出典 精選版 日本国語大辞典精選版 日本国語大辞典について 情報
デジタル大辞泉
「富山」の意味・読み・例文・類語
とやま【富山】
中部地方の日本海に面する県。もとの越中にあたる。人口109.3万(2010)。
富山県中央部の市。神通川中下流域を占める。県庁所在地。加賀藩の支藩前田氏の城下町を中心に発展。製薬および売薬業、化学工業が盛ん。平成17年(2005)4月、上新川郡、婦負郡の6町村と合併。人口42.2万(2010)。
出典 小学館デジタル大辞泉について 情報 | 凡例
富山
とみやま
三浦集落の東、桃生郡鳴瀬町上下堤との境にあり、松島丘陵の南端にあたる。標高約一一七メートル。「塩松勝譜」の著者舟山万年が選んだ松島四大観の一。湾の北東に位置し、湾内の佳景に南面する利点とその大観はつとに知られ、大淀三千風・佐久間洞巌・橘南谿ら、舟山万年に先んじてこれを紹介したものは少なくない。頂上に大仰寺があり、そこからの景観を「仙台領遠見記」は「客殿より海上を詠むる景又松島にもこへたり。遠門より寺迄四丁程急成坂也。客殿の西南東麓より松島・塩釜・宮城・高城・深谷浜々島々目の下に見ゆる。遠くハ国分・名取郡の山々、相馬のうのふか崎、牡鹿の遠島残なく、見越に見ゆる所ハてまへの山低く遠きハ絶景なり」と述べている。
富山
とみやま
応安八年(一三七五)三月二三日の島津氏久挙状写(志々目文書)に、富山彦五郎義弘が室町幕府に安堵を申請した島津庄日向方中郷内の所領として、富山が安久名・和里木名・秋永などとともにみえる。島津庄庄官である中郷弁済使富山氏の本貫の地と目され、富山氏の系譜を伝える志々目家系図(同文書)には、中郷弁済使と注記される富山宗義の孫たちの名字に富山・長谷・禰寝・手塚がみえる。富山氏は藤原姓で義を通字とした。康永四年(一三四五)三月五日の梅北貴船社の棟札(庄内地理志)にみえる「藤原散位義□」は富山氏の可能性が高い。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
富山
とみやま
千葉県南部,南房総市北部の旧町域。房総丘陵西端に位置し,西は浦賀水道に面する。 1955年岩井町と平群村が合体して富山町が成立。 2006年富浦町,三芳村,白浜町,千倉町,丸山町,和田町と合体して南房総市となった。地名は『南総里見八犬伝』の舞台富山に由来する。中世は里見氏の所領。近世は江戸幕府直轄地。大部分は丘陵地で,海岸は海水浴場に適し,民宿が多い。特に岩井海岸は臨海学校に利用され,海岸一帯は南房総国定公園に属する。ビワ,花卉,野菜を栽培し酪農も盛ん。内陸部の富山,伊予ヶ岳を中心とした地域は富山県立自然公園に指定。
富山
とみやま
愛知県北東端,豊根村北東部の旧村域。天竜川を境に静岡県に隣接。 2005年豊根村に編入。 1935~55年の間に約 40戸が渥美半島へ移住し,佐久間ダム (→佐久間湖 ) の建設で中心地区が水没したため全人口のおよそ3分の1が豊橋市の高師原や天伯原へ移住した。耕地は少ないが雨量が多く,スギを中心に林業が行なわれる。天竜奥三河国定公園に属する。
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報