精選版 日本国語大辞典 「小野川喜三郎」の意味・読み・例文・類語
おのがわ‐きさぶろう をのがはキサブラウ【小野川喜三郎】
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(水野尚文)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報
出典 株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について 情報
江戸時代の相撲(すもう)力士で5代横綱。滋賀県大津出身。大坂相撲から江戸相撲に加わり、1782年(天明2)無敵を誇る谷風梶之助(かじのすけ)を破って人気を集め、89年(寛政1)谷風とともに前例のない横綱土俵入り免許を受け、寛政(かんせい)期(1789~1801)の黄金時代を築いた。身長176センチメートル、体重116キログラム、勝率91.7%。97年引退。抱え大名の久留米(くるめ)藩(有馬氏)下屋敷(東京都港区芝)に小野川部屋を開く。通説による帰坂は誤りで、江戸で没した。
[池田雅雄]
…講談。4代横綱谷風とその弟子雷電および小野川の3名の力士を中心に,佐野山の孝心,稲川の義俠などを描く。なかでも谷風の七善根,雷電の封じ手,小野川雷電遺恨相撲などがおもしろい。小田原の仇討相撲は一席物として今日でもよく演じられる。これを語って有名な真竜斎貞水(しんりゆうさいていすい)(のちに早川貞水,1917没)は国技館木戸御免であったし,貞鏡時代の1896年に《寛政力士伝》を刊行した。【吉沢 英明】…
…横綱に関する古文書は少なく,1773年(安永2)に行司式守五太夫の書いた伝書によると,その起源は,城や屋敷を建てるときの地鎮祭に大関2人を招き,おはらいの地踏みを行ったが,その儀式免許を京都五条家が〈横綱之伝〉を許すといったことから始まったとされる。これを職業相撲の興行の土俵に移したのが吉田司(よしだつかさ)家で,89年(寛政1)11月場所中に,初めて谷風梶之助,小野川喜三郎の両関脇(実力大関)に,〈横綱〉というしめ縄を腰にまとって土俵入りする免許を与えた。当時,横綱は腰にまとったしめ縄をさすのみで,もちろん番付には関係がなく,また大関の称号でもなかった。…
※「小野川喜三郎」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社世界大百科事典 第2版について | 情報
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