精選版 日本国語大辞典 「小岩井農場」の意味・読み・例文・類語
こいわい‐のうじょう こいはゐノウヂャウ【小岩井農場】
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岩手県中西部、岩手郡雫石(しずくいし)町と滝沢市にまたがる農場。岩手山南麓(なんろく)に広がり、面積2600ヘクタール、民間農場としては日本最大である。1891年(明治24)日本鉄道会社の小野義真、三菱(みつびし)財閥の岩崎弥太郎(やたろう)、鉄道庁長官井上勝(まさる)らによって大農場式牧場として創始され、三者の頭文字をとって小岩井と名づけられた。1950年(昭和25)までは競走馬の産地として知られたが、以後は乳牛、肉牛、メンヨウ、シチメンチョウなどの飼育に重点が置かれ、とくにホルスタインの種牛生産や採卵鶏として優秀なシエーバー種の孵卵(ふらん)事業で知られる。牧歌的風景を背景に花壇、レストハウス、ジンギスカン料理などの諸施設をもった小岩井農場まきば園があり、盛岡市郊外の行楽地として訪れる人々が多い。
[川本忠平]
1891年(明治24)岩手山麓(現,岩手県雫石町)に開設された日本最大の資本家的農場。鉄道庁長官の井上勝(まさる)が岩崎家の資本援助と入会地の払下げをうけ,輸入の種畜や農機具を中心に経営を始めた。小岩井の名は,この両者と三菱の顧問小野義真の姓の頭をとったもの。後に三菱合資会社の直営となり,高級種牛や競走馬,バター,チーズなどの農畜産物を販売し,資本家的大経営へ発展。第2次大戦後の農地改革で牧野1000余町を解放したが,現在でも農場経営は続いている。
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…政府直営の勧農事業がめざす洋式農法の日本への移植も,稲作を中心とする小農経営中心の日本農業の体質を変えることはできず,1880年代後半以降,寄生地主制の進展とその拡大により勧農政策は後退し,また大農法も日本農業に浸透しなかった。80年代後半に井上馨やドイツ人マイエット,フェスカら少数の人たちが大農論を提唱したがそれも根づかず,大農法は,たとえば政商三菱の直営農場として発足した小岩井農場(1891設立)などの例外を除いて,成功しなかった。【石塚 裕道】
【中国】
中国では農業社会の確立に伴って神農・后稷(こうしよく)などの農業神話を生んだ。…
※「小岩井農場」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
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