小澤征爾(読み)おざわせいじ

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「小澤征爾」の意味・わかりやすい解説

小澤征爾
おざわせいじ

[生]1935.9.1. 奉天
[没]2024.2.6. 東京
指揮者。1958年桐朋学園短期大学(→桐朋学園大学)指揮科を卒業。卒業後フランスに留学し,1959年ブザンソン国際指揮者コンクール,1960年カラヤン国際指揮者コンクールなどを制する。その間シャルル・ミュンシュ,ヘルベルト・フォン・カラヤン,レナード・バーンスタイン師事ニューヨーク・フィルハーモニック副指揮者,シカゴ交響楽団ラビニア・フェスティバル,トロント交響楽団サンフランシスコ交響楽団の音楽監督を経て,1973~2002年ボストン交響楽団の音楽監督を務める。2002~10年ウィーン国立歌劇場の音楽監督。1978年中国政府の招きにより北京の中国中央楽団を指揮,翌 1979年にはボストン交響楽団を率いて再度訪中した。1984年学生時代の師であった齋藤秀雄の没後 10年を記念するメモリアルコンサートを開催し,それを母体に 1992年に国際音楽祭「サイトウ・キネン・フェスティバル松本」(2015「セイジ・オザワ 松本フェスティバル」に名称変更)を長野県松本市で組織した。1972年日本芸術院賞受賞。1998年フランス政府よりレジオン・ドヌール勲章シュバリエ,2008年同オフィシエ受章。2008年文化勲章受章。2015年ケネディ・センター名誉賞受賞。2016年グラミー賞(オペラ録音部門)受賞。

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百科事典マイペディア 「小澤征爾」の意味・わかりやすい解説

小澤征爾【おざわせいじ】

指揮者。奉天(現,瀋陽)生れ。桐朋学園高校と短期大学で名教師・斎藤秀雄らに学ぶ。1959年ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝。1960年ボストンでミュンシュの指導を受け,翌1961年バーンスタインに認められてニューヨーク・フィルハーモニー管弦楽団の副指揮者となる。トロント交響楽団とサンフランシスコ交響楽団の音楽監督を経て,1973年ボストン交響楽団の音楽監督に就任。2002年ウィーン国立歌劇場音楽監督に就任。バトン・テクニックに優れ,日本の現代作品の紹介でも大きな功績を残している。武満徹の《ノベンバー・ステッス》や《カトレーン》,メシアンのオペラ《アッシジの聖フランチェスコ》など,初演曲も多い。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「小澤征爾」の解説

小澤征爾 おざわ-せいじ

1935- 昭和後期-平成時代の指揮者。
昭和10年9月1日満州(中国東北部)奉天(現・瀋陽)生まれ。斎藤秀雄に師事。昭和34年ブザンソン国際指揮者コンクールで優勝。ニューヨーク・フィル副指揮者,トロント交響楽団音楽監督などをつとめる。47年芸術院賞。48年からボストン交響楽団の音楽監督。平成13年文化功労者。14年ウィーン国立歌劇場音楽監督に就任。15年松本文化会館におけるオペラ「ピーター・グライムズ公演で毎日芸術賞。20年日本人としてはじめてフランス芸術アカデミー本会員にむかえられた。20年文化勲章。23年世界文化賞。24年村上春樹との共著「小澤征爾さんと、音楽について話をする」で小林秀雄賞。25年水戸芸術館館長。桐朋学園短大卒。

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