実吉 安純(読み)サネヨシ ヤスズミ

20世紀日本人名事典 「実吉 安純」の解説

実吉 安純
サネヨシ ヤスズミ

江戸時代末期〜昭和期の海軍軍医中将,子爵 海軍軍医総監;東京慈恵会医院医学専門学校校長。



生年
嘉永1年3月20日(1848年)

没年
昭和7(1932)年3月1日

出生地
薩摩国阿多郡伊作村(鹿児島県)

学歴〔年〕
大学東校

学位〔年〕
医学博士〔明治24年〕

経歴
医学を志し藩医池上祥斎に入門、戊辰戦争の際は従軍して負傷者の治療にあたる。明治2年上京、下総佐倉の順天堂に入塾し佐藤尚中に師事、のち大学東校に入学。4年海軍病院に出仕、9年海軍大軍医に進み、西南戦争従軍。12〜18年英国に留学。帰国後、22年海軍軍医学校長、25年海軍軍医総監(海軍軍医中将)、30年海軍省医務局長を歴任。この間、日清・日露戦争では海軍医務に活躍した。33年男爵、38年貴院議員、40年子爵。退役後、大正9年に東京慈恵会医院医学専門学校長となった。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「実吉 安純」の解説

実吉安純 さねよし-やすずみ

1848-1932 明治時代軍人
嘉永(かえい)元年3月20日生まれ。海軍軍医となり,イギリスなどに留学。のち海軍軍医学校校長,海軍省医務局長。海軍軍医総監。退役後,東京慈恵医専校長をつとめた。貴族院議員。昭和7年3月1日死去。85歳。薩摩(さつま)(鹿児島県)出身

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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