明治初期に「実験」は、「経験」と混用された時期もあったが、「経験」は哲学に、「実験」は自然科学にという使い分けが徐々に生じ、明治三〇年代以降に定着を見た。
科学研究活動は、自然および社会(その一員としての人間を含む)の諸現象・諸行動を対象とし、対象を対象たらしめている仕組みや運動の法則性を解明し、対象をより深く認識する理論的活動である。実験はこの理論的活動の一環として、当該科学が対象とする研究対象に直接・間接に働きかけ、対象を理論的活動のなかに取り込んでくる実践的役割を担う。したがって、実験は、本来、単なる研究の手段や操作という狭いものではなく、理論的活動の不可欠の構成部分をなす。観察・観測・計測や発掘・探査・フィールド調査などデータ収集活動も実験的活動であり、自然科学のみに特有な活動ではないが、ここでは自然科学分野の実験について扱う。
科学研究活動は「理論」と「実験」とに分離できるものとする考え方もあるが、これは理論分野と実験分野の職業的分業の進展に目を奪われた錯誤である。論理的思考による「理論」的活動と手段や操作をもって対象に働きかける「実践」的活動が、ときによってどちらか一方に偏ることもあるが、対象を認識する活動そのものは、けっして手段や操作にとどまるものではなく、両者は統一されているものである。
さて、自然科学は単に科学者の頭脳のひらめきや直感のみでつくりあげられたものではなく、元来、自然に働きかける生産的実践を源泉として生まれ、発展してきた。自然を客観的に認識し、その真理性を検証するという自然に対する実践活動そのものは、そもそも生産的実践活動=労働から学び取られ、抽象されたものである。したがって、労働対象や労働手段またはその体系としての技術が、科学と深い相互作用を行うことはいうまでもない。つまり、新たな研究対象や実験手段の創造という物質的なものから、研究活動の方法や課題の設定、総合的視野など認識方法の発展までが、社会の歴史的発展の産物であり、豊かな認識の発展は技術を介して社会の歴史的・経済的発展に大きく影響を与える。この意味で自然科学は実験という通路を通して、しっかりと自然そのものと生産的技術に錨(いかり)を降ろしている。
科学のこうした性格に連なる実験の意義を初めて説いたのはR・ベーコンである。彼はいわゆるスコラ学と決別し、科学の三つの道として「経験」「実験」「証明」をあげた。有名な『大著作』Opus Majus(1266~1268)の第6部「経験の学」Scientia Experimentalisでは、「実験は理論を与え、理論は新しい帰結に導くもっとも重要な手段である」と説いた。また、15世紀末にレオナルド・ダ・ビンチは「吾人(ごじん)は種々の場合や種々の状況のもとで経験に相談しつつ、そこから一般的規則を引き出すことができる」として、自然を鋭く観察するとともに、生産現場での技術的課題にも鋭い分析の目を向けた。ダ・ビンチを育てたボッテーガbottega(工房)は、当時、金属加工、冶金(やきん)術、石工技術をはじめとする諸技術を集約的に駆使する一大生産工場であり、ダ・ビンチの活動の源泉となった。鋭い観察と精妙なスケッチに代表される彼の解剖学の流れは、その後ベサリウスの『人体の構造に関する七つの本(ファブリカ)』(1543)となって結実し、やがて心臓の容積と拍動数の測定を基礎にハーベーが血液循環を明らかにする(1628)。かくして解剖や測定という実験を不可欠な構成要素とする近代解剖学や近代生理学が登場してくる。
一方、16世紀におびただしい技術書が現れる。ビリングチオの『火工術』(1540)、アグリコラの『デ・レ・メタリカ』(1556)、ショッペル『工芸書』(1568)、ラメリ『種々の精巧な機械』(1588)、ベランツィオ『新機械』(1595)などである。こうした技術書の普及は学問を生産的実践との結合でとらえるという、いわば学問の実践性という新しい価値を明確な形で示した。これらは、神秘的、呪術(じゅじゅつ)的、秘教的な寓意(ぐうい)や象徴に満ちていた自然誌の記述を克服し、具体的な事物のかかわりを客観的にとらえる可能性を切り拓(ひら)いたものといえる。
マニュファクチュアという新たな生産形態がダ・ビンチの活躍した中世封建社会の末期に現れ、冶金術者、時計・航海用測定器械製作者、水車・風車をはじめとする機械製作者らは、その生産の過程で具体的事物を相手に試行錯誤を繰り返しつつ、経験的規則を意識的に記録した。こうした行為は、単なる観照的な観察から、対象に能動的に働きかける観測、観察、測定を含む自然認識の方法と手段を発展させることとなった。航海者や冶金職人らとの交流を行ったW・ギルバートが『磁石について』(「磁石、磁性体および大きな磁石である地球について。多くの議論と実験によって証明された新しい生理学」、1600)を著したのも前述の時代状況と深くかかわっていた。彼は磁石の小地球(テレラ)をつくってモデル化し、「多くの労力と徹夜と費用をかけて実行し証拠づけた一連の実験と発見」の論理的明晰(めいせき)性を示すことに成功した。これはガリレイ、ケプラー、デカルトら当時の科学者に大きな影響を与えた。
ガリレイは航海術の発達に促された天文学の新たな展開に、観測手段としての望遠鏡の意義を正しく位置づけた。また重要度を増し始めた機械に注目し、『レ・メカニケ』を講義し、てこの原理や浮力の原理を駆使しつつ、おびただしい実験(思考実験を含む)を行った。機械に束縛された運動ばかりでなく、自由落下や放物体の運動にも実験を取り入れた。対象たる機械や運動を要素に分解し、実験(思考実験を含む)に照らし理論的認識へと進むが、ふたたび機械の機能や運動の全過程のなかでそれを再構成して位置づける。かくして抽象された力学の総集編が『新科学対話』(1638)であった。ガリレイの研究を「要素論」の始まりとする考え方が根強くあるが、これは、自然を要素に分解し、自然に「拷問をかける」(実験する)彼の研究の前段部分しかみない誤った見方である。彼はその後に総合的評価を忘れてはいないのである。新しく登場した科学の実験的方法を単に操作としてしかみない実験への偏見から誤った見方が生み出されているといえる。
さて、ガリレイの後継者トリチェリらによって組織的実験(アカデミア・デル・チメント、アカデミア・デイ・リンチェイによる実験的活動)が開始される。一方で、F・ベーコンの『ノウム・オルガヌム』(1620)、『ニュー・アトランティス』(1624)、デカルトの『方法序説』(1637)などが著され、観察、経験、実践的活動とこれから得られる種々な情報の集約の意義が論じられ、客観的対象(自然)の理論的認識と実験の意義が明らかにされ始める。さらに、イギリスにおける「見えざる大学」Invisible Collegeとその後の王立協会における系統的な実験の蓄積が行われ、こうした諸活動の発展のうえに、ニュートンの『プリンキピア』(1687)、『光学』(1704)が現れ、科学における実験の本質的な役割が不動のものとなった。
18世紀に入ると、天文学における観測機器の向上、地球規模での測地学の発展をはじめ、静電気、熱学、気体化学などにおける定性的および定量的実験の蓄積をみる。とくにイギリスに始まる産業革命とその各国への影響は、自然科学を技術に深く関係づけるとともに、実験を通して新たな課題を科学に投げかけるものとなった。これを受けて19世紀には、未分化であった自然諸科学が個別の科学として成立し、固有の対象領域と方法を確立し始め、分化した科学に固有な熟練した方法の確立が求められるようになる。たとえばギーセンにおけるリービヒの近代的な学生実験室の創設にみられるように、実験そのものも専門分化の傾向をたどる。
20世紀に入って、研究対象は宇宙的規模のマクロな世界から素粒子のようなミクロな物質や遺伝子操作、医学、情報科学分野などその領域を飛躍的に拡大した。また、地球環境のようなグローバルな対象の総合的認識の必要性や新素材など新たに創製された物質群の研究、超伝導現象に代表される新たな環境の創製に伴う物質の挙動など研究対象のみならず固有の研究方法も飛躍的に拡大し、専門分化が進行した。
こうした自然科学の進展が、実験を構成する対象、手段(装置、機器、測定機器など)のシステム化、自動化、巨大化を引き起こし、それに専門の理論と熟練した研究者・技術者集団を必要とするようになった。また実験手段の体系が商品となり資本が介入し、分業化に拍車がかけられたといえる。
実験は、そもそも理論的活動の一環としてその目的に沿った実験対象と実験手段と研究者によって構成される。したがって目的に沿って、物質的な対象と手段(その体系)が物質的な整合性ばかりでなく、理論的認識のてことして組織されなければならない。そのために機器・装置やその体系そのものの理論と技術、感覚の延長としての測定機器の理論と技術、各種物質群を整合的に連動させるための工学に似た一定の実験理論と技術の体系が、熟練した研究者によって動員される。このことによって研究者は自然の条件をさまざまにコントロールし、対象の運動諸形態の認識に迫りうるのである。
今日では、発達したコンピュータによる複雑な運動諸形態のシミュレーションが可能となり、独自な「思考実験」分野を開拓しつつある。科学は実験を通して自然と直接交渉するものであるが、研究対象と手段はその時代の生産諸技術と相互作用し、多くはその歴史的制約を免れないことにも留意しておく必要がある。
[井原 聰]
実験とは,一定の装置・器具等を用いて,何らかの操作を加えることによって対象に働きかけ,その結果,対象に起こる変化を観察・記録し,それを考察することによって,対象に起きた現象や変化が何を意味するかを明らかにしようとする実践的行為をさす。ここではカリキュラム上の学生実験と,学士課程の学生や大学院生などが参加する研究実験に分けて,おもに日本の大学の状況を述べる。
[学生実験]
教室での座学(講義形式など)や演習,ゼミナールなどとともに,カリキュラムに定められた授業の一環として,学生が専攻する分野の知識や原理を理解・確認し,また将来,卒業研究や大学院での研究実験を行うために必要な技術等を身につけるために,装置や器具を使って自然界の試料の観察,種々の物理量の測定,フラスコ内での化学反応などを行うこと。たとえば,理学部や工学部の化学系学科では,物質が反応する速度の測定,物質を構成する有機化合物の合成,電磁波を用いた物質の3次元構造の同定,生物系諸学科では,植物などの生物材料からのDNAの抽出や分離,タンパク質の精製と純度の測定,電気系学科では,電子回路や電気回路の製作と測定など,各学科の教育内容に応じたさまざまな実験がある。近年は,コンピュータを用いた種々の物理的・化学的変化等を追跡する計算機科学による課題もさまざまな分野の学生実験に取り入れられている。学生実験で行う課題は,すでに既知の科学的事実を実験のテーマとして設計したものであり,後述の研究実験とは異なる。
学生実験では,大学やカリキュラムにより異なるが,通常,2~3週で1課題を行い,1課題を学生2人程度で共同して行う。テーマごとに行った実験についての結果と考察をまとめたレポートの作成が課される。学生実験は,あくまで実験に参加し,それを遂行すること,そして実験終了後にレポートを書き,それを提出することで完了する。これによって,学生は実験内容に含まれる諸原理を理解するとともに,実験を遂行するのに必要な装置の使用方法を含む基礎的技術,データ処理の手法,得られた結果を文章で発表するスキルなどを修得する。なお,学生実験は,そのために必要な装置や空間を備えた学生実験室で行われ,担当教員と技術職員が安全面も含め,実験を指導,監督する。近年では,同じ分野の大学院生TA(Teaching Assistant,ティーチング・アシスタント)が指導の補助にあたることも多い。
[研究実験]
大学院生は研究を主宰する教員の研究室に所属して,新規な現象の発見や問題の解決,新技術の開発などを求めて,それぞれの分野で課題を設定して研究実験を行う。これは通常,研究室を主宰する教授や准教授が行う研究に参加する形で行われる。大学院生の場合は,所属後に始める研究の蓄積がそのまま修士論文(研究実験)や博士論文となる。学位論文をまとめるためには,必ず何か,実験により明らかになった新知見を各専攻分野に付け加えなくてはならない。大学院修了前でも,発表する価値ありと判断されれば,学術雑誌に投稿する。現在,分野によるが,研究結果に基づいた,審査を経て受理された学術論文が数編なければ課程博士(日本)は取得できないのが普通である。博士研究員やその他の研究室で実験を行っている室員の研究のあり方も同様で,新たな発見を行い,その結果を学術論文(場合により特許取得後)として報告するために実験が行われている。
[教育と実験]
このように,大学における実験には,学生の当該分野での基礎的訓練のために,すでに人類にとって既知であることを実験としてデザインし,それを学生に行わせる教育のための学生実験,ならびに学士課程上級生(大部分は4年生)と研究の推進に中心的役割を果たしている大学院生や博士研究員により遂行されている人類にとっての新たな知識を生み出す研究実験の二つがある。前者が,学生が各専攻分野で,将来企業や大学等で研究実験等を行っていく場合の基礎的技術と知識を与える教育の一環であるのに対し,後者は,大学が遂行する学術研究活動の一環としての実験である。しかし後者も,大学院生が参加する場合は,それによって大学院生が研究活動を実際に進めていくための知識と手法,技術等を修得し,将来,大学教員や専門職業人として働いていくための土台を作っていくわけであるから,これも広義の教育,すなわち大学院教育として捉えることができる。これらの研究実験もカリキュラム上は,たとえば「特別実験(日本)」と名付けられて,単位化された科目となっている。同様に,学士課程4年生で行われる研究実験も,カリキュラム上は「卒業研究(日本)」として単位化されている。
なお,研究実験は自分の所属する大学で行われるとは限らず,課題解決のために,大学院生等が,共同研究を行っている他大学・他研究機関に赴いて実験することも頻繁に行われる。また,研究実験の高度化,装置の巨大化等により,一研究室では対応できない研究も数多くある。そのような場合は,共同利用のために国の内外に創設された研究機関に大学院生や博士研究員を派遣して研究実験を行う。たとえば,ジュネーブにある欧州原子核研究機構(通称CERN: セルン)では,さまざまな国から参加した多くの大学院生らによって研究実験が遂行されている。
著者: 赤羽良一
参考文献: Burton Clark(ed.), The Research Foundations of Graduate Education: Germany, Britain, France, United States, Japan, University of California Press, 1993.
参考文献: Roger L. Geiger, Research and Relevant Knowledge: American Research Universities Since World War II, Oxford University Press, 1993.
参考文献: 群馬大学工学部75年史編纂委員会『群馬大学工学部75年史』群馬大学工学部,1990.
参考文献: 市川昭午,喜多村和之編『現代の大学院教育』玉川大学出版部,1995.
出典 平凡社「大学事典」大学事典について 情報
文字どおりには,実際にためしてみるということであるが,この意味では〈試験test〉と変りがないものになる。事実,テストのことを〈実験〉と称することがある。しかし自然科学で実験という場合にはもう少し限定された意味をもつ。自然現象は一般に複雑な諸条件のもとで起こっているから,ただ外から観察しているだけでは一般性を取り出すことが困難である。そこで,こうすればこうなるであろうという仮説を確かめるために,外的条件を一定にするとか,外乱が入らないようにするなど,できるだけ条件を簡単化したうえで現象を起こさせるという操作を行う。このように,人為的に特別の条件をつくり,考慮に入れるべき条件の数をできるだけ限定したうえで〈仮説を検証するため〉にインプットとアウトプットとの関係を調べる操作を〈実験experiment〉と呼ぶのである。同様に人為的に条件を簡単化して現象を起こさせるのであるが,すでにわかっていることを〈目で見てわかるように示すため〉の操作も実験と呼ばれている。これは正しくは〈教授実験demonstration〉と称すべきものであって,教育上の一手段である。
狭義の〈実験experiment〉が自然研究の重要な手段になったのは16世紀から17世紀にかけてのヨーロッパであった。それ以前にも〈実験experience〉は行われていたが,ただ何となくやってみるとか,自然にいろいろな操作を加えてみるということでは,自然法則は把握しがたいのである。たとえば,レオナルド・ダ・ビンチの実験とか錬金術師の諸実験がこの種のものであった。このやり方だと,たまたま成功した場合に何が条件であったかを検出することが困難で,日時や場所や使った材料その他無数の条件を考慮に入れなければならないことになる。その中には現象と無関係のもの(たとえば物質の化合と諸惑星の相対的位置など)もあって,一般性を獲得しがたくかつ追試が困難である。狭義の〈実験experiment〉が成立するためには,自然を等質的な空間として扱う幾何学的な視点が必要であった。その背景をなしたのは,一つは技術の発達とくに測定器械の発明と改良であり,もう一つは数学の発達とくに解析学の成立であった。この両者の開発と結合が16世紀から17世紀にかけて起こったのである。この実験精神を用意したものの一つが1543年のラテン語訳《アルキメデス全集》の刊行であった。F.ベーコンは実験を重視し,技術と数学の両契機の重要性を指摘してはいたが,自然を等質空間と見る視点を欠いていたので彼の実験は結局experienceの域を出ることができなかった。アルキメデスの方法を受けついで〈実験〉を実現したのは,オランダのS.ステフィン,イギリスのノーマンRobert NormanやW.ギルバート,イタリアのガリレイらであった。実際問題として外的条件を簡単化する作業はきわめて複雑困難で,巧みなくふうと多大の費用を必要とするので,論理的に行う〈思考実験〉もしばしば行われる。また標本の選び方によって外的条件を一様にする〈実験計画法〉の手法も20世紀に出現した。
執筆者:坂本 賢三
科学教育の場面で,学ぶべき事実や法則を理解するために,あらかじめ教育的に準備された方法に従って実際にやってみる学習活動のことをさす。日本で初めて実験が学校教育にとり入れられたのは明治初期で,当時は教師による教授実験であった。現在でも,大きな危険を伴うときや操作が複雑で結果を見ることが重要な場合などには,この方法が用いられている。しかし19世紀末から20世紀にかけて,子どもの実際行動を重視したり実物教授や直観教授が強調されるようになり,かつ施設や設備も整ってくるにつれて生徒実験が主となり,個々人またはグループで行われるのが普通となった。第2次世界大戦後は,とくに科学技術教育が重視され,理科教育振興法(1953)による財政的援助もあって,各学校に実験室や実験設備が整備されてきた。しかし実験の開発やくふうは不十分であり,理科の授業時数削減傾向のなかでは実験をするゆとりがなく,さらに先進諸外国で普及しているクラスを半分にした少人数による実験も未実施であり,改善すべき課題は多い。科学教育における仮説の設定と討論による思考の深化,そして実験による事実の確認という学習の流れを重視した授業方式として仮説実験授業が提唱され,効果をあげている。
→理科教育
執筆者:梅原 利夫
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
… 学問としての化学の方法論の特色は〈物質を対象とする学問〉にあるといえよう。その具体的な作業が〈実験〉である。実験は,化学物質の構造や性質を知るために最も適当と考えられる条件下に研究対象の物質を置き,その物質から得られる応答を記録・解析する操作である。…
※「実験」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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