精選版 日本国語大辞典 「宰相」の意味・読み・例文・類語
さい‐しょう ‥シャウ【宰相】
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旧中国の官職。天子を助けて政治を行う最高の行政首長をいい、内閣総理大臣に相当する。ただし1人とは限らず、数人に及ぶこともある。宰相という名は、上古の天子側近の奴隷の長である料理番の類に由来するといわれるが、歴代その名を異にし、一王朝でもしばしば変更される。ごく大まかにいえば、前漢では丞相(じょうしょう)、太尉(たいい)、御史大夫(ぎょしたいふ)、後漢(ごかん)では太尉、司徒、司空で、これを三公という。唐の制では尚書令、またはこれにかわる左(さ)・右僕射(うぼくや)と、中書令、門下侍中であるが、のちに同中書門下平章事、略して同平章事が宰相の任となり、北宋(ほくそう)まで続いた。南宋(なんそう)では左・右丞相、明(みん)から清(しん)初までは内閣大学士で、清の雍正帝(ようせいてい)時代から軍機処大臣がこれにかわった。
なお、日本では参議の唐名として使われ、現在は総理大臣の異称として使われることがある。
[宮崎市定]
字通「宰」の項目を見る。
出典 平凡社「普及版 字通」普及版 字通について 情報
中国における中央政府の最高責任者で,皇帝を輔佐するもの。このような大官の歴朝の呼称が同一でないため,便宜上宰相という。唐代には,尚書,門下(もんか),中書の三省の長官(尚書令,侍中(じちゅう),中書令)が宰相の職務を遂行した。ただ,尚書令は太宗が就任していたため任命されず,左右の僕射(ぼくや)が実質的な長官であった。唐代中期,中書省と門下省とを合わせて同中書門下平章事(どうちゅうしょもんかへいしょうじ)を置き,これを宰相の任として,以後北宋中期まで続いた。北宋の神宗(しんそう)は官制を改め,唐の三省を復活,門下侍郎兼左僕射と中書侍郎右僕射の2名を宰相とした。南宋ではこれをさらに左右の丞相(じょうしょう)と改称し,元代にも引き継がれていく。
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参議の唐名。唐朝初期の律令制では,門下・中書両省の長官(侍中・中書令)と尚書省の左右僕射(ぼくや)が宰相として国政を審議し,のちには他の高官も個別に朝政に参議する資格を与えられ国政にあずかった。日本の大・中納言の職掌に参議があるのはこれをうけついだもので,日本の参議制には唐の兼官宰相制の影響がある。ただし日本で宰相といえば通常参議のみをさす。
出典 山川出版社「山川 日本史小辞典 改訂新版」山川 日本史小辞典 改訂新版について 情報
…旧中国において天子を補佐する最高の大臣を宰相と言うが,歴代その名称を異にする。丞相(〈じょうしょう〉とも読む)はその一つで,秦・漢に始まり,六朝を通じて,おおむね丞相が宰相の名であった。…
…かくして8世紀中ごろの安史の乱以後,2世紀以上にわたって分裂の状態がつづいた中国は,ようやくここに統一された。太祖は統一事業をすすめる一方で,唐末五代の混乱が武人の専横に起因したとの反省から,地方軍閥が握っていた軍事,財政,司法等の権限を取り上げて〈強幹弱枝策〉を推進し,さらに宰相等の職掌を分散して皇帝のみが全権を掌握するという君主独裁体制を築いた。しかも,武人をおさえて文臣を重用する文治主義を統治の基本方針とした。…
※「宰相」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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