出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
石川県南西部の市。1940年市制。人口10万8433(2010)。市の南東部は白山山系の連なる丘陵,山岳地帯であり,西部は加賀平野の一部をなす。市街地は梯(かけはし)川流域の沖積平野に立地する。その東側を国道8号線と1897年開通のJR北陸本線が,また海岸沿いに北陸自動車道が縦貫するほか,北陸鉄道が鵜川遊泉寺まで通じる(1986年廃止)。江戸前期に金沢藩3代藩主前田利常の隠居城となり,城下町の整備,加賀絹,小松表,製茶,瓦生産の保護奨励が行われ,市発展の基礎が築かれた。機械工業が盛んで市の製造品出荷額の50%(1995)を占め,1916年創立の世界的なブルドーザーメーカー小松製作所の企業城下町的な性格を持つ。繊維では小松綸子(りんず)のほか化繊,合繊の生産も伸び,撚糸業は基幹産業の一つである。西端に近く粟津温泉があり,海岸の安宅関跡とともに観光客でにぎわっている。第2次世界大戦中砂丘を開いてつくられた小松空港が北陸地方の空の玄関の役割を果たしており,北陸自動車道小松インターチェンジがある。
執筆者:斎藤 晃吉
地名の初出は15世紀末。16世紀初頭には〈本折(もとおり)・小松之城〉と称される砦や町があったとされ,1600年(慶長5)小松城城代となった前田長種は城下町の育成を行ったといわれるが,いずれも明らかでない。39年(寛永16)前田利常が,小松城に隠居するに際し,家臣164人を城下に居住させたことから,本格的な城下町となり,小松町奉行が置かれ,町役負担の本町(ほんまち),地子銀を納める散町(ちりまち)の区分もできた。59年(万治2)には町人戸数1200戸,人口6000人を数えたという。1658年利常が没したあと,家臣のすべてが金沢に引き揚げた。このため,古くからの絹布生産を主産業とした商工業都市に転換し,今日の繊維工業都市への引き金となった。なお,当時の絹は加賀絹と称され京都商人に引き取られた。
執筆者:田中 喜男
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報
化学式 CH4 。最も簡単なメタン系炭化水素で,天然ガスの主成分をなしている。また石炭ガスにも 25~30%含まれる。有機物の分解,たとえばセルロースの腐敗,発酵の際に生成され,沼気ともいわれる。また...
5/20 小学館の図鑑NEO[新版]昆虫を追加
5/14 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 日本大百科全書(ニッポニカ)を更新
4/12 デジタル大辞泉を更新
4/12 デジタル大辞泉プラスを更新