精選版 日本国語大辞典 「小協商」の意味・読み・例文・類語
しょう‐きょうしょう セウケフシャウ【小協商】
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第一次世界大戦後のチェコスロバキア、ユーゴスラビア、ルーマニア3国の友好関係をいう。当初、オーストリア・ハンガリー帝国崩壊のなかから生まれた3国の対決的態度をあざけって、ブダペストの新聞『ペスチヒルラップ』(1920年2月21日号)が用いた表現であったが、のちハンガリーやブルガリアに備えるチェコ―ユーゴ(1920.8.14)、チェコ―ルーマニア(1921.4.23)、ユーゴ―ルーマニア(1921.6.7)の防御同盟条約による提携関係を意味するに至った。
小協商は、経済統合にも努め、東欧で独自の存在となったが、とくにその親仏的性格が重要である。当初好意的でなかったフランスは、ポーランド・ソビエト戦争(1920)を契機にポーランドに小協商への接近を促し、自らもポーランド(1921.2)、チェコ(1924.1)、ルーマニア(1926.6)、ユーゴ(1927.11)との同盟関係を確立強化し、この東欧同盟網をヨーロッパ政策の支柱に据えた。しかし、この地域はしだいにドイツへの経済的依存を強め、さらに世界恐慌以後、急速に不安定化した。
東欧ロカルノ案など、ドイツ、ソ連、ポーランドを含む集団安全保障構想が挫折(ざせつ)したのち、これら小国は「宥和(ゆうわ)政策」の犠牲に供され、1939年3月16日ヒトラーのチェコ解体により小協商も崩壊した。
[濱口 學]
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第一次世界大戦後,チェコスロヴァキア,ルーマニア,ユーゴスラヴィアの間に,1920~21年に別々に結ばれた同盟関係の総称。直接にはハンガリーの領土回復に備える目的を持っていたが,同時にドナウ川沿岸諸国の政治経済的結合の意味も持っており,ジェノヴァ会議では一体として動いた。フランスは小協商と結んで東欧に足場を築こうとした。小協商は33年に強化され,定期的に会合する常設理事会を設けるに至ったが,ナチス・ドイツの台頭とフランスの衰退によって,解体した。
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…協商の事例は19世紀後半から第1次世界大戦前後に多くみられる。イギリス,フランス,ロシアの三国協商(1894年の露仏同盟,1904年の英仏協商,07年の英露協商により成立),日仏・日露協約(1907),第1次世界大戦後のチェコスロバキア,ユーゴスラビア,ルーマニアの3国間に締結された小協商など。この英仏露三国協商は,第1次世界大戦が近づくにつれて,実質的に軍事同盟的傾向を強めていった実例である。…
…18年のチェコスロバキア独立とともに外相に就任した。国際連盟の場で,小国の利益を代弁し,連盟の強化を唱えると同時に,パリ平和条約で生み出されたいわゆるベルサイユ体制の維持を目的として,ユーゴスラビア,ルーマニアとの間に小協商と呼ばれる同盟をも結び,さらに列強の中ではフランスとの関係を重視した。35年には大統領に就任したが,38年にナチス・ドイツに譲歩してズデーテンの割譲を認めたミュンヘン協定(ミュンヘン会談)が結ばれると,ロンドンへ亡命した。…
※「小協商」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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