精選版 日本国語大辞典 「宮薗節」の意味・読み・例文・類語
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浄瑠璃(じょうるり)の一流派。近年まで薗八(そのはち)節の名でよばれた。一中(いっちゅう)節、河東(かとう)節、荻江(おぎえ)節とともに古曲の一つに数えられる。宮古路豊後掾(みやこじぶんごのじょう)の門弟宮古路薗八の始めた一派。流祖薗八については、1733年(享保18)の『筆顔見世鸚鵡硯(ふでのかおみせおうむのすずり)』という評判記のなかに立役(たちやく)の巻軸として松島茂平治と対(つい)になって記されているのと、1769年(明和6)刊の『宮薗花扇子(はなおうぎ)』という正本(しょうほん)集にその名がみえるほかに記録がなく、経歴、生没年などいっさいが不明である。
初世の著名な門弟に、春富士正伝(はるふじしょうでん)と宮薗鸞鳳軒(らんぽうけん)がいる。正伝は前名を宮古路哥内といい、弁中から1758年(宝暦8)ごろ春富士正伝を名のり、のちに出雲(いずも)、出雲掾、そしてふたたび正伝に戻って江戸へ下り、68年(明和5)ごろ宮古路姓となり、薗八と改めて初世薗八の一流を広めた。一方、宮薗鸞鳳軒(?―1785)は本名を木岡光義といい、平呉と号し、前名は家太夫を名のったといわれる。初世薗八の没後、上方(かみがた)において2世薗八を継ぎ、1762年(宝暦12)に宮古路の宮と薗八の薗をとり、宮薗豊前(ぶぜん)を名のり、さらに66年(明和3)に鸞鳳軒と改名、京都で没した。美声の演奏家で浄瑠璃いちずに徹し、作詞、作曲にも優れ、多くの弟子を育成し、今日の宮薗節の基礎を築いた。この門弟で前名宮薗文字太夫が2世鸞鳳軒(?―1812)を継ぎ、上方の劇場で活躍したが、その後はしだいに衰退し、上方では文政(ぶんせい)年間(1818~30)以降は顧みられなくなった。3世(生没年不詳)は時沢鸞孔(らんこう)が1813年(文化10)襲名したが、翌年には鸞孔軒と改名した。他方、江戸では初世鸞鳳軒の弟子で正伝の弟の春太夫が上方から下り、初世の直伝である宮薗節曲十段を、初世宮薗千之(千枝、読みは「せんし」)に伝えるなど(異説では千之が上方よりもち帰ったともいわれている)引き続いて流儀の発展に尽力したが、鸞鳳軒の芸風の濃いものであったといわれる。江戸・葭町(よしちょう)の陰間茶屋の主人山城(やましろ)屋清八はこの春太夫に学び、初世宮薗千枝(?―1834)を名のり、家元として千秀と千寿(せんじゅ)の門弟を育成した。初世千寿から2世千寿、2世千之の弟子が育ち、1884年(明治17)、初世千寿の夫清三郎を家元預り人と定めた「薗八節規定」がつくられ、以来千之と千寿の二派に分立して伝統を遵守する基盤が固められた。
いまに伝わる代表曲には『鳥辺山(とりべやま)』をはじめ、『夕ぎり』『植木屋』『道行菜種の乱咲(みちゆきなたねのみだれさき)』『桂川恋の柵(かつらがわこいのしがらみ)』『小いな』など、いずれも初世鸞鳳軒作曲のものがある。楽曲の特色は、哀艶(あいえん)、叙情味豊かな風韻に富み、三味線の音色は、豊後系浄瑠璃のなかでも際だった独得のものがあり、合の手の少ないことから息継ぎの間がむずかしく、低音の呂(りょ)の節調に味わいがある。
[林喜代弘・守谷幸則]
『宮薗千寿・町田佳聲著『薗八集』(1963・青蛙房)』
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…河東節,豊後三流,新内節を江戸浄瑠璃ともいう。豊後掾の門弟宮古路薗八が京で薗八節(宮薗節)を広め,この分派の春富士正伝が正伝節を上方の歌舞伎で語り,豊後掾の門弟宮古路繁太夫は繁太夫(しげたゆう)節を元文(1736‐41)ころから大坂の劇場や座敷で語った。河東節,新内節,薗八節などは酒席で多くうたわれたので肴(さかな)浄瑠璃,歌浄瑠璃といわれた。…
…前名家太夫。初世の没後2世を継いだが,1762年(宝暦12)ころ宮薗豊前と改名,さらに66年(明和3)宮薗鸞鳳軒(らんぽうけん)と改め,宮薗節を創始した。劇場出演はなかったが,当時上方で盛んだった国太夫節(豊後節)の統領的存在であったらしい。…
※「宮薗節」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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