長野県東部,浅間山の南西麓にある市。1954年小諸町,三岡村,南大井村が合体,市制。人口4万3997(2010)。中心市街の小諸は江戸時代には仙石氏,牧野氏などの城下町で,北国脇往還の宿場町でもあり,佐久盆地一帯を商圏に商業が発達したが,その商勢は現在上田市に押されて弱まっている。しかししなの鉄道(旧信越本線)とJR小海線の分岐点,国道18号線と国道141号線の分岐点にあたり,上信越自動車道も通じ,現在も交通の要衝である。第2次大戦までは製糸業が発達したが,現在は電気などの工業が立地している。かつて小諸義塾の教師をしていた島崎藤村の詩《千曲川旅情のうた》で名高い小諸城の跡は,現在懐古園と呼ばれる公園になっており,園内には藤村記念館,小山敬三美術館,火山博物館(現,市立郷土博物館),動物園があり,観光客が多い。また市内には菱野温泉,高峰高原などの観光地がある。農業生産では,クルミ,ヤクヨウニンジン,高原野菜などの特産物がある。
執筆者:市川 健夫
小諸城は浅間山の南西麓,千曲川の断崖上にある。中世以来の鍋蓋城をとりこんで武田信玄が新城を築き,1590年(天正18)入封の仙石氏が大改修を加えた。城下町と北国脇往還の整備も仙石氏による。近在の与良,松井,小諸,宇当坂,手城塚などの村民を,大手門の東方に通した往還沿いに集住させ,南東から北西へ与良町,荒町,本町,市町を形成,宿駅問屋は本町と市町に置いた。18世紀なかばの記録によると,与良町家数不明・1005人,荒町60軒・730人,本町(田町,六供町とも)141軒・855人,市町(横町,柳町,清水町とも)196軒・1030人で,総延長20町11間3尺。1742年(寛保2)の大水害で深刻な打撃をうけたが急速に復旧,宿駅のほか米穀・塩問屋や酒造家などが栄えた。なお城回りには足柄町,耳取町など家中屋敷町十数町があった。廃藩置県後一時衰えたが,1888年の信越本線小諸駅開業により商業・観光都市として発展した。
執筆者:古川 貞雄
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報
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