精選版 日本国語大辞典 「家訓」の意味・読み・例文・類語
か‐くん【家訓】
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家の存続と繁栄を願って親が子孫に残した訓誡(くんかい)。奈良時代に、吉備真備(きびのまきび)が中国南斉の『顔氏家訓』に倣って書いた『私教類聚(るいじゅう)』が、わが国最古の教訓書とされる。平安時代では、宇多(うだ)天皇が幼少の醍醐(だいご)天皇に与えられた「寛平御遺誡(かんぴょうごゆいかい)」、公家(くげ)の家訓では、藤原師輔(もろすけ)が父忠平(ただひら)から教えられた宮廷行事の作法・心得などを子孫のために記した「九条殿御遺誡」などが有名である。しかし家訓がもっとも盛行したのは中世・近世においてであった。この時代には武家が社会の指導層となり、その武家は、家の惣領(そうりょう)・家長を中心に一族や主従が団結し、家領・家産の維持拡大による一門の繁栄を願った。したがって、家の教訓としての家訓にも内容・形式ともに多様なものが現れた。もっとも早い武家家訓とされる「六波羅(ろくはら)殿御家訓・極楽寺(ごくらくじ)殿御消息」(北条重時家訓)には、筆者北条重時の鎌倉幕府重職という為政者的立場の自覚があり、南北朝期の武将今川貞世(さだよ)(了俊(りょうしゅん))の「今川状」には、大名領主化する武士の領主としての心得などが示されている。弱肉強食の戦国時代には、苛烈(かれつ)な競争を勝ち抜くため、新しい人倫の確立、一門の団結、富国強兵の心得などを説く多くの家訓がみられる。「毛利元就(もうりもとなり)遺誡」「多胡辰敬(たごたつたか)家訓」などのほか「早雲寺殿廿一箇条」など分国法とされるものにも家訓的要素の強いものがある。江戸時代になると、幕藩体制の安定に伴い、幕府への忠誠、家中の統制、藩政への教訓などを説く大名の家訓がほとんどの大名家でつくられた。これに伴って藩の重臣級の武家でも家訓を定めるものがあった。また有力な豪商の家でも家産の蓄積が大きくなるにしたがい、勤倹を旨とし、信用を尊び、家業や家事取締りの具体的心得を示した家訓が定められた。三井(みつい)家における「宗竺(そうちく)遺書」などはその代表例である。近代以後においても家訓は存続したが、一般的には家の変質に伴いその意義は減少した。
[村井益男]
『筧泰彦著『中世武家家訓の研究』(1967・風間書房)』▽『京都府編『老舗と家訓』(1970・山川出版社)』
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…さらに14世紀に室町幕府が成立すると,前代の法はこの幕府に引きつがれて,新たな発展をとげた。他面,鎌倉・室町幕府の構成分子たる大小の武士団の中には,置文(おきぶみ)・家訓(かくん)・家法(かほう)などを定めて家の生命の維持発展を図るものが多く,やがてこれらの家の規約を根幹として,領主法的性格を加えた家法が現れるようになった。これら武士政権の国家法たる鎌倉・室町幕府法および武士団の家法の総体を武家法とよぶ。…
…この両者は実際には明確に区分されることなく混在し,それが後の藩法などと比べてひとつの特徴となっているが,系譜的にも両者を弁別することが必要である。家法の出発点は,もっとも原初的な家の法規範である置文(おきぶみ)であり,家の存続・繁栄を目的とした道徳規範として定められた家訓と家法は同根のものといえる。分国法においては,この法と道徳の分離がかなり明確になっているとはいえ,なお両者の関係は完全に断ち切れていない。…
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