しょう‐がく セウ‥【小学】
[1] 〘名〙
※古活字本毛詩抄(17C前)一〇「郷人の
子弟たるもの、小学の学校に入て学問するを秀士と云」
※閑
耳目(1908)〈渋川玄耳〉漢文自修法「
字画を覚え字音を識
(しる)のは所謂小学
(セウガク)、学問に於ての第一歩である」 〔
礼記‐
王制〕
② (①で、主として文字を教えたところから) 文字の字形・字音・字義に関する
研究。
※
随筆・続昆陽漫録補(1768)「小学は文字の学ゆへ」
※文部省布達第一三号
別冊‐明治五年(1872)八月三日「学校は三等に区別す。
大学中学小学なり」
[2]
書名。劉子澄が朱子に指導を受けて編集した初学者課程の書。淳熙一四年(
一一八七)
成立。内外二編、六巻よりなり、洒掃・
応対・進退などの
作法、
修身道徳の
格言、忠臣孝子の事績などを集めている。
江戸時代には、
昌平黌(しょうへいこう)や藩校で用いられた。
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デジタル大辞泉
「小学」の意味・読み・例文・類語
しょうがく【小学】[書名]
中国宋代に、朱熹の門人劉子澄が編集した初学者用の教科書。全6巻。1187年成立。日常の礼儀作法や格言・善行などを古今の書から集めたもの。江戸時代に用いられた。
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普及版 字通
「小学」の読み・字形・画数・意味
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小学【しょうがく】
中国の文字学,訓詁(くんこ)学,音韻学。元来,小学は王宮のそばにあって,王侯,士大夫などの子弟を8歳より数年間学問させる施設であり,そこで教えた六芸(りくげい)をさしたこともある。のち《漢書》芸文志以来,文字・訓詁の学をさすようになった。《爾雅》《説文解字》《広韻》などが小学の古典とされる。
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しょうがく【小学 Xiǎo xué】
中国,南宋の朱熹(子)が門人劉子澄らの協力を得て編んだ,少年のための修身作法の書。内・外の2篇に分けられ,内篇は〈立教〉〈明倫〉〈敬身〉〈稽古〉の4章,外篇は〈嘉言〉〈善行〉の2章より成る。《礼記(らいき)》などの古典から抜粋した日常の立居振舞に関する細則,聖賢の残した格言や逸話がその内容。《小学》においては具体的な事柄を教え,《大学》ではそれをもとにして抽象的な道理を教える,という朱熹の教育理念をうかがうことができる。
しょうがく【小学 xiǎo xué】
中国の学問の一分科の名であるが,この学問の分科がこのように名づけられたのは,別項の書名としての《小学》がそう名づけられたのと,そのもとづくところが同じである。それは,古代中国で経学つまり思想の学をまなぶ所が〈大学〉であるのに対し,そこに至るための途中の教育段階として〈小学〉がおかれたとされていることとかかわりがある。〈小学〉はすなわち小学校であり,そこでは大学に行く準備として文字や計算が教えられた。
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小学
しょうがく
Xiao-xue
(1) 中国,宋代の修身,作法書。『小学書』ともいう。6巻。淳煕 14 (1187) 年成立。初学者のために朱子が編纂した書物であるが,内容は,古聖人の善行や箴言および人倫の実践的教訓などを集めた啓蒙的なものである。 (2) 中国の文字,訓詁などの学問の総称。「窮理正心」「修己治人」などの倫理学,政治学を「大学」というのに対し,儒教の言語学的研究をさす。漢代以後の通称である。
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世界大百科事典内の小学の言及
【小学】より
…中国の学問の一分科の名であるが,この学問の分科がこのように名づけられたのは,別項の書名としての《小学》がそう名づけられたのと,そのもとづくところが同じである。それは,古代中国で経学つまり思想の学をまなぶ所が〈大学〉であるのに対し,そこに至るための途中の教育段階として〈小学〉がおかれたとされていることとかかわりがある。…
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