仏教の創始者釈迦の滅後約100年して(前3世紀半ばアショーカ王の頃と思われる)仏教教団はしだいに20ほどの部派に分裂し,煩瑣にして壮大な論蔵(アビダルマ(阿毘達磨)abhidharma)を打ち立て論争を行った。この時代の仏教を小乗仏教といい,西洋中世のキリスト教のスコラ哲学に比肩される。サンスクリットでヒーナヤーナHīnayāna(〈小さな乗物〉の意)というが,〈小乗〉とは大乗仏教からの貶称であり公平な呼称ではない。部派仏教ともアビダルマ仏教ともいわれる。小乗仏教の思想は釈迦とその直弟子たちの初期仏教と,後の大乗仏教を理解する上にも重要である。
小乗仏教の中で特に重要な部派は,大衆(だいしゆ)部,説一切有(せついつさいう)部,犢子(とくし)部,化地(けち)部,法蔵部,経量(きようりよう)部などであるが,現存資料としてはスリランカ上座部の伝持するパーリ語で書かれた論蔵と,漢訳に伝わる説一切有部のものがほぼすべてであり,他部派の論蔵はきわめて少ない。
小乗仏教の教理の特徴は,釈迦の教えをいかに正確に理解し整備するかという点にある。釈迦の根本思想の要約である三法印(諸行無常,諸法無我,涅槃寂静)に関する考察としてとらえると理解がしやすいであろう。
小乗仏教の論師たちは,まず〈諸行無常〉に関して,無常の構造を明らかにしようと努めた。説一切有部では,この世界を構成する要素的存在として70ほどの法(ダルマdharma)を想定し,これらの法は〈過去・未来・現在の三世に自己同一性を保っている〉と主張し(三世実有説),森羅万象の無常を説明した。これに対して経量部などは,これらの法は〈現在にのみ存在し,過去と未来には存在しない〉と唱え(現在有体・過未無体説),これにより無常を説明した。
つぎに〈諸法無我〉については,無我であるならば行為や輪廻の主体は何なのかと考察した。経量部の種子説,大衆部の根本識,化地部の窮生死蘊などは,この問題意識から生じたもので,このうち経量部の種子説は,後の大乗の唯識説の主張する阿頼耶識(アーラヤビジュニャーナālayavijñāna)の先駆思想と考えられている。
〈涅槃寂静〉に関して小乗論師たちは,涅槃とは何か,釈迦の本質は何か,一般修行者の究極的到達点である阿羅漢(羅漢)の境地とは何か,涅槃に至る過程は何か,などの点について詳細に研究し,その思索を発展せしめた。
小乗仏教は釈尊の教えに忠実ならんと試みたが,その結果は出家中心主義になり,大乗仏教の興起をうながしたのである。
→大乗仏教
執筆者:加藤 純章
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サンスクリットのヒーナヤーナの訳語。小さな乗り物の意で大乗仏教の側からの貶称(へんしょう)。釈尊入滅後100年の頃,教団は上座部と大衆部にわかれ,両派はさらに分裂を続けて,紀元前1世紀までに20ほどの分派が生じ部派仏教が成立した。阿含(あごん)経,四分律(しぶんりつ)・五分律などの律典,倶舎論(くしゃろん)・婆沙論(ばしゃろん)などの論書を経論とし,自己の解脱(げだつ)を求めることを特色とした。小乗の信奉者は声聞(しょうもん)・縁覚(えんがく)などとよばれたが,自利・利他ともに掲げる大乗菩薩道の立場からは宗教的に劣位にあるものとみなされた。タイ,ミャンマー,スリランカなどの東南アジアに広まった。日本には鑑真が四分律にもとづく戒律を伝えた。
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…釈迦および直弟子時代の初期仏教を継承し,大乗仏教と併存・拮抗(きつこう)してインドに栄えた伝統的学派による仏教。新興の大乗仏教側からは,〈小乗仏教〉とけなされたが,正しくは〈部派仏教〉あるいは〈アビダルマ仏教〉と呼ばれるべきである。釈迦滅後100年,すなわちアショーカ王(前3世紀)のころ,仏教教団は保守的な上座部(テーラバーダ)と進歩的な大衆(だいしゆ)部(マハーサンギカ)とに分裂した。…
※「小乗仏教」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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