した外題(げだい)安堵を相続人に交付するのが鎌倉後期の一般的な手続であった。もし不服人があれば,引付において一般の所務沙汰とほぼ同じ審議が行われた。継目安堵は御家人の相続のみに限定されており,御家人以外の者の相続や,安堵者たる将軍の代替り安堵は発給されなかった。このことは少なくとも鎌倉初期においては被官に対して代替り安堵を発給していた北条氏などの場合や,武士以外にも安堵状を発給した室町幕府との比較から,安堵の本質を考えるうえで重要な手がかりとなるだろう。買得安堵は御家人所領の売却質入れに際して与えられたもので,買得人はこれによって徳政令の適用を免れることができた。当該所領が当知行であること,御家人の私領であること,この2点が買得安堵下付の条件であった。買得,和与,紛失などの安堵は当然御家人以外の者に対しても発給されたが,安堵者はつねに鎌倉殿の意を奉じた関東のみであり,裁判の判決などと違って六波羅や鎮西は手続的に関与しても安堵状を発給することはできなかった点は注意しなければならない。

 このように安堵は,一般に占有が平静に確保されている所領の権利移転について発せられるものであり,不知行地の移動,あるいは他からの侵害を予防するための移動を伴わない単純な当知行安堵の申請は,中世を通じてほとんど違法とされていた。これに対しいわゆる本領安堵と呼ばれるものには,主従関係の設定に際して従者が相伝してきた根本私領(本領)の権利を確認するもの,また現に失われている旧領(本領)を回復し給与するもの,の2種類が含まれているが,いずれも新しい主従関係の設定や,新しい権力の樹立に際しての特殊な安堵であって,その特性を通常の安堵と混同してはならない。なお中世武家権力を主従制的・統治権的支配の二元性においてとらえる学説が有力であり,少なくとも初期室町幕府では,安堵は足利直義の管轄した統治権的支配の中核であったが,安堵が本来そのような性格のものであったかどうかは,なお未解決な問題といえよう。
執筆者:

江戸時代には主君から給与された所領知行は一代限りという原則のもとに,相続は許可制をとり,将軍代替りの際には判物(はんもつ)あるいは朱印状によって継目安堵が行われ,大名よりは判物や黒印状をもって行われた。朱印状によって安堵された所領は総称して朱印地というが,大名領が領分,旗本領知行所と呼ばれるのに対し,狭義には寺社領のみを指す。これに対し大名による安堵地を黒印地という。幕府による継目安堵の手続は,先例の証として歴代将軍の御朱印類を差し出し,新将軍の御朱印の交付を受け,先判の御朱印類も併せて返還された。この手続を〈御朱印改め〉と称し,歴代将軍は将軍宣下の時点から早くて約1年半,遅いのは10余年を経て新しい朱印状を発給している。ただし家宣,家継,慶喜の3将軍は発給していないので,家康以来の朱印状は普通12通を数える。判物,朱印状の区別および書止文言の差異は官位,家格,石高に基づく。ちなみに大名の場合は10万石以上,侍従以上には判物が用いられた。
安堵状
執筆者:


安堵[町] (あんど)

奈良県北西部,生駒郡の町。人口7929(2010)。1986年町制。町名は古代~中世の荘園安堵荘に由来する。東の岡崎川,西の富雄川,南の大和川に三方を囲まれた低湿地を占め,古くから水害が多く,河川改修が進められてきた。主要産業は製造業で,西名阪自動車道の開通によって住之江織物などの工場進出が続いた。皮革加工などの地場産業もあり,製造業就業人口は全就業者の4割を占めている。町域の半分を水田が占め,稲作を中心とする農業が行われる。近年は都市化の進展により,ハウスでのトマト,イチゴなどの栽培が多くなっている。中世の環濠屋敷のおもかげを伝える中家住宅は重要文化財に指定されている。
執筆者:

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百科事典マイペディア 「安堵」の意味・わかりやすい解説

安堵【あんど】

中世,近世において所領の知行を確認保証することをいう。人が堵(垣)のうちに安心して住めるようにする意。その内容によって,祖先以来知行している所領の継続知行を確認保証する本領安堵や和与(わよ)地安堵,買得地安堵などがあったが,安堵は所領の恩給とともに幕府が御家人(ごけにん)に与える御恩として行われ,その文書を安堵状といった。→御恩・奉公
→関連項目荒川荘印判状亀山寛文印知雀部荘地頭惣領制本補地頭

安堵[町]【あんど】

奈良県北西部,生駒(いこま)郡の町。1986年町制。町名は古代〜中世の荘園安堵荘に由来。奈良盆地のほぼ中央を占め,南部の大和川が富雄川などの諸支流と合流する盆地底にあたり,古くから水害が多く,河川改修が進められてきた。住之江織物の工場などが進出,都市化が進んでいる。従来の稲作に加えイチゴ・トマトなどハウス栽培が盛ん。室町時代の環濠住宅形式を残す中家住宅や富本憲吉の記念館がある。4.31km2。7929人(2010)。

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「安堵」の意味・わかりやすい解説

安堵(町)
あんど

奈良県北西部、生駒(いこま)郡の町。1986年(昭和61)町制施行。中世の安堵荘の地。奈良盆地のほぼ中央を占め、南端は大和(やまと)川が富雄川、岡崎川、寺川などの諸支流と合流する盆地の最低地である。純農村であったが、近年住宅団地や工業団地が造成され、都市化が進んでいる。近くにJR関西本線の大和小泉駅や法隆寺駅、西名阪自動車道法隆寺インターチェンジがある。室町時代の建築で国指定重要文化財の中家住宅、大道教本部などがある。面積4.31平方キロメートル、人口7225(2020)。

[菊地一郎]

『『安堵村史』(1961・安堵村)』『『安堵町史』全3巻(1990~1993・安堵町)』



安堵
あんど

安住できる場所、状態の意。8世紀から用例がある。中世武家社会では主人が従者の土地領有を承認し保証すること。鎌倉幕府が御家人(ごけにん)の先祖代々の私領を安堵することを本領安堵といい、新恩地給与と並ぶ御恩である。また相続承認を譲与(継目(つぎめ))安堵、売買承認を沽却(こきゃく)(買得、買地)安堵という。安堵は下文(くだしぶみ)、下知状(げちじょう)、御教書(みぎょうしょ)、判物(はんもつ)などでなされるが、譲状(ゆずりじょう)に承認の旨を記す外題(げだい)安堵もある。室町時代以降、安堵の主体は幕府から守護大名、戦国大名に移り、継目安堵、買地安堵は大名権力の確立に役だった。

[羽下徳彦]

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「安堵」の解説

安堵
あんど

武家社会で主人と従者の間で行われた,従者の生命の安全保障および所領・所職の保全にかかわる政治的・法的行為。対象は,鎌倉時代を通じて「人」から「モノ」へと変化し,鎌倉後期以降,所領知行権の存在・継続・移転などを承認するものとなった。鎌倉時代には下文(くだしぶみ)や下知(げち)状,室町時代には下文・下知状や将軍家御判御教書(ごはんのみぎょうしょ),戦国期には判物(はんもつ)や印判状,江戸時代には判物や朱印状によって行った。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「安堵」の意味・わかりやすい解説

安堵
あんど

鎌倉時代以降,主君が家人に対して土地の所有権,領有権,知行権を与えることを充行 (あてがい) といい,すでにあてがわれたり,買得されたこれらの権利を確認または承認することを「安堵する」といった。この制度は幕府の主従関係の成立に大きな役割を果した。本領安堵,新恩地安堵,買得安堵などの別があり,安堵の旨を証する公文書を安堵状という。

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旺文社日本史事典 三訂版 「安堵」の解説

安堵
あんど

中世〜近世において,所領の所有権・領有権・知行権などを確認あるいは承認すること
一般に主君からの御恩として行われ,これにより封建的主従関係が成立することが多い。安堵には,祖先以来知行している当知行地を確認する本領安堵や,買得地・譲与地を承認する沽却 (こきやく) 地安堵・和与 (わよ) 地安堵などがある。

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世界大百科事典(旧版)内の安堵の言及

【恩給】より

…鎌倉幕府はその成立にあたって,御家人が以前からもっていた本領の権利を保障するとともに,新たに所領を恩賞として与えた。前者を安堵といい,後者を新恩という。これら安堵,新恩をあわせて恩給というが,時に新恩のみをさす場合もある。…

※「安堵」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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